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聖武天皇
妻
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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新田部親王
父
新田部親王(にいたべしんのう、生年不詳-天平7年9月30日(735年10月24日))は日本の飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。位階は一品、官職は大惣管。新田... |
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不破内親王
妻
奈良時代から平安時代にかけて生きた皇族。聖武天皇の娘。 |
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天武天皇
父
7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。 |
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藤原仲麻呂
奈良時代の公卿。名は仲麿または仲丸とも記される。淳仁朝以降は改姓・改名し藤原恵美押勝(ふじわらえみのおしかつ)。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智... |
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橘奈良麻呂
奈良時代の貴族。左大臣橘諸兄の子。正四位下・参議。贈正一位・太政大臣。2代目橘氏長者。 |
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孝謙天皇
日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)-天平宝字2年8月1日(758年9月7日))。父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后... |
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氷上川継
氷上川継(ひがみのかわつぐ、生没年不詳)は奈良時代から平安時代にかけて生きた貴族。天武天皇の男系の曾孫にあたる。 |
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淳仁天皇
日本の第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日)-天平宝字8年10月9日(764年11月6日))。古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはい... |
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光仁天皇
第49代天皇(在位:宝亀元年10月1日(770年10月23日)-天応元年4月3日(781年4月30日))。 |
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井上内親王
井上内親王(いのえないしんのう/いがみないしんのう、養老元年(717年)-宝亀6年4月27日(775年5月30日))は第45代聖武天皇の第1皇女。母は夫人県犬養広刀... |
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道鏡
奈良時代の法相宗の僧。物部氏の一族の弓削氏の出自で、弓削櫛麻呂の子。俗姓が弓削連であることから、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。兄弟に弓... |
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田部
父
島根県雲南市に本社(物産以外の全ての事業部)、広島県広島市南区に広島支店(ケンタッキーフライドチキン・ピザハットを運営する物産事業部)を置いて展開... |
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長屋王
奈良時代の皇族、公卿。正二位左大臣。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。 |
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氷上志計志麻呂
県犬養姉女・忍坂女王・石田女王らともに、称徳天皇を呪詛してその命を縮め、志計志麻呂を皇位につけようとする巫蠱の術を行ったとして処罰された。その際に... |
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桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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坂上田村麻呂
平安時代の武官である。名は田村麿とも書く。正三位、大納言兼右近衛大将兵部卿。勲二等。死後従二位を贈られた。 |
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光明皇后
奈良時代の人。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明... |
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黄文王
奈良時代の皇族。左大臣・長屋王の子。母は藤原不比等の娘長娥子。官位は従四位上・散位頭。 |
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プロフィール
塩焼王(しおやきおう、生年不詳-天平宝字8年9月18日(764年10月21日)は、日本の奈良時代の皇族。のち臣籍降下し氷上塩焼と称した。官位は従三位・中納言。
経歴
| 父は新田部親王、祖父は天武天皇である。 |
| 母については不明である。 |
| 天平5年(732年)3月、親王の子に対する蔭位として、無位から従四位下に叙される。 |
| 天平12年(740年)1月には従四位上に昇叙。 |
| 同年10月には聖武天皇の伊勢行幸に御前長官として供奉。 |
| 同年11月には正四位下に昇叙。 |
| 時期は不明だが、この間中務卿に任ぜられている。 |
| 天平14年(742年)10月、女嬬4人とともに投獄され、伊豆国に配流された。 |
| 真相は不明であるが、皇位継承問題などの政争に巻き込まれた結果との推測もなされている。 |
| 天平17年(745年)赦免されて帰京し、翌天平18年(746年)閏9月には本位(正四位下)に復している。 |
| 天平宝字元年(757年)3月に、弟の道祖王が皇太子を廃されると、藤原豊成・永手らによって後任の皇太子に推されたが、かつて聖武太上天皇に無礼を責められたことがある(おそらく伊豆配流のことを指すのであろう)との理由で孝謙天皇に反対され、実現しなかった。 |
| 結局、皇太子には舎人親王の子大炊王(のちの淳仁天皇)が立てられた。 |
| 同年5月、正四位上に昇叙し、6月には大蔵卿に任じた。 |
| 同年7月に起きた橘奈良麻呂の乱では新天皇候補のひとりに挙げられ関与を疑われたが、結局不問とされている。 |
| 翌、天平宝字2年(758年)「氷上真人」の氏姓を与えられて皇親の身分を離れた。 |
| 同年従三位に叙される。 |
| 当時淳仁天皇を擁して政権を握っていた恵美押勝(藤原仲麻呂から改名)に接近して栄達をはかり、天平宝字6年(763年)1月に参議となり、同年6月には中納言に至った。 |
| 天平宝字8年(764年)9月に押勝が武装叛乱(藤原仲麻呂の乱)に追い込まれると、押勝により天皇候補に擁立されて「今帝」と称されたが、押勝の敗走に同行して孝謙太上天皇方が派遣した討伐軍に捕らえられ、近江国で押勝一家とともに殺害された。 |
家族構成
| 父:新田部親王。 |
| 妻:不破内親王(聖武天皇の娘)。 |
| 男子:氷上志計志麻呂。 |
| 男子:氷上川継志計志麻呂と川継は同一人物であるという説もある。 |
| 女子『続日本紀』天応2年(782年)閏正月14日条によれば、川継には、不破とともに淡路国に配流された複数の姉妹がいたという。 |
参考文献
| 宇治谷孟『続日本紀 全現代語訳』上巻・中巻 講談社〈講談社学術文庫〉、1992年。 |
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塩焼王さんについてのひとこと紹介
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