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つながりの強いひと
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増山正贇
親 父
江戸時代の大名。伊勢長島藩の第4代藩主。長島藩増山家5代。享保11年(1726年)12月26日、長門長府藩主・毛利匡広の十一男として生まれる。延享元年(1744年... |
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稲垣定計
妻
近江山上藩の第4代藩主。旗本・稲垣昭倫(宗家・稲垣重昭の次男)の次男。母は渡辺輝の娘。正室は松平忠暁の娘。子に稲垣定淳(長男)、稲垣定時(次男)、稲... |
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細川利恭
母
肥後熊本新田藩の第3代藩主。元禄14年(1701年)5月1日、第2代藩主・細川利昌の次男として生まれる。長兄の利方が病弱だったため世子となり、正徳5年(1715年... |
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増山正寧
息子
江戸時代の大名。伊勢長島藩の第6代藩主。長島藩増山家7代。 |
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大岡忠移
三河国西大平藩第5代藩主。大岡忠恒の次男。大岡忠世家7代藩主。天明6年(1786年)、父・忠恒の養子として家督を継いでいた義兄(姉婿)の第4代藩主忠與の死... |
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趙陶斎
江戸時代中期の書家である。名は養、字を仲頤、号は陶斎、他に息心居士、枸杞園、清嘩閣等がある。長崎生まれ。 |
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朽木昌綱
友達
丹波福知山藩の第8代藩主。福知山藩朽木家9代。 |
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田能村竹田
江戸時代後期の南画(文人画)家。旅を好み日本各地を遊歴。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。幼名は磯吉、後に玄乗、生蔵。名は孝憲。字は君... |
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大田南畝
友達
天明期を代表する文人・狂歌師。漢詩文、洒落本、狂詩、狂歌などをよくし、膨大な量の随筆を残した。勘定所幕吏として支配勘定にまで上り詰めたが、一方、余... |
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中村真一郎
中村真一郎(なかむらしんいちろう、1918年(大正7年)3月5日-1997年(平成9年)12月25日、なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある)は日本の小説家・評論... |
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孔子
春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。今日の道徳の確立の始祖。 |
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渡辺玄対
友達
渡辺玄対(わたなべげんたい、寛延2年(1749年)–文政5年4月3日(1822年))は江戸時代中期の日本の画家。名は瑛、字を廷輝、号は玄対のほかに松堂・林麓草堂... |
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稲垣定成
近江山上藩の第6代藩主。第5代藩主・稲垣定淳の長男。母は小出英常の娘。正室は秋月種徳の娘。子は稲垣太篤(長男)。官位は従五位下、長門守。文政7年(1824... |
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大岡忠愛
三河国西大平藩第6代藩主。大岡忠世家8代藩主。文化4年(1807年)、西大平藩第5代藩主大岡忠移の長男として生まれる。文政11年(1828年)に忠移の隠居により... |
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大国隆正
幕末・明治維新期の国学者・神道家。父は石見津和野藩士の今井秀馨。別姓は野之口。号は佐紀乃屋。字は子蝶。はじめ秀文、また秀清。江戸桜田津和野藩邸に生... |
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大岡忠喜
大岡忠喜(おおおかただよし)は江戸時代中期の旗本、大名。大岡忠房家5代当主で、武蔵国岩槻藩第2代藩主。父は第9代将軍徳川家重の側用人を務めた大岡忠光。... |
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釧雲泉
江戸時代後期の南画家である。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画聖として知られる。号の雲泉は雲仙岳に因んだ。名を就(じゅ)、字を仲孚(ちゅうふ)、... |
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文徴明
文徴明(ぶんちょうめい、男性、成化6年11月6日(1470年)-嘉靖38年2月20日(1559年))は中国明代中期に活躍した文人である。詩書画に巧みで三絶と称され、... |
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岡田米山人
岡田米山人(おかだべいさんじん、延享元年(1744年)-文政3年8月9日(1820年9月15日))は江戸時代後期の大坂を代表する文人画家。岡田半江はその子(養子説... |
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プロフィール
- 増山正賢とは
- 生涯
- 文人大名
- 系譜
- 兄弟
- 子女
- 作品
- 著作
- 出典
増山正賢(ましやままさかた、宝暦4年10月14日(1754年11月27日)-文政2年1月29日(1819年2月23日))は江戸時代の大名。伊勢長島藩第5代藩主。長島藩増山家6代。第4代藩主・ 増山正贇の長男。母は正室・ 細川利恭の娘・美代姫(法輪院)。正室は 稲垣定計の娘・道姫(法園院)。継室は高須氏(麗容院)。官位は従五位下、河内守。文人大名して知られ、多数の書画を画いている。諱は選、字を君選、号は雪斎。隠居後は単丘山人と号し、その他にも括嚢小隠・玉淵・灌園・雪旅・松秀園・蕉亭・愚山・石顛道人・長洲(長州)などがある。
生涯
| 1754年10月14日、正贇の長男として江戸に生まれ、1776年、父・正贇の死去により、23歳で長島藩2万石の家督を相続する。 |
| 大坂城御加番などを歴任。 |
| 政治面では無能な藩主であったといわれているが、文化面に関しては当時において一流の人物だったと言われている。 |
| 1785年8月には儒官十時梅厓に命じて藩校文礼館を創設し、孔子廟も創設している。 |
| また、多くの文化人を招聘して文治の発展に尽力した。 |
| 正賢自身は山水画や花鳥画など書画に優れ、囲碁や煎茶などにもその芸域が及んだ。 |
| 文芸に秀でた文人大名として尊敬を集めた。 |
| 著書には『松秀園亭舎記』、『煎茶式』などがある。 |
| 1801年7月5日、48歳にて隠居し、長男の正寧に後を継がせた。 |
| その後は江戸巣鴨の下屋敷に住んで悠々自適の生活を送っていたが、このように文化に溺れていったことが、幕府の奢侈禁止令に違反したとして1804年7月に謹慎処分に処されている。 |
| 1819年1月29日に江戸築地で死去。 |
| 法号:慈雲院殿雪斎道知大居士。 |
| 墓所:東京都台東区上野寛永寺(勧善院)。 |
| 現在、中野蓮華寺に墓所が移されている。 |
文人大名
| 風雅を愛でた文人大名としては、雪斎の号でよく知られる。 |
| 書は趙陶斎から唐様を学び、画は木村蒹葭堂を師とした。 |
| 南蘋派の精緻な画風は大名の余技とは思えぬほど優れており、田能村竹田などは気韻生動があるとして絶賛している。 |
| 花鳥画を得意とし、特に虫類写生図譜『虫豸帖(ちゅうちじょう)』は本草学的にも貴重な資料となっている。 |
| また文人画風の山水図も画いた。 |
| 藩士の十時梅厓や春木南湖は雪斎に文人としての力量を見込まれてスカウトされた。 |
| 両名をそれぞれ長崎へ遊学させ、清人から画技を学ばせた。 |
| また幕臣の大岡雲峰や上條犀淵は雪斎の画業の弟子だったといわれる。 |
| 文人墨客との交わりを好み、その庇護者ともなった。 |
| 酒造統制違反となり大坂を追われた木村蒹葭堂を自領に招き、窮地を救ったことは有名である。 |
| その他に大田南畝、菊池五山、宋紫石、渡辺玄対、同じく文人大名で知られる福知山藩主朽木昌綱などと交流した。 |
兄弟
| 弟:白須政雍。 |
| 弟:増山正聴。 |
| 弟:松平定慮。 |
| 弟:松平定諡。 |
| 妹:千勢(高木貞威室)。 |
| 妹:菊(戸田氏紹正室のち酒井忠敬室)。 |
| 妹:定(増山正備正室)。 |
| 妹:富(佐藤信顕正室)。 |
| 妹:季支(白須正擁養女、都築安富室)。 |
作品
| 「花鳥図」(1794年)三重県立美術館。 |
| 「孔雀図」名古屋市博物館。 |
| 「村長居宅図」(1797年)桑名市照源寺。 |
著作
| 『観奕記』享和3年(囲碁について)。 |
| 『松秀園亭舎記』寛政5年(書画について)。 |
| 『煎茶式』文化年刊(煎茶道について)。 |
出典
| 山口泰弘『増山雪斎の中国趣味』『図録江戸の風流才子増山雪斎展』三重県立美術館、1993年。 |
| 中村真一郎著『木村蒹葭堂のサロン』 新潮社、2000年、497–498頁、ISBN4103155213。 |
| 大槻幹郎『文人画家の譜』ぺりかん社、2001年、261-262頁、ISBN4831508985。 |
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1776年
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父・正贇の死去により、23歳で長島藩2万石の... |
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1804年
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謹慎処分に処されている |
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