| 期待を受けて一軍キャンプスタートとなった。 |
| キャンプでは連日話題を集め、特に選手兼任監督の古田敦也に投げ込んだ際に、グラブのジェスチャーで古田に誘導を行ったことが話題となった。 |
| これは高校時代に声を出して球種を指示する習慣が無かったためで、投球以外で耳目を集めてしまった。 |
| しかし-->練習試合では自己最速を上回る152km/hをマークし、着実に成長も見せた。 |
| オープン戦でも5試合で防御率1.29と好投し、開幕試合は登録の関係で二軍登録で迎えたものの、高卒ルーキーながら一軍に帯同し、開幕ローテーション入りを果たした。 |
| 4月7日対広島2回戦に先発し、プロ入り初登板。 |
| 7回を投げ、打者26人に86球、被安打4(被本塁打1)、奪三振5、与四球1、失点1(自責点1)と素晴らしい投球を披露した。 |
| しかし4月15日、4月22日と連続してKOされ、早々に二軍降格。 |
| ファームでも暴投を記録するなど芳しくない状態で、検査の結果右肩の故障が判明。 |
| 5月中旬から2週間ほどノースローで調整し、リハビリに時間を費やす事となった2007年5月18日付け、東京ヤクルトスワローズ公式ホームページ「ファーム情報」による。 |
| シーズン終盤に再び1軍昇格すると、10月4日の対横浜戦で登板し、8回途中無失点で切り抜けプロ初勝利をあげた。 |
| ただこの試合は鈴木健の引退試合だったため、試合後のヒーローインタビューが行われなかった。 |
| さらにこの試合でラミレスが右打者でプロ野球史上初のシーズン200本安打を達成したため、翌日のスポーツ新聞でも大きく取り上げられることはなかった。 |
| この年限りで引退した古田からは、ドラフト時に当たり籤を引いたこと、キャンプ時に「プロ投手の心得5カ条」を聞いたことの他、オフの引退時にも「今後も気になる存在」として名前をあげられるなど、何かと縁の多い関係となった。 |
| 契約更改では翌シーズンでの活躍が期待され、高津臣吾の背番号22を引き継いだ。 |
| プロ入り前から課題としてあげられていたように、球種と制球に悩まされる一年目となり、オフには多投できるツーシームを習得しようとしている。 |
| 一軍キャンプスタートで、先発投手として期待をかけられた。 |
| オープン戦では好調を維持し、3月18日には自己最速タイの152km/hを記録している。 |
| 初登板の4月2日に一軍登録され、5回3失点と苦しみながらも勝利で飾り、前年に続き開幕からローテーション入りした。 |
| シーズン計11試合に先発し、そこそこの成績を残していたが、5月6日、6月2日に登録を抹消されるなど、一軍定着にはいたらなかった。 |
| 5月26日の対東北楽天戦では、同期の田中将大との先発での投げ合いになったが、リック・ショートへの頭部死球が危険球と判断され、退場となる憂き目を見ている。 |
| 7月27日に登録を抹消され、その後故障が判明し一軍に上がることができなかった。 |
| 9月にはファームで復帰し、9月26日にはイースタン・リーグの優勝試合に登板している。 |
| 10月のフェニックス・リーグから、山部太の指導の下それまでのスリークォーターから肘を上げ、オーバースローにフォームを改造している2008年11月14日付け、東京ヤクルトスワローズ公式ホームページによる。 |
| ファームでの練習中に打球を顎に当て、骨折。 |
| 手術を受けることとなった。 |
| 当初はシーズン中の復帰は絶望的とみられていたが順調に回復をみせ、夏場には2軍での登板ができるまでになった。 |
| オーバースローでの投球からスリークォーターに再び戻し、9月2日の阪神戦に先発するも、球速・球威ともに足りず7失点でKOされた。 |
| 140km/hそこそこに落ちてしまった速球も150km/hを記録するまで回復し、その球威を買われ中継ぎとして初の開幕1軍スタートとなった(厳密にはローテーションの関係で開幕に登録されていないだけで、開幕1軍帯同は過去2回している)。 |
| 開幕からしばらくは主に敗戦処理やロングリリーフで登板し、5月13日のオリックス戦で打ち込まれるまで自責点0(失点3)と好調を維持し続けた。 |
| 夏頃からは勝ち試合での救援登板も増え、6月にはそれまで勝利の方程式を担っていた押本健彦の不調に伴い、小川淳司監督代行から直々に新・勝利の方程式に指名された。 |
| 夏場に一時離脱するも、57試合に登板し、チームに欠かせない戦力に成長した。 |
| チームが4試合連続白星なしという開幕の中で初登板をして8回無失点の好投を見せて3年ぶりの先発勝利を果たす。 |
| その後交流戦で大きく崩れるものの、前半戦で5勝をあげた。 |