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つながりの強いひと
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河口慧海
黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をお... |
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山口瑞鳳
日本の仏教学者、チベット学者。東京大学名誉教授、成田山仏教研究所客員研究所員。文学博士(東京大学、1979年)。石川県鳳至郡門前町(現・輪島市)生まれ... |
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今枝由郎
カリフォルニア州立大学バークレー校客員教授。フランス国籍を取得しており、元夫人のフランソワーズ・ポマレもフランス人チベット学者。現在は、日本人女性... |
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多田明子
元中部日本放送(CBC)のアナウンサー。愛知県名古屋市出身。 |
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青木文教
ダライ・ラマ13世の書簡やチベットから請来したコレクションが所蔵されている。 |
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能海寛
チベットを探検した真宗大谷派の僧、仏教学者。 |
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ツォンカパ
ツォンカパ(、1357年-1419年)はチベット仏教最大の学僧であり、代々のダライ・ラマの所属する宗派ゲルク派(黄帽派)の開祖。本名はロサン・タクパ(blobza... |
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ダライ・ラマ14世
第14代のダライ・ラマ。インドのダラムシャーラーに拠点を置くチベット亡命政府ガンデンポタンの長である。法名はテンジン・ギャツォ()。またチベット民族... |
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ポタラ
東京ヤクルトスワローズのファン。大学生活、自転車、プロ野球や私生活など、毎日書いていこうと思います。趣味が同じ方など、お気軽に訪問してください。 ... |
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寺本婉雅
愛知県海東郡出身で、日本人として3番目にチベットに入った東本願寺の僧である。 |
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獅子文六
日本の小説家、劇作家、演出家。本名は、岩田豊雄。演劇の分野では本名で活動した。日本芸術院会員、文化勲章受章。号は牡丹亭。弟の岩田彦二郎は札幌グラン... |
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矢島保治郎
矢島保治郎(やじまやすじろう、1882年(明治15年)8月23日-1963年(昭和38年)2月13日)は日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした... |
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内藤湖南
中国に於ける時代区分論争などで学会を二分した。 |
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東海林太郎
東海林太郎(しょうじたろう、1898年(明治31年)12月11日-1972年(昭和47年)10月4日)は歌手。ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う、戦前を代... |
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ルイ・ブレリオ
ルイ・シャルル=ジョゼフ・ブレリオ(LouisCharles-JosephBlériot,1872年7月1日-1936年8月2日)はフランス航空界の先駆者。 |
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木村肥佐生
木村肥佐生 『チベット潜行十年』 から 2009年07月11日 | 抜き書き もと毎日新聞社、1958年7月刊。
彼〔ガヤツェレン。カンパ人〕の話によると、この辺の者... |
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小田実
日本の作家・左翼運動家。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 |
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西川一三
日本の情報部員。日中戦争下に内モンゴルより河西回廊を経てチベットに潜行。戦後インドを経て帰国。 |
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阪田三吉
明治から昭和初期の将棋棋士。堺県大鳥郡舳松村(現在の大阪府堺市堺区協和町)出身。旧戸籍では坂田三吉(読みは同じ)。「吉」の正確な表記は「」(&x20BB7... |
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プロフィール
- 多田等観とは
- 出生からチベット僧との出会い
- インドを経てチベットへ
- チベットでの修行
- 帰国後
- 評価
- 著書
- 参考図書
- 関連サイト
多田等観(ただとうかん、1890年(明治23年)7月1日-1967年(昭和42年)2月18日)は僧侶、仏教学者。明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を修行。日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り、斯界の学識経験者として活躍した。
出生からチベット僧との出会い
| 秋田市土崎港の西船寺の住職の3男として生まれる。 |
| 家庭が6男2女の子だくさんであまり豊かではなかったため、小学校卒業時から檀家回りをして家計を助ける。 |
| 秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)卒業後、勉学のため京都にのぼり西本願寺に入籍、法要を手伝うようになる。 |
| 第二十二世法主の大谷光瑞にその才覚を認められ、ダライ・ラマ13世が派遣したチベットの高僧ら留学生3人の世話役と日本語教師を任される。 |
| 等観はその過程でチベット語を習得してしまうが、逆に3人には完璧な秋田弁を仕込んでしまったため日本語教師の役を外されてしまう。 |
インドを経てチベットへ
| 1909年(明治44年)に中国で辛亥革命が勃発。 |
| ダライ・ラマ13世は留学生に一時帰国するように暗号文で連絡を寄せる。 |
| 等観はすでに彼と親密であった留学生に請われて彼らのインド行きに同行することになる。 |
| そしてインドにてダライ・ラマ13世に謁見。 |
| その場でトゥプテン・ゲンツェンという名前を授かり、ラサにくるようにと要請を受ける。 |
| 1年のインド滞在の後、等観はイギリス官憲の監視の目を逃れるため変装してインドを出発。 |
| ヒマラヤ山脈を越える過酷な道程を、高山病に苦しみながらもほぼ裸足で走破し、1ヶ月でラサに到着する。 |
チベットでの修行
| ラサ到着直後に、ダライ・ラマ13世は等観に、正式なチベット仏教の修行を受けるよう命じ、その身をチベット三大寺院のうちのひとつのセラ寺に預ける。 |
| 同時に13世は等観に国際情勢の説明役の地位も与え、ポタラ宮などの主要宮殿への出入りを許可する。 |
| 等観は13世の寵愛を受け、異例の好待遇のもとで修行を続けるが、途中、日本での後見者の大谷光瑞が失脚。 |
| 等観への送金は不安定になり生活に窮するものの、生家の西船寺から送られた金襴などで何とか糊口をしのぐ。 |
| そしておよそ10年の修行ののち、名残惜しむ13世を背に、修行で得たゲシェー(博士)の学位と、門外不出のデルゲ版のチベット大蔵経全巻や、薬草、医学に関する秘蔵書や稀覯本など、13世が集めさせた24,000部余りの文献とともに日本に帰国する。 |
帰国後
| 1923年(大正12年)3月帰国。 |
| 翌1924年(大正13年)に東京帝国大学嘱託を経た後、1925年(大正14年)8月、東北帝国大学法文学部に着任する。 |
| 旧制中学卒という学歴の無さから周囲の無理解に絶えず苦しめられながらも、講義の傍ら、デルゲ版大蔵経と、蔵外文献の整理に当る。 |
| そして昭和9年「西蔵大蔵経総目録」を刊行。 |
| そして太平洋戦争と、アメリカのアジア文化研究所に招聘された期間の中断を挟んで、1953年(昭和28年)に大蔵経以外の文献の目録「西蔵撰述仏典目録」を刊行。 |
| この業績により等観は1955年(昭和30年)、共同で編纂にあたった学生らとともに日本学士院賞を受賞する。 |
| 1956年(昭和31年)、財団法人東洋文庫に迎えられ、ロックフェラー財団の支援にもと設立されたチベット学研究センターの主任研究員となり、その後は亡くなるまで後進の育成にあたった。 |
評価
| 等観自身があまり自分の体験をひけらかすようなタイプの人間ではなかったことと、旧制中学卒という学歴に対する差別意識などもあってか、同じチベット関係の仏教学者の河口慧海ほどには一般には認知されていないが、世界の仏教学の領域においては、その招来した膨大なテキストの歴史的意義とともに、きわめて重要な存在であることは間違いがない。 |
著書
| 『チベット』岩波新書赤版91、初版1942年、復刊2008年、同特装版1982年 。 |
| 『チベット滞在記』牧野文子編 白水社1984年、新装版1999年ISBN4560030340、講談社学術文庫、2009年 ISBN4-06-291946-X。 |
| 『多田等観全文集 チベット仏教と文化』 今枝由郎監修・解説編集、白水社 2007年。 |
参考図書
| 『多田等観―チベット大蔵経にかけた生涯』多田明子・山口瑞鳳共編 春秋社2005年ISBN4393199014。 |
| 『西蔵漂泊―チベットに魅せられた十人の日本人〈上〉』江本嘉伸山と溪谷社1993年ISBN4635280233。 |
| 『西蔵漂泊―チベットに魅せられた十人の日本人〈下〉』江本嘉伸山と溪谷社1994年ISBN4635280241。 |
| 『チベットと日本の百年―十人は、なぜチベットをめざしたか』日本人チベット行百年記念フォーラム実行委員会(編)新宿書房2003年ISBN4880082821。 |
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