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つながりの強いひと
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北の湖敏満
北海道有珠郡壮瞥町出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士、第55代横綱。引退後は、一代年寄北の湖となる。現在日本相撲協会理事。第9代日本相撲協会理事長(2... |
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若嶋津六夫
鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士。最高位は大関。身長188cm、体重122kg。本名は日高六男(ひだかむつお)。現在は年寄... |
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坂上みき
大阪府八尾市出身のラジオパーソナリティ、ナレーター、タレント。元テレビ新潟アナウンサー。 |
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浅田美代子
日本の女優、タレント、元アイドル歌手である。愛称は「美代ちゃん」「美代子さん」。東京都港区出身。身長157cm、血液型はB型。所属事務所は芸映プロダクシ... |
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出羽海
出羽海(でわのうみ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつである。初代から5代までは出羽ノ海であったが、角聖と呼ばれた5代・出羽ノ海(元第19代横綱・常陸山... |
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高見山酉之助
大相撲の力士。新治県海上郡(現在の千葉県銚子市)出身。最高位は関脇(1910年1月場所)。本名吉岡酉之助。現役時代の体格は173cm、139kg。 |
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貴闘力忠茂
兵庫県神戸市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。大嶽部屋所属の若闘力駿磁は甥。 |
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玉春日良二
愛媛県東宇和郡野村町(現在の西予市)出身で片男波部屋所属の元大相撲力士。身長182cm、体重154kg。最高位は西関脇(1997年7月場所)。得意手は突き、押し。... |
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金剛正裕
北海道雨竜郡一已村(現在の深川市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は北村正裕(きたむらまさひろ、旧姓は吉沢)。現役時代の体格は184cm、11... |
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隆の里俊英
青森県南津軽郡浪岡町(現在の青森市)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士、第59代横綱。本名は高谷俊英(たかやとしひで)、現役時代は身長183cm、体重159k... |
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琴錦功宗
琴錦功宗(ことにしきかつひろ、1968年6月8日-)は群馬県群馬郡箕郷町(現・高崎市)出身の元大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋所属。本名は松澤英行。最高位は東関脇... |
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玉乃海太三郎
大分県大分市出身で二所ノ関部屋の元大相撲力士。最高位は関脇。全盛期の体格は181cm、122kg。 |
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時津風
時津風部屋の高橋が受検/春場所の新弟子検査 2009/03/07 17:27 メールで記事を紹介 印刷する 一覧へ 新弟子検査を終え、時津風親方(右)と握手する高... |
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琴富士孝也
千葉県千葉市花見川区出身。本名は小林孝也(こばやしたかや)。身長192cm、103kg(大相撲時代は、身長192cm、150kg)。得意手は突っ張り、左四つ、吊り、寄... |
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寺尾常史
鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身(生まれは東京都墨田区)で井筒部屋所属の元大相撲力士。得意技は突っ張り、いなし。最高位は関脇。本名は福薗好... |
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井出洋介
井出洋介(いでようすけ、1956年2月15日-)は競技麻雀のプロ雀士である。最高位戦日本プロ麻雀協会元代表、日本健康麻将協会元代表、麻将連合-μ-(ミュー)前... |
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玉椿憲太郎
玉椿憲太郎(たまつばきけんたろう、1883年(明治16年)11月10日-1928年(昭和3年)9月19日)は富山県中新川郡下条郷上砂子坂村(現・富山市)出身の大相撲の... |
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勝ノ浦
日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代が千葉県勝浦町出身であったことから、年寄名として名乗ったことに由来する。
代目!!引退時しこ名!!最高位!!所属部... |
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太寿山忠明
新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。身長183cm、体重159kg。本名は坂爪忠明(さかづめただあき)。得意... |
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魁輝薫秀
友綱部屋に所属した元大相撲力士。最高位は東関脇(1979年7月場所)。青森県上北郡七戸町(現役時代は天間林村で、場内放送の出身地紹介では〈村〉を省いてア... |
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プロフィール
- 多賀竜昇司とは
- 来歴
- 1984年9月場所の平幕優勝
- エピソード
- 通算成績
- 各段優勝
- 三賞・金星
多賀竜昇司(たがりゅうしょうじ、1958年(昭和33年)2月15日-)は、茨城県日立市出身(本籍は茨城県北茨城市)で、鏡山部屋に所属した元大相撲力士。最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。現役時代の体格は178cm、142kg。本名は黒谷昇(くろたにのぼる)。現在は、年寄・鏡山。
来歴
| 小学生の頃はあまりにも元気がありすぎて、5年生の時にサッカーのゴールポストで逆上がりしてポストごと倒れ、顔に17針も縫う傷を負ったりもした。 |
| 中学時代は野球部に所属し、捕手でキャプテンを務めた。 |
| 中学卒業後は職業訓練所に通い溶接の技術を学んだ。 |
| 訓練所を卒業直前に就職先も決まったが、近所の建設業者が元横綱・柏戸の贔屓だった縁で鏡山親方(柏戸)に紹介されて入門し、1974年3月場所に初土俵を踏んだ。 |
| 多賀竜という四股名は出身中学に因んで名付けられたものである。 |
| 取的時代は十両・魄龍の付け人を務めた。 |
| 1981年1月場所に新十両、1982年5月場所には新入幕を果たした。 |
| 1983年11月場所には新関脇に昇進したものの5勝10敗の成績に終わる。 |
| 1984年5月に母が交通事故で亡くなってからは、せめてもの供養にとそれまで以上に懸命に土俵を勤め、蔵前国技館で行われた最後の本場所となった同年9月場所では13勝2敗の成績を挙げて見事に平幕優勝を飾った。 |
| この場所では敢闘賞と技能賞も同時に受賞している。 |
| さらに2場所後、両国国技館の杮落としとなった1985年1月場所では横綱・北の湖と2日目に対戦し完勝。 |
| 北の湖はこの敗戦を最後に引退し、大横綱・北の湖の現役最後の対戦相手としても名を残した。 |
| その後は持病の痛風の悪化などにより目立った活躍はできなかったが、1988年7月場所には十両で優勝し、若浪に続く「天皇賜杯拝戴者の十両優勝」となった。 |
| 現役晩年は十両と幕内との往復が続き、1991年5月場所中に引退を表明、年寄・勝ノ浦を襲名した。 |
| 蔵前国技館で幕内最高優勝を経験した力士としては現役最後の力士ともなった(千代の富士と同じ場所での引退だが、多賀竜のほうが数日長く取った)。 |
| 1996年12月、師匠が亡くなった後に年寄・鏡山を襲名し鏡山部屋を継承した。 |
| 長男も鏡山部屋に入門し、竜聖の四股名で相撲を取っている。 |
| 2006年11月場所7日目、審判部として土俵下で勝負審判を務めていた際、豊ノ島と安壮富士との一番で押し出しで敗れた安壮富士が土俵下に転落し、124kgの体重で鏡山の右すねを踏んだため、あまりの痛みに悶絶し翌日から休場。 |
| 本人は「現役時代にも経験したことのない痛み」と評した。 |
| 2010年2月に日本相撲協会理事選挙に立候補して当選、現在は理事を務めている。 |
1984年9月場所の平幕優勝
| 蔵前国技館で行われる最後の本場所となった1984年9月場所において、多賀竜は西前頭12枚目まで下がっていて、負け越すと幕内の座が危なくなるため、まずは勝ち越して幕内に残ることを考えて土俵に臨んだ。 |
| 多賀竜は初日から快調に勝ち進み、中日には多賀竜ひとりだけが8戦全勝で勝ち越す状況となった。 |
| しかしながら、この場所は前場所全勝優勝した大関・若嶋津の綱獲りが懸かった場所で、しかも中日の時点で若嶋津はまだ1敗であった。 |
| 加えて幕内2場所目の小錦が「小錦旋風」と呼ばれるほどの活躍を見せていたため、ほとんどの相撲関係者や好角家の注目は若嶋津や小錦のほうに集まり、多賀竜に関してはいずれ脱落するだろうという見方が強かった。 |
| しかし多賀竜は9日目に平幕の栃剣に敗れたのみで、終盤まで優勝争いのトップを維持していた。 |
| 若嶋津は12日目に小錦に敗れて2敗となり、14日目には1敗で単独トップの多賀竜と2敗の若嶋津が星1つの差で直接対戦することとなった。 |
| だがこの時困ったのは、実は多賀竜の師匠の鏡山親方であった。 |
| 鏡山親方は当時の審判部長で、14日目に多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士の割を組んだことで、横綱・千代の富士対大関・若嶋津の割が組めなくなった。 |
| それにより若嶋津がこの場所優勝して2連覇を果たしたとしても、対戦相手の内容に問題が出て横綱に推挙しづらくなってしまった(千代の富士は前場所を休場していて、その場所で若嶋津は千代の富士と対戦せずに全勝優勝している)。 |
| もし多賀竜が負けて優勝争いがもつれれば師匠を困らせるところだったが、多賀竜は若嶋津戦に見事に勝利し、13勝1敗と優勝に王手をかけた。 |
| しかし翌日の千秋楽での対戦相手に2日連続での大関との対戦となる朝潮との割が組まれた多賀竜は、もし2敗で追う小錦が本割で琴風に勝利して小錦との2敗同士の優勝決定戦になれば、自分は絶対に不利だと思っていたという(本割で多賀竜と小錦は6日目に対戦、この時は多賀竜が勝利)。 |
| 琴風と支度部屋のトイレで偶然出会った時に、多賀竜は琴風に対して思わず「大関、がんばって(小錦関に)勝ってください!」と言うと、真面目一本の琴風は多賀竜に対して「任せておきなさい!」と答えたという。 |
| そして千秋楽の本割、琴風対小錦の対戦は2分を超える長い相撲となったが、最後は琴風が小錦を下手投げで下し、この時点で多賀竜の平幕優勝が決定した。 |
| 多賀竜はその瞬間には土俵下の控えに座っていて、その席で優勝した喜びの気持ちをずっと我慢していたという。 |
| 多賀竜は当日の対戦では朝潮に敗れて最終的には13勝2敗の成績となった。 |
| なお鏡山親方(柏戸)と力士時代に柏鵬時代を築いていた大鵬親方は、自分の弟子から優勝力士を出すことができなかったため、親方としての勝負ではライバル柏戸に負けたと考えている節がある。 |
エピソード
| 上記の通り、北の湖の最後の対戦相手であったが、北の湖が引退する前の場所(1984年11月場所)の5日目に北の湖は多賀竜に勝った。 |
| 北の湖は次の日に負けて途中休場するが、結果的に北の湖は多賀竜から最後の白星と黒星を得ている。 |
| 同じく最高位が関脇の力士同士でありながらもなぜか太寿山には弱く、初顔から17連敗と一方的に負けていた。 |
| 1990年5月場所において18度目の対戦でようやく太寿山から初白星を挙げた(最終的な対戦成績は1勝18敗)。 |
通算成績
| 通算成績:557勝621敗10休 勝率.473。 |
| 幕内成績:321勝407敗7休 勝率.441。 |
| 現役在位:103場所。 |
| 幕内在位:49場所。 |
| 三役在位:2場所(関脇1場所、小結1場所)。 |
| 対横綱戦:2勝18敗(隆の里1勝、北の湖1勝)。 |
| 対大関戦:3勝32敗(北天佑1勝、若嶋津1勝、大乃国1勝)。 |
各段優勝
| 幕内最高優勝:1回(1984年9月場所)。 |
| 十両優勝:1回(1988年7月場所)。 |
三賞・金星
| 敢闘賞:1回(1984年9月場所)。 |
| 技能賞:1回(1984年9月場所)。 |
| 金星:1個対北の湖。 |
| 1985年1月場所2日目。 |
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1984年
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母が交通事故で亡くなってからは、せめてもの... |
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1985年
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金星:1個(対北の湖。場所2日目) |
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