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つながりの強いひと
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青木康
日本の俳優。千葉県出身。身長174cm。血液型B型。趣味は囲碁、将棋、麻雀。特技はスノーボード、カクテル作り。スターダストプロモーション所属。 |
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千代の富士貢
大相撲元力士で、第58代横綱。北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄・九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。岳父は... |
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芝田山
日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、大関・雷電震右エ門が阿武松の襲名をするにあたり相撲会所の重鎮と折り合いが悪く認められず、初代・芝田山を名乗ったこ... |
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北勝海信芳
年寄・八角信芳(はっかくのぶよし)として八角部屋(高砂一門)の師匠。日本相撲協会監察委員・指導普及部委員。 |
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青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋所属の元大相撲力士、第63代横綱。本名は杉野森正也(すぎのもりせいや)。現役時代の体格は身長189cm... |
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アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で、東関部屋の元大相撲力士、チーム・ヨコヅナ所属の現役プロレスラー、タレント。大相撲時代の最高位は第64... |
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元大相撲力士であり、第65代横綱である。相撲部屋は、入門時には藤島部屋、後に二子山部屋所属。現在は、一代年寄・貴乃花として、貴乃花部屋(無所属、元は... |
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名前 芝田山 康(現役時 大乃国) 本名 青木 康 生年月日 昭和37年(1962年)10月9日 身長・体重 189cm 203kg 星座 天秤座 出身地 北海... |
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モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱。現在は実業家、タレントとしてマルチに活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドル... |
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隆の里俊英
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北海道旭川市(出生地は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士で第52代横綱。現役当時は「現代っ子横綱」と呼ばれた。本名は竹澤勝昭(たけざわかつあき)。九重... |
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旭富士 あさひふじ ( スポーツ ) 編集 注目の求人情報 [求人] 株式会社 セトプリントへの正社員転職 募集内容:法人営業★当社サービス「mygraph(マイグラ... |
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大鵬幸喜
元大相撲力士。第48代横綱である。身長187cm。血液型はB型。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉で育った。 |
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千代大海龍二
大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属の元大相撲力士。本名は須藤龍二(すどうりゅうじ)、旧姓は廣嶋(ひろしま)。現役時代の体格は身... |
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プロフィール
- 大乃国康とは
- 入門~入幕
- 入幕~関脇
- 大関時代
- 横綱時代
- 現役引退
- 親方として
- エピソード
- 関連サイト
大乃国康(おおのくにやすし、本名:青木康(あおきやすし)、1962年10月9日-)は大相撲の力士で、第62代横綱。北海道河西郡芽室町出身。身長189cm、体重は最大で211kg。現在は年寄・ 芝田山。スイーツ(菓子、デザート)が 大好物であることで知られ、最近はスイーツに関するバラエティ番組に出演することも度々あることから、「スイーツ親方」のニックネームで親しまれている。有名人2大スイーツの帝王でもある。(もう一人は俳優の 的場浩司)
入門~入幕
| 中学時代は柔道部に所属。 |
| 地元に巡業が来た際に土俵に上がったのをきっかけに、当時現役だった魁傑に誘われ花籠部屋に内弟子として入門し、1978年3月場所で初土俵を踏んだ。 |
| 1981年に、引退した魁傑改め放駒が興した放駒部屋に移籍。 |
| 早くから部屋のホープとして期待され、1982年3月場所で十両昇進、翌1983年3月場所で新入幕と順調に出世した(ちなみに旭富士と同時新入幕であった)。 |
| 最も重いときには211kgという雄大な体格で、相手を寄りで圧倒する取り口。 |
| 189cmという上背を生かした上手投げも武器だった。 |
| しかし得意の右四つに組止められないと下位相手に取り零す脆い面もあった。 |
| 入門時は100kgもなく「長身で細い印象だった」という。 |
入幕~関脇
| 新入幕の場所を勝ち越し、4場所目の1983年9月場所には新小結昇進。 |
| この座は1場所で明け渡したものの、東前頭3枚目で迎えた11月場所では北の湖、千代の富士、隆の里の3横綱を破る金星3個獲得の活躍を見せ、10勝5敗で初の三賞(殊勲賞)を受賞。 |
| 特に横綱昇進後、18連勝と負け知らずだった隆の里を堂々真っ向から破った1番は特筆すべきものであった。 |
| 翌1984年1月場所では新関脇、この場所9勝して地位を保つと、次の3月場所では3横綱3大関を破り10勝を挙げ、殊勲・敢闘賞を獲得するが、下位に対する取り零しの多さが課題として残った。 |
| 5月場所、最初の大関獲りで4日目までに3勝と順当だったが、5日目、この場所奇跡的な復活を見せた横綱北の湖に敗れてから調子を狂わせ、6勝9敗と大関挑戦は失敗に終わった。 |
| 平幕に落ちた7月場所は10勝で殊勲賞と持ち直し、蔵前国技館最後の場所となった9月場所では初日から好調で9日目に千代の富士を土俵際の掬い投げに破り、勝ち越し。 |
| 初優勝の期待をもたせたが、10日目、すでに負け越し決定と不振の関脇逆鉾の出足に苦杯を喫し、さらにこの場所、旋風を巻き起こした平幕の多賀竜、小錦の勢いにも屈し、10勝止まり。 |
| その後3場所を一桁勝ち星と、不振の場所が続くが1985年5月場所、前に出る攻撃相撲が増え復調、東関脇で迎えた7月場所では終盤まで優勝を争い12勝を挙げる。 |
| それまでの直前3場所の成績は9勝-10勝-12勝の合計31勝14敗で、大関昇進の基準となる通算33勝以上には物足りなかったものの、前年9月から6場所連続で関脇の地位に定着していたことや将来性も期待されて、やや甘めながら大関昇進が決定した。 |
大関時代
| 大関昇進後は12勝、11勝と着実に星を残し、この頃は千代の富士に次ぐ実力ナンバー2と目され、横綱候補の筆頭であった。 |
| 1986年1月場所、13日目まで1敗で、星一つの差を付ける千代の富士との14日目の直接対戦に初優勝を賭けたが極度の緊張から力を出し切れず敗れ、千秋楽も北尾(のち第60代横綱・双羽黒)の引きにバッタリ倒れ、優勝決定戦すら出られず、結局優勝を逃す。 |
| 翌3月場所に横綱挑戦権が与えられたものの現在では12勝の準優勝程度では綱獲りと騒がれることはない。 |
| 、序盤で2敗を喫し、9勝6敗に終わりチャンスを逃した。 |
| 続く5月場所3日目逆鉾に寄り切られた際、右足を骨折。 |
| この場所はそれでも休まず11勝をあげたが、この無理がたたり約1年間低迷する。 |
| それまで新勢力の一番手と見なされてきたが、この過程で優勝では北勝海に、横綱昇進では双羽黒に、共に大乃国より1年年下の花のサンパチ組(昭和38年生まれ)の力士にそれぞれ先を越されてしまっている。 |
| それでも11月場所には千代の富士を土俵際の投げで破った際、失神させたり、初優勝を目指す横綱双羽黒に連勝したり、優勝を決めた大関北勝海を破るなど、随所に存在感は見せつけたが、下位に対する取り零しは相変わらず多く、成績は1場所を除き一桁勝ち星と期待を裏切り続けた。 |
| しかし1987年5月場所は初日から見違えるような安定した相撲で連勝を続けて、千秋楽には当時横綱昇進が掛かっていた、同郷(北海道十勝地方出身)のライバル・大関北勝海を下して、見事15戦全勝で初の幕内最高優勝を果たした。 |
| 横綱昇進がかかった7月場所は千秋楽では前場所とは逆に、この場所第61代横綱に昇進した北勝海に痛い敗戦を喫し、12勝3敗で惜しくもチャンスを逸した。 |
| それでも横綱挑戦権は継続され、次の9月場所は13勝2敗と順調に星を重ねて、場所後に横綱昇進を果たした。 |
| 昇進直前の2場所は優勝者と2差、1差のともに次点であるが、直前3場所通算の成績は40勝5敗で、近年では貴乃花の41勝4敗に次ぐ高い数字(当時としては最高)である。 |
| しかし次の第63代横綱となる旭富士の時から、横綱昇進の条件は大関の地位で2場所連続優勝する事が原則となった旭富士も大関時代の1989年1月から5月にかけて、大乃国の横綱昇進時と同じ3場所通算で40勝5敗という成績を残した。 |
| しかしこの時は双羽黒廃業後、横綱昇進基準厳格化の煽りを受けて昇進が見送られる。 |
| その後翌1990年5月と7月に2場所連続優勝を果たし、横綱に昇進した。 |
| ため、現在大乃国が大関で連覇を果たせず昇進した最後の横綱である。 |
横綱時代
| 新横綱となった1987年11月場所は、極度の緊張からか動きが悪く序盤で3連敗を喫した。 |
| 中盤、立ち直ったかに見えたが終盤も黒星を重ね、最後はギリギリ勝ち越しの8勝止まり(皆勤した新横綱としてワースト記録)に終わる。 |
| 翌1988年1月場所では前場所中の太りすぎの反省から、食事を減らし減量したものの、これが力が入らない、という裏目に出て肝機能障害で途中休場し、引退危機と騒がれた。 |
| 早くも進退を懸けることとなった横綱3場所目の3月場所は、序盤で2連敗したがその後連勝を続け13勝2敗、千秋楽では本割と優勝決定戦で横綱北勝海を倒して、5場所振り2度目の幕内最高優勝、横綱として初優勝を果たした。 |
| しかしその後は千代の富士・北勝海の九重部屋勢の活躍に押され、自身何度も終盤まで優勝争いには加わるも、幕内優勝は一度も果たせなかった。 |
| それでも横綱としての最大の見せ場は、1988年11月場所の千秋楽、昭和時代最後となった結びの大一番で、同場所14日目まで53連勝中だった千代の富士を、怒涛の寄り倒しで土をつけ54連勝目を阻止、歴史的な場面を演出したことだろう。 |
| 千秋楽前日の夜、師匠放駒が「どうせ今のお前じゃ何をやっても勝てないんだから、ヒヤッとさせる場面くらいは作って来いよ」と言われたが、逆に「千代の富士の連勝は俺が止めてやる!」と闘志に火がついたという。 |
| 千秋楽当日の早朝、大乃国は普段より2時間早く稽古場に姿を現し、徹底的に千代の富士対策を行なったという。 |
| 取組後の報道陣のインタビューに対して「俺だって横綱だ」と珍しく声を荒らげた。 |
| 後日千代の富士はこの話を聞いて「全然知らなかった。 |
| 俺はその頃明日は楽勝だと2、3軒飲み歩いていた。 |
| あの時俺の特番の撮影のためにマスコミもいたんだ。 |
| どうして教えてくれなかったのか。 |
| 」と苦笑いしながら語っている。 |
| 平成に入ってからは、体重が増加したことに伴う睡眠時無呼吸症候群や脚の故障に苦しんだ。 |
| 体重の増加は意図的なものではなく、太りやすい体質によるものであった読売「大相撲」平成元年4月号・「北出清五郎のやあこんにちは」での本人談「180キロが理想体重。 |
| (中略)関脇のころが最高だった。 |
| 200キロはムリがあると思うがなろうと思ってなったんじゃない、なってしまった。 |
| 前記の症状を特殊な器具を使うことで克服する過程で体重が筋肉とともに落ち、体にも張りがなくなった。 |
| この影響で、千秋楽まで優勝争いを演じた1989年5月場所で一旦活躍は途切れ、その後2年近く低迷する事となる。 |
| 翌9月場所も不調で14日目の千代の富士戦で敗れ7勝7敗、そして勝ち越しをかけた千秋楽の北勝海戦でも敗北し、7勝8敗と負け越してしまった。 |
| 横綱が皆勤して負け越すのは史上5人目(6例目)、しかも15日制が定着してからは初めての不名誉な記録だった丁度10年後の1999年9月場所で、3代若乃花(第66代横綱)も7勝8敗の皆勤負け越しを喫した。 |
| 一旦は引退届を提出するも、当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)に慰留されて現役を続行する。 |
| 一場所休場したあとの1990年1月場所で復帰し、どうにか勝ち越すことは出来た。 |
| しかし8勝3敗から終盤4連敗し、しかも千秋楽の千代の富士戦では左足首の靱帯を断裂、更に骨折するという悲惨な結末となり、その故障が長引き4場所連続全休する羽目になる。 |
| 同年11月場所で復帰、序盤で平幕にあっさり負けるなど2敗を喫し、相撲振りは決して良くなかったが、千秋楽に前日優勝を決めた千代の富士に土をつけ、何とか10勝5敗で引退の危機を免れた。 |
| 1991年1月場所も10勝5敗に留まったが、翌3月場所での大乃国は1989年5月以来11場所振りに終盤まで優勝を争い、ようやく復活の兆しを見せたかに思えた。 |
| 3月場所14日目、12勝1敗同士の直接対決で北勝海は大乃国に勝利しながらも膝を負傷、翌日千秋楽をまともに戦える状態でなく、万一大乃国との優勝決定戦になった場合北勝海はどう戦うか悩んでいたとのことである。 |
| しかし北勝海の故障に気が付かなかった大乃国は、前日まで極度の不振だった大関霧島によもやの敗北で12勝3敗、またしてもあと一歩で北勝海(旭富士に敗れ13勝2敗)に幕内優勝を奪われてしまった(このように大乃国は相手が不振や弱敵であっても、常に安心して見ていられない不安定さがあった)。 |
| 今度こそ優勝を、と雪辱を期すはずだった翌5月場所は、不運にも蜂窩織炎による高熱と右膝関節を痛めて、またも全休となった。 |
現役引退
| 安芸ノ島戦での負けた内容が「明日に繋がらない相撲」と悟った大乃国は、この7月場所限りで現役引退を表明した(またこの時本人は引退したくなかったが、時の二子山理事長が続投を許さなかったという話もある)。 |
| なお横綱の28歳9ヶ月での引退は、廃業した双羽黒や現役中に死亡した玉の海を除けば、栃ノ海の28歳8ヶ月に次ぐ若さだった。 |
| この際、年寄・芝田山を取得していたが、当時の芝田山親方(小結・宮錦)が停年まで10ヶ月ほどだったため、5年期限付きの年寄・大乃国を襲名し芝田山の停年を待った。 |
| しかし、元・宮錦の退職後、元・若獅子に年寄名跡を一時的に貸すことになり、1993年の3月場所後にようやく芝田山を襲名した。 |
| 引退相撲は1992年5月場所後に行われた。 |
| また、引退相撲での横綱土俵入りの露払いと太刀持ちは、従来は現役横綱の二人が務めていたが、当時5月場所前に一人横綱だった北勝海が引退となり、横綱空位となっていた。 |
| そのため、当時の二子山部屋の現役幕内力士の隆三杉(露払い)と三杉里(太刀持ち)を指名、最後の土俵入りが披露された(大乃国以降、元横綱の引退相撲での土俵入りは、現役横綱では無く大関以下の現役幕内力士が露払いと太刀持ちを務めるケースが多くなっている)。 |
| 横綱昇進後は1度しか優勝できず、その優勝も1988年3月場所の横綱北勝海と優勝決定戦の末であった。 |
| 当時は優勝決定戦の勝敗は翌場所の番付には反映されず、1988年5月場所の番付は東横綱が優勝同点だった北勝海、西横綱に優勝した大乃国だった。 |
親方として
| 芝田山襲名後、しばらくの間は放駒部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、1999年6月に独立・芝田山部屋を開いた。 |
| 横綱・大関経験者が引退・年寄名跡襲名後も部屋付き親方として長期間在籍した後、独立・部屋創設に至ったことは、(日本相撲協会からの退職を除けば)非常に珍しいことである(実際には、部屋を譲渡され、そのまま部屋持ち親方となる例が少なくない)。 |
| 2008年3号よりダイヤモンド社の隔週刊テレビ情報誌「TVステーション」にて、「親方に訊け!」というコラムを連載している。 |
| また2008年3月31日から、『ゆうどきネットワーク』(NHK総合テレビジョン)にて「芝田山親方のごっつあんスイーツ」のコーナーを担当している(大相撲千秋楽の翌日など、月曜の出演が多い)。 |
| 現役時代はきまじめで無口な横綱という印象だったが、引退後にスポーツニュースやNHK大相撲中継に出演すると、実際は話がうまく、解説が上手と評判の舞の海秀平が上手に説明できないような相撲内容も詳しくわかりやすい解説を披露し人々を驚かせた。 |
| 甘党だからと言って下戸と言う訳ではなく、また甘いものの過剰摂取による糖尿とも無縁。 |
| 2010年9月6日、弟子の元十両・大勇武龍泉から、引退は親方から強制されたものであるとして損害賠償を求める訴訟と暴行罪での被害届が提出されている事が明らかになった。 |
| 芝田山はこれにより29日書類送検されたが、2011年1月に起訴猶予処分となっている元大乃国の芝田山親方を起訴猶予処分弟子暴行事件asahi.com2011年1月25日。 |
エピソード
| 2006年9月にはこの趣味を活かして、『第62代横綱大乃国の全国スイーツ巡業』(日本経済新聞社ISBN4532165687)を出版した。 |
| また、新十両昇進が決まった弟子の大勇武には記者会見で祝いのケーキ(現役時代の自身の似顔絵入り)を渡した。 |
| 2007年6月30日放送のテレビ朝日『ザ・クイズマンショー』では数々のスイーツに関するクイズを回答、優勝した。 |
| 1985年7月、大関に昇進したばかりの北海道巡業中、日本テレビの『第4回全国高等学校クイズ選手権』北海道予選の取材を受け、「東京に来て、最初に出くわした嫌いなモノは?」という問題を高校生に出題した。 |
| 正解はゴキブリで、「入門当時、力士たちの集う部屋に入り、足元にうろつくゴキブリを見た瞬間うつ伏せになってしまい、しばらく何も出来なかった」と司会の福留功男に話していた。 |
| 2008年7月28日放送のNHK『鶴瓶の家族に乾杯』で、ベトナム・ホイアンを旅し、現地の子どもたちに相撲を教えた。 |
| 2010年1月1日放送の日本テレビ『笑点』の新春スペシャルに出演した際には自らネタにした。 |
| 2010年1月6日にテレビ朝日系で放送された『史上最強のメガヒットカラオケBEST100完璧に歌って1000万円』内のコーナー「採点カラオケNo.1決定戦」で優勝し賞金30万円を獲得した。 |
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1962年
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大乃国 康(おおのくに やすし、本名:青木 ... |
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1981年
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引退した魁傑改め放駒が興した放駒部屋に移籍 |
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大乃国康さんについてのひとこと紹介
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