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つながりの強いひと
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山上憶良
奈良時代初期の歌人。万葉歌人。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。 |
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大伴家持
大伴家持(おおとものやかもち、養老2年(718年)頃-延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言... |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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山部赤人
奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。山部足島の子とする系図がある。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。 |
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中西進
日本の古典文学研究者、比較文学研究者、万葉学者、奈良県立万葉文化館館長、池坊短期大学学長、国際日本文化研究センター・京都市立芸術大学・大阪女子大学... |
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柿本人麻呂
飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表... |
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大伴坂上郎女
『万葉集』の代表的歌人。大伴安麻呂と石川内命婦の娘。大伴稲公の姉で、大伴旅人の異母妹。大伴家持の叔母で姑でもある。『万葉集』には、長歌・短歌合わせ... |
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長屋王
奈良時代の皇族、公卿。正二位左大臣。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。 |
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額田王
額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみとも、生没年不詳)は斉明朝から持統朝に活躍した、日本の代表的な女流万葉歌人でありまた天武天皇の妃(一説に采女... |
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聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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藤原房前
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての貴族。藤原不比等の次男。正三位、参議。贈正一位、太政大臣。 |
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大津皇子
大津皇子(おおつのみこ、663年(天智天皇2年)-686年10月25日(朱鳥元年10月3日))は天武天皇皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天... |
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大伴安麻呂
父
日本の飛鳥時代から奈良時代の人物。姓は連、後に宿禰。大納言大伴長徳の六男。大納言兼大将軍正三位、贈従二位。672年の壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)... |
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小野老
奈良時代の歌人、官人。系譜は明らかでないが一説では中納言小野毛野の子。最終官位は従四位下・大宰大弐。 |
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高市皇子
日本の飛鳥時代の人物で、天武天皇の皇子(長男)である。旧仮名遣いでの読みは同じ。後皇子尊(のちのみこのみこと)と尊称される。672年の壬申の乱勃発時、... |
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高橋虫麻呂
奈良時代の万葉歌人。姓は連。高橋氏(高橋連)は物部氏の一族である神別氏族。719年(養老3年)頃、藤原宇合が常陸守であった頃に宇合の下僚となり、以後宇... |
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藤原京
飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城である。また、日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を布いた本格的な唐風都城でもある... |
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中臣宅守
越前市のホームページへ戻る▲
華やかな天平文化が栄える平城京で、一つの悲しい恋の物語が生まれました。
中臣宅守は、... |
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坂本信幸
奈良女子大学名誉教授 坂本 信幸 『「万葉集」は世界に誇る書かれた文化遺産です。その万葉集の魅力をより多くの人に知っていただきたい。そういう思い... |
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志貴皇子
飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。芝基皇子または施基皇子(施基親王)、志紀皇子とも記す。天智天皇の第七皇子。位階は二品。 |
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プロフィール
- 大伴旅人とは
- 経歴
- 作品
- 系譜
- 参考文献
- 関連項目
大伴 旅人(おおとものたびと、 天智天皇4年(665年)-天平3年7月25日(731年8月31日)は奈良時代初期の貴族、歌人。大納言・ 大伴安麻呂の子。官位は従二位・大納言。
経歴
| 718年(養老2年)に中納言に任じられる。 |
| 720年(養老4年)山背摂官となり、その後、2月29日、大隅国守の陽侯史麻呂殺害に端を発した隼人の反乱の報告を受け、3月4日に征隼人持節大将軍として任命され、隼人の反乱を鎮圧した。 |
| この時、正四位下(『続日本紀』)。 |
| 『続紀』6月17日条に、隼人戦で旅人が原野に野営してすでに1ヶ月にもなったとの報告があり(従って、旅人が軍営を張ったのは5月頃)、8月12日条には、報告の為に旅人が一時入京し、隼人の平定はまだの為、副将軍達は駐屯を命じられているなど、常に九州南部に留まっていなかった事が記述されている。 |
| 721年(養老5年)正月5日、従三位を授けられる(征西将軍任命から9ヶ月後)。 |
| 神亀年間(724年-729年)には、大宰帥として九州の大宰府に妻と子(家持・書持)を伴って赴任し、山上憶良とともに筑紫歌壇を形成した。 |
| 妻を大宰府で亡くした後には大伴坂上郎女が西下し、家持、書持兄弟を養育している。 |
| 730年(天平2年)大納言に任じられ京に戻り、翌731年(天平3年)従二位に昇進するが、まもなく病を得て没した。 |
| 政治的には長屋王派とされている。 |
| 漢詩集『懐風藻』に漢詩作品が収められ、『万葉集』にも和歌作品が78首選出されているが、和歌の多くは大宰帥任官以後のものである。 |
| 酒を讃むるの歌十三首国歌大観番号0338-0350を詠んでおり、酒をこよなく愛した人物として知られる。 |
| 『新古今和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に13首が入集『勅撰作者部類』。 |
作品
| やすみししわご大君の食国(おすくに)は倭も此処も同じとぞ思ふ-任地の大宰府で都を偲ぶ歌。 |
| わが苑に梅の花散る久方の天より雪の流れくるかも-「梅花の宴」で詠んだ歌。 |
| 験(しるし)なきものを念(おも)はずは一坏(つき)の濁れる酒を飲むべくもあるらし訳・かいのない事など思い悩まないで、一杯の濁り酒を飲むのがよいようだ。 |
| -『万』巻三・雑歌338。 |
参考文献
| 太宰府市編『太宰府市史』2004年。 |
| 森弘子『太宰府発見』海鳥社、2003年、ISBN4-87415-422-0。 |
| 前田淑『大宰府万葉の世界』弦書房、2007年、ISBN902116-78-6 。 |
| 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年、ISBN978-4-86329-026-6。 |
関連項目
| 二日市温泉-大宰府赴任時に妻を亡くし、この温泉にて句を読んだ。 |
| 鞆の浦-大宰府離任時に立ち寄った際、赴任途中には一緒で存命で元気だった妻を想い悲しみの句を詠んだ。 |
| 征隼人持節大将軍。 |
| 薦神社-由緒が、旅人が隼人の反乱を平定しに行った事と関連する。 |
| 三野石守-旅人の従者で歌人。 |
| pms:ŌtomonoTabito。 |
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