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プロフィール
- 大植英次とは
- 生誕~大阪フィルハーモニー交響楽団以前
- 大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任以降
- 録音
- 受賞歴
- 逸話
- 関連サイト
大植英次(おおうええいじ、1957年10月3日-)はクラシック音楽の指揮者で、現在、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督をつとめている。
生誕~大阪フィルハーモニー交響楽団以前
| ティンパニ、トロンボーン、フルート、ホルンなど多くの楽器を経験。 |
| 桐朋学園で斎藤秀雄に師事、1978年に小澤征爾の招きで渡米。 |
| タングルウッド音楽祭に参加。 |
| 幼少の頃からの憧れであったバーンスタインと出会い、各地の演奏会で助手をつとめた。 |
| 1990年の第1回PMF音楽祭では病で帰国したバーンスタインの代演をしている。 |
| なお、バーンスタイン没後、遺族からバーンスタインが最後のコンサートで使った指揮棒とジャケットを形見分けされている。 |
| 1986年にバッファロー・フィル準指揮者に就任、1990年から1992年までPMFオーケストラのレジデント・コンダクターを経験する。 |
| 1991年から1995年までエリーフィルハーモニー音楽監督、1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督。 |
| 1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、2009年から終身名誉指揮者。 |
| それぞれのオーケストラの力を飛躍的に伸ばしたとされる。 |
| エリー市には大植の功績を称えてその名を冠した通りがあり、大植の誕生日は市の休日である。 |
| ミネソタ時代にはシリアルフレークのパッケージやバスの車体広告にその姿があしらわれたり、アイスホッケーの始球式や大リーグの始球式に招かれたりもしている(うち1回はイチローを相手に投球している)。 |
| 2000年からはハノーファー音楽大学終身正教授もつとめ、指揮科で学生の指導にあたっている。 |
| 1997年から2003年まで、米国ワイオミング州のグランド・ティートン音楽祭で音楽監督もつとめた。 |
大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任以降
| 2003年4月から故朝比奈隆の後任として大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任(大植はバトンタッチといった言葉を好まず、いまだ生きている朝比奈隆の魂ともども音楽を作ることを強調している)。 |
| 就任披露定期演奏会として、2003年5月9日と5月10日にザ・シンフォニーホールでマーラーの交響曲第二番「復活」を指揮、2005年3月20日サントリーホールでの就任後初の東京定期演奏会では、同じくマーラーの交響曲第六番「悲劇的」を指揮した。 |
| 以後、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を中心に、近代曲やオペラなども取上げると同時に、ベートーヴェンやブルックナーなどの大阪フィルハーモニー交響楽団が従来より得意としてきたレパートリーもこなしている。 |
| なお、大植は朝比奈と直接対面することはなかったが、1973年に朝比奈が指揮した近衛秀麿版のベートーヴェン交響曲第3番に衝撃を受けている。 |
| また大植は1995年、1996年に阪神・淡路大震災チャリティーのため大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮しており、のちに朝比奈から「今後共機会あればよろしくたのみます」としたためられた手紙を受け取っている。 |
| もちろん、その今後の機会が何になったのかは朝比奈も大植も知るよしもなかった。 |
| 2005年7月には東洋人指揮者として初めてワーグナー作品の上演で知られるバイロイト音楽祭の本公演に出演、「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、100年を超える同音楽祭の歴史に足跡を残した。 |
| 同楽劇は新演出がさんざんに酷評され、指揮も評判芳しからず結果的に1年限りで降板となったがその足跡は意義深い。 |
| 今後が最も期待される日本人指揮者の一人であることに変わりはない。 |
| スペインのカタルーニャ州立バルセロナ交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに2006/2007年シーズンから就任していたが、2009/2010年シーズンを以て終了することになっている。 |
| 他にも全米の主要オーケストラをはじめ、世界各地で客演を行っている。 |
| 日本のオーケストラでは、過去にNHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、広島交響楽団を指揮したことがある。 |
| そのエネルギッシュな指揮姿で知られ、アメリカ時代から「エイジ・エクスプレス」と称する地域での音楽普及活動に力を入れており、大阪でも活動を続けている。 |
| 大阪近鉄バファローズ、阪神タイガースの試合で始球式も行ったことがある。 |
| 「楽しくなければ音楽ではない」と言い、サイン会などで揮毫する際は「心音」という言葉を好む。 |
| 2006年より、大阪クラシックをプロデュース。 |
| 同イベントは年々規模が拡大され9月初旬の大阪市の風物となりつつある。 |
| 2009年には入場者が5万人を突破した。 |
| 2012年3月をもって大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督を退任、それ以降は桂冠指揮者に就任することが発表されている。 |
録音
| CDはミネソタ管弦楽団との録音はレファレンス、大阪フィルハーモニー交響楽団との録音はフォンテックから出ている。 |
| ドイツ・グラモフォンからはヒラリー・ハーンの伴奏でスウェーデン放送交響楽団を指揮したものがある。 |
| ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団では自主盤、cpoなどへの録音、さらにハノーファー音楽大学管弦楽団(教員と学生の混成)との録音がある。 |
受賞歴
| 1980年タングルウッド音楽祭クーセヴィツキー記念フェローシップ(クーセヴィツキー大賞)。 |
| 1981年ザルツブルク・モーツァルテウム指揮者コンクールハンス・ハーリング賞・第1位。 |
| 2004年ミネソタ管弦楽団演奏のCD(アージェント作曲)が第46回グラミー賞"BestClassicalContemporaryComposition"グラミー賞にはそれ以前数回ノミネートされていた。 |
| 2004年第25回音楽クリティック・クラブ賞(音楽クリティック・クラブ(関西在住の音楽評論家により構成される)より)。 |
| 2005年プレトリウス賞(ドイツ・ニーダーザクセン州より)。 |
| 2006年大阪芸術賞特別賞(大阪府・大阪市と各々の教育委員会より)。 |
| 2006年第5回齋藤秀雄メモリアル基金賞(財団法人ソニー音楽芸術振興会より)。 |
| 2007年第42回大阪市市民表彰(大阪市より)。 |
| 2007年大阪活力グランプリ2007特別賞(大阪商工会議所より)。 |
| 2009年功労勲章・一等功労十字章(ドイツ・ニーダーザクセン州より)。 |
| 2009年広島市民賞(広島市より)。 |
逸話
| ピアノを始めたのは、じっとしていない子供だったため、落ち着かせるために親が習わせたのがはじまりだという。 |
| 楽器を経験のうち、ティンパニは強く叩きすぎてヘッド(被膜)を破り、トロンボーンはスライドを飛ばしてしまい、フルートは強く吹きすぎて気を失いかけるなど、大植本人が失敗談としてトークの材料に使われる結果になった。 |
| 渡米する前に大植は小澤征爾に弟子入りしようと、ホテルで10時間以上待ち続けたという。 |
| バーンスタインとは、タングルウッドで大植がピアノを弾いている時に横から話しかけてくる人物を手で追いやったところ、その人物がバーンスタインその人であった、というのが初対面であった。 |
| 2003年にプロ野球セ・リーグの優勝が阪神タイガースに決まった直後の定期演奏会の時、演奏終了後舞台袖から再登場(カーテンコール)に際して、阪神タイガースの法被を羽織り、さらに応援用メガホンを持って登場したことがある。 |
| 苦手なものは夏の暑さ。 |
| 自分の葬儀にモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスを使ってほしい、と語ったことがある。 |
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1957年
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大植 英次(おおうえ えいじ)はクラシック音... |
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1973年
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朝比奈が指揮した近衛秀麿版のベートーヴェン... |
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