386
486
1662
%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 大江健三郎の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
ニュース
|
|
|
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
井上ひさし
日本の小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者、日本藝術院会員。本名は井上廈(いのうえひさし)。1961年から1986年までの本名は内山廈(うちやまひさ... |
|
|
伊丹十三
友達
日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本人は名刺の肩書きに「強風下における... |
|
|
大江光
作品提供 友達
大江光(おおえひかり、1963年6月13日-)は日本の作曲家。作家の大江健三郎は父。映画監督の伊丹十三は伯父。映画監督の伊丹万作は祖父。 |
|
|
武満徹
作品提供
現代音楽の分野において世界的にその名を知られ、日本を代表する作曲家である。エッセイストとしても知られ、小説を手がけたこともある。 |
|
|
加藤周一
加藤周一(かとうしゅういち、1919年(大正8年)9月19日-2008年(平成20年)12月5日)は日本の評論家。医学博士。専門は内科学、血液学。上智大学教授、エー... |
|
|
川端康成
日本の小説家。大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表... |
|
|
伊丹万作
昭和初期に活躍した映画監督。日本映画の基礎を作った監督の一人である。映画監督、俳優の伊丹十三は実子。小説家の大江健三郎は娘婿。 |
|
|
渡辺一夫
師事
渡辺一夫(わたなべかずお、1901年9月25日-1975年5月10日)は日本のフランス文学者。日本学士院会員。 |
|
|
大岡昇平
日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。 |
|
|
小田実
日本の作家・左翼運動家。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 |
|
|
小森陽一
東京都出身の日本文学者。全国「九条の会」事務局長。東京大学教授。専攻は、近代日本文学、構造主義記号論。天皇制廃止論者。マルクス主義者。 |
|
|
鶴見俊輔
評論家、哲学者、大衆文化研究者、政治運動家。 |
|
|
安部公房
日本の小説家、劇作家、演出家。東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区滝野川)生まれ(本籍地は北海道旭川市)。少年期を満州で過ごす。高校時代からリル... |
|
|
中上健次
和歌山県新宮市生まれの小説家。和歌山県立新宮高等学校卒業。本名は、表記は同じだが読みは「なかうえ」。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀、次女は陶... |
|
|
井伏鱒二
日本の小説家。広島県安那郡加茂村(現在の福山市加茂町)の生まれ。本名は井伏滿壽二(いぶしますじ)。筆名は釣り好きだったことによる。 |
|
|
大島渚
日本の映画監督。夫人は女優の小山明子。現在は神奈川県藤沢市在住。 |
|
|
梅原猛
日本の哲学者。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。... |
|
|
岡田利規
日本の劇作家、演出家、小説家。チェルフィッチュ主宰。 |
|
|
埴谷雄高
日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若豊(はんにゃゆたか)。 |
|
|
プロフィール
- 大江健三郎とは
- 生い立ちから作家デビューまで
- 芥川賞作家として
- ノーベル賞受賞まで
- 後期の仕事(レイト・ワーク)
- 政治思想
- 評論家からの批判
- 作品
- 共著
- その他
大江健三郎(おおえけんざぶろう、1935年1月31日-)は、日本の小説家。愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)出身。血液型はA型。東京大学文学部フランス文学科卒。1994年、日本文学史上において2人目のノーベル 文学賞受賞者となった。大学在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。サルトルの実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感と恐怖をグロテスクな性のイメージを用いて描き、 石原慎太郎、 開高健とともに 第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される。その後豊富な外国文学の読書経験から独特の散文詩的 ...
生い立ちから作家デビューまで
| 1935年1月31日、愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。 |
| 両親、兄二人、姉二人、弟一人、妹一人の9人家族であった。 |
| 大瀬村は森に囲まれた谷間の村で、のちの大江の文学世界の形成に大きく関わることになる。 |
| 1941年、大瀬小学校入学、この年に太平洋戦争が始まり、5年生の夏まで続いた。 |
| 1947年、大瀬中学校入学。 |
| この年新憲法が施行され、「戦後民主主義」に立脚した自身の思想を形成するうえで多大な影響を受けた。 |
| 1950年、愛媛県立内子高等学校に入学するも、いじめを原因に翌年愛媛県立松山東高等学校へ編入。 |
| このときのいじめの体験はのちに『芽むしり仔撃ち』で題材とされている。 |
| 高校時代は石川淳、小林秀雄、渡辺一夫、花田清輝などを愛読。 |
| 東高では文芸部に所属し部誌「掌上」を編集、自身の詩や評論を掲載した。 |
| 東高在学中、同級生だった伊丹十三と親交を結ぶ。 |
| 1953年に上京、予備校に通ったのち翌1954年東京大学教養学部文科二類(現在の文科Ⅲ類)に入学。 |
| 学生演劇の脚本として「天の嘆き」「夏の休暇」を執筆、教養学部学友会機関紙に「火山」を掲載し銀杏並木賞受賞。 |
| このころパスカル、カミュ、フォークナー、ノーマン・メイラー、安部公房などを愛読、とりわけサルトルに関心を抱く。 |
| 1956年、文学部フランス文学科に進み、かねてから愛読していた渡辺一夫に師事、この頃よりサルトルを原書で読み始める。 |
| 学生演劇の脚本「死人に口なし」を執筆、また戯曲「獣たちの声」(「奇妙な仕事」の原案)で創作戯曲コンクールに当選。 |
| 同年10月、立川基地拡張反対のデモに参加する。 |
| 1957年、五月祭賞受賞作として小説「奇妙な仕事」が『東京大学新聞』に掲載、『毎日新聞』で平野謙の激賞を受ける。 |
| これを契機として同年『文学界』に「死者の奢り」を発表し、学生作家としてデビュー。 |
| 「他人の足」「石膏のマスク」「偽証の時」を次々に発表。 |
| 「死者の奢り」は第38回芥川賞候補となり、川端康成や井上靖、舟橋聖一の推薦を受けるが、この回は開高健の『裸の王様』が受賞した。 |
| デビュー時よりサルトルの実存主義からの影響を強く受けた作家とされたが、この「死者の奢り」について江藤淳は、「実存主義を体よく表現した小説」というよりも、安岡章太郎や川端康成などの叙情家の系譜につらなる作品ではないかと分析している「解説」『死者の奢り・飼育』新潮文庫、1959。 |
芥川賞作家として
| デビューの翌1958年、自身初の長編小説『芽むしり仔撃ち』を発表。 |
| 同年、「飼育」で第39回芥川賞を23歳で受賞。 |
| 1956年の石原慎太郎に続き当時最年少タイでの受賞となった。 |
| 選考委員の川端康成は、「芥川龍之介と大江健三郎では時代も、才質も作風も違うが、23、4の学生が、異常な題材を小説に仕上げた点を芥川と似通ったものと解釈し、芥川龍之介の名前を冠した賞に加えたいと思った」とした。 |
| 一方、舟橋聖一は前回の芥川賞の選考に異議を唱える立場から、「飼育」よりも「死者の奢り」にこそ賞を出したかったという選評を行っている。 |
| また、同1958年に、石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。 |
| 1959年、東大卒業。 |
| 卒業論文は「サルトルの小説におけるイメージについて」。 |
| 同年書き下ろし長編『われらの時代』刊行。 |
| この作品から青年であることへの鬱屈と虚無感、グロテスクに閉塞したセクシュアリティを主題の一環として前面に押し出すようになり、痛烈な批判を受けたものの、この作品によって第一の作風転換を遂げる。 |
| またこの年に武満徹と知り合う。 |
| 翌1960年、伊丹ゆかり(伊丹十三の妹)と結婚。 |
| 1961年、「政治と性」の主題の集大成的作品である「セヴンティーン」を『文學界』1月号、続編「政治少年死す―セヴンティーン第二部」を翌月号に発表。 |
| 浅沼稲次郎暗殺事件に触発され、犯人の山口二矢をモデル人物として「性に耽溺し、政治に陶酔する右翼少年」(文庫本裏の梗概より)を描くが、「風流夢譚事件」と同様に、この作品をめぐって文藝春秋等に右翼団体から脅迫が行われた。 |
| このため「政治少年死す」はその後のいかなる単行本にも収められていない。 |
| ただし『大江健三郎全作品1』所収の自筆年譜によれば、本作が「現在までの短編集に採録されていないのは、作家自身の意志によるものではない」としているただし鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』には「風流夢譚」ともども(おそらく著者に無断で)収録されている。 |
| 1963年、長男の光が頭蓋骨異常のため知的障害を持って誕生。 |
| 重い「障害を持つ子」の誕生は、戦後社会に希望を持てない青年と、その社会に対する絶望的な反抗や呪詛を独自に描いてきた作家にとって、精神的な転機をもたらした。 |
| 1964年、光の誕生をうけての擬似私小説的作品『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞受賞。 |
| 知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親「鳥(バード)」が、様々な精神遍歴の末、想像力によって現実に向き直るに至るまでを描いた作品であり、もともとサルトルによってその意識を深められた「想像力」の概念は、これ以降の大江にとって非常に大きな主題・手法のひとつとなった。 |
| 同年、広島に何度も訪れた体験や世界原水爆禁止大会に参加した体験を元にルポルタージュ『ヒロシマ・ノート』の連載を開始。 |
| これ以降の大江は、障害を持つ子供を中心とした「個人的な体験」と、広島・長崎の被爆や戦争という「人類固有の悲劇」とを対応させ、自身の主題として深めていく。 |
ノーベル賞受賞まで
| 1967年、30代最初の長編として『万延元年のフットボール』を発表、最年少(2010年現在破られていない)で第3回谷崎潤一郎賞を受賞。 |
| 万延元年(1860年)に四国の村で起こった一揆と、100年後の安保闘争とを重ね合わせ、閉鎖的情況における革命的反抗を描き大きな反響を呼んだ。 |
| この頃に前後して顕著になる大江独特の文体は、格や注釈、修飾・被修飾の対応関係などが混濁するためしばしば難解で悪文であるとも言われるが、近代の標準的な日本語である東京方言に対抗しうる(散文)詩的な言語として、ノーベル文学賞に選出された際の受賞理由として挙げられている(ただしその後大江は作品にあわせて文体を適宜調整する書き方も行っている)。 |
| 今日では大江の代表作と名高い作品ではあるが、かつて大江を評価していた江藤淳は厳しく批判し、以後は長い対立関係が形成されてしまう。 |
| 日本社会と地続きの異常な小世界群を描き出した短篇集(『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年))を経て、1971年に発表された中篇「みずから我が涙をぬぐいたまう日」「月の男(ムーン・マン)」初出『新潮』掲載時の原題「死滅する鯨の代理人」。 |
| では、前年の三島事件を受けて現行の天皇観を問い直すことを主題とし、その後の『洪水はわが魂に及び』(1973年、野間文芸賞受賞)、『ピンチランナー調書』(1976年)では天皇制や核の問題を考えつつ、リアリズムを超越した世界観を描き始める。 |
| ここで大江の後期のテーマである「魂の問題」「祈り・赦し」といった宗教的な事象に深く接近していき、更なる転換を遂げる。 |
| 40代から山口昌男らの文化人類学の影響を受け、1979年に発表された『同時代ゲーム』において「村=国家=宇宙」の歴史を書く主人公の物語を描いたが、文芸評論家からは名声を確立したあとの「奢り」のようなものとして批判を受けた。 |
| ただし大江自身は、宇宙の創建者である「壊す人」や魂の問題を取り上げたものとして、自身の作品の中でも重要なものと位置づけている。 |
| 1982年、連作集『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』を発表、翌年に第34回読売文学賞受賞。 |
| なお、武満徹はこの連作集の第一作「頭のいい「雨の木」」に触発された「雨の樹」(レイン・ツリー)を作曲した。 |
| 連作第二作「「雨の木」を聴く女たち」は、この曲の初演を受けて執筆されており、小説中にコンサートの場面が出てくる。 |
| 1983年の『新しい人よ眼ざめよ』では、ブレイクの詩を引用し、ブレイクのテクストやそれにまつわる研究を繰り返し読むことで導かれた思考を大江自身の子供の言葉と重ね合わせつつ、静謐な筆致で私小説的に私生活を描き、第10回大佛次郎賞受賞。 |
| 1985年には連合赤軍事件を思想的に総括した『河馬に噛まれる』、1986年には『同時代ゲーム』の世界観を現実世界と照応させるこころみとして『M/Tと森のフシギの物語』、1987年にはダンテの『神曲』を下敷きにして自身の半生・思想の遍歴・主題の変遷などを叙事的に描いた『懐かしい年への手紙』を発表、自身の作風の総括的な仕事を連続しておこなった。 |
| 1989年の『人生の親戚』では長編で初めて女性を主人公篠原茂『大江健三郎文学事典』森田出版、1998年。 |
| 1989-1990年に発表された連作『治療塔』および続編の『治療塔惑星』では、広義のSFの枠組みとイェイツの詩(既存の詩歌の引用に大きな手法上の役割を持たせるのも後期作品の特徴の一つ)を借りながら核と人類救済の主題を描いている。 |
| 連載中の1994年10月13日にノーベル文学賞を受賞、川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者となる。 |
| 四国の村を舞台とした「救い主」による伝承の復活・教会の「救い主」一派への攻撃・村民と教会の激しい対立といった筋立ての中に、アウグスティヌスやイェイツを引いての考察で「魂の救済」の主題を突きつめつつ、それまでの全自作の集大成を行った。 |
後期の仕事(レイト・ワーク)
| 1995年に当初自身の「最後の小説」としていた『燃えあがる緑の木』が完結したが、1996年に武満徹の告別式の弔辞において新作を捧げる発言をし、1999年の『宙返り』で執筆活動を再開した。 |
| 伊丹十三の死をうけて書かれた『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)、『憂い顔の童子』(2002年)、『さようなら、私の本よ!』(2005年)は、すべてに「スウード・カップル(おかしな二人組)」が登場する三部作となっている。 |
| 三部作最後の『さようなら、私の本よ!』では、三島由紀夫と戦後の問題を自身の人生と重ね合わせ、デビュー作の『奇妙な仕事』に回帰するという複雑な構成を取った。 |
| その後2007年には、お蔵入りとなった映画を再度作り上げようと奮起する「おかしな老人」たちの老いらくの冒険譚『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』が新潮社、2009年には、身辺の凶事の中で父の水死を描こうとする作家の巻きこまれた騒ぎをヴァラエティに富んだ語り口で描く『水死』が講談社よりそれぞれ発売された。 |
| 『燃え上がる緑の木』の後日談的総括ともいえる『宙返り』以外の「後期の仕事」は、すべてが自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語であり、自身をめぐる物語に虚構の騒動を交えて自身の思考を語りなおす、という手法が踏襲されている(この形式には大江自身も自覚的であり、『水死』の作中にも「老作家のあいも変わらぬ自己模倣」などといった韜晦のような表現がある)。 |
政治思想
| 戦後民主主義者を自認し、国家主義、特に日本における天皇制には一貫して批判的な立場を取っている。 |
| また平和憲法を守る立場から核兵器や憲法第9条についてもエッセイや講演で積極的に言及しており、自衛隊の存在に対しても否定的である。 |
| 2003年の自衛隊イラク派遣の際は「イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」とし、「戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」と怒りを表明した |
| 2004年には、憲法九条の戦争放棄の理念を守ることを目的として、加藤周一、鶴見俊輔らとともに九条の会を結成し、全国各地で講演会を開いている。 |
評論家からの批判
| 毎日新聞1958年6月25日夕刊に掲載されたコラム「女優と防衛大生」において、大江は「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。 |
| 大江は1982年に、小田実・小中陽太郎・中野孝次が中心となった『核戦争の危機を訴える文学者の声明』後に岩波ブックレットから公刊ISBN4000049410に呼びかけ人として賛同している。 |
| この声明に対し本多勝一が、反核運動に批判的であるばかりか軍備拡張に熱心な意見に賛同している文藝春秋から文学賞(芥川賞)を貰ったり、それらの審査委員をするなどして協力しているのは「体制・反体制の双方に『いい顔』をみせる」非論理であるばかりか利敵行為ですらあると批判し、大江に公開質問状を送ったが、大江は何も回答しなかった。 |
| また本多は大江がノーベル文学賞を受賞した際にも『週刊金曜日』誌上で集中的に批判的に取り上げ、大江が九条の会を結成した際も、エッセイ『貧困なる精神』で、名指しこそしないものの会自体に疑問を投げかけた。 |
| 1970年のルポルタージュ『沖縄ノート』には、作品内で集団自決を強制したとされている元守備隊長を「屠殺者」と表現した箇所があるが、「虐殺」を「屠殺」になぞらえることに対しては、差別表現であるとして部落解放同盟が苛烈な確認・糾弾を行ってきた歴史がある(言葉狩り参照)。 |
| それにもかかわらず、部落解放同盟が『沖縄ノート』や大江健三郎を非難しないのは、悪質な差別であると同時に大江健三郎の神格化がなされていると評論家の呉智英は指摘している |
| 評論家の石平は、「大江健三郎 中国土下座の旅」において、2006年に訪中した際の大江が、共産主義についてだんまりを決め込み、中国共産党幹部に対して終始低姿勢でいたとして、「民主主義を叫んで害のないところでは叫ぶけど、民主主義を許さないところでは一所懸命に権力に媚びるんです」と強く批判している「大江健三郎 中国土下座の旅」WiLL(雑誌)2006年12月号より。 |
作品
| 著作は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、スペイン語などに翻訳されているものも少なくない。 |
その他
| 氏の子供達「イーヨー、オーちゃん、マーちゃん」が語る、アンドレイ・タルコフスキーの映画『ストーカー』の解説と、「四国の森の谷間の村」や「読書遍歴」、氏と違って(同じく)。 |
|
1935年
|
大江 健三郎(おおえ けんざぶろう)は、日本... |
|
1941年
|
大瀬小学校入学、この年に太平洋戦争が始まり... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
大江健三郎さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|