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光格天皇
江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日)-文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱ははじめ師仁(も...
閑院宮典仁親王
江戸時代の宮家当主で皇族。幼名は「寿宮」(ひさのみや)。世襲親王家、閑院宮第二代当主。「慶光天皇」または「慶光院」の前名。閑院宮典仁親王の呼びかた...
欣子内親王
江戸時代の皇族。第119代光格天皇の中宮。幼称は女一宮(おんないちのみや)。女院号は新清和院(しんせいわいん)。
里見忠義
里見忠義(さとみただよし)は江戸時代初期の大名。安房国館山藩12万石の2代藩主。里見義康の長男。将軍徳川秀忠より一字をもらい受け、忠義と名乗った。
後桃園天皇
江戸時代の第118代天皇(在位:明和7年4月28日(1770年5月23日)-安永8年11月9日(1779年12月16日))。諱は英仁(ひでひと)。なお、急逝による後継の準備の...
仁孝天皇
第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日)-弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。
閑院宮直仁親王
閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひとしんのう、宝永元年9月9日(1704年10月7日)-宝暦3年6月3日(1753年7月3日))は江戸時代の皇族。弾正尹。准三宮。幼...
正親町公明
江戸時代後期の公家。父は正親町実連。母は内大臣広幡豊忠の娘。初名は公功。1765年(明和2年)蔵人頭、1768年(明和5年)参議、1779年(安永8年)権大納言に...
正親町雅子
江戸時代後期の女院。父は正親町実光。母は四辻公定の娘千栄子。子に孝明天皇のほか二皇子一皇女をもうけた。正親町家は閑院流洞院家の支流にあたる名門。182...
鷹司輔平
江戸時代中期の公家。藤氏長者。従一位、関白。幼名は淳宮。
プロフィール
 大江 磐代(おおえ いわしろ、延享元年(1744年)- [[文化 (元号)|文化]]9年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]](1813年1月11日))は、日本の皇族。閑院宮典仁親王の女房。光格天皇の生母で、明治天皇の高祖母にあたる。 生涯 延享元年(1744年)に伯耆国倉吉(鳥取県倉吉市)で、鳥取藩の家老荒尾氏の家臣だった父・岩室常右衛門と、鉄問屋の娘であった母・おりんとの間に生まれる。幼名はおつる。 9歳のときに浪人して町医者となっていた父・宗賢とともに京に上がる。養女となり櫛笥家に仕えるなどの経緯をへて、十代のころには橘姓を名乗り「大江留子」として籌宮成子内親王の侍女となった。 その後、成子内親王が閑院宮典仁親王に嫁ぐと磐代も女房として親王の寵愛を受け、三人の皇子をもうけた。その長男で閑院宮典仁親王第六王子・師仁親王は、皇子のいなかった後桃園天皇の第一皇女・欣子 ... もっと見る
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