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つながりの強いひと
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尾車
尾車(おぐるま)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、18世紀に初代・小車(尾車)が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。 |
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梅ヶ谷藤太郎
20代 梅ヶ谷 藤太郎(二代) 所属部屋 雷部屋 本名 小江音松 生年月日 明治11年3月11日 出身地 富山県富山市水橋大町 四股名改変 梅ノ... |
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常陸山谷右エ門
茨城県東茨城郡(現在の水戸市)出身で出羽ノ海部屋(入門時は入間川部屋、一時期は名古屋相撲の三ッ湊部屋、大坂相撲の中村部屋)所属の明治時代に活躍した... |
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西ノ海嘉治郎
25代 西ノ海 嘉治郎(2代) 所属部屋 井筒部屋 本名 牧瀬→近藤休八 生年月日 明治13年2月6日 出身地 鹿児島県西之表市西之表川迎 四股名... |
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東條英機
日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。新字体で東条英機(とうじょうひでき)とも表記される。陸軍大臣、内... |
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アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身で高砂部屋所属の元大相撲力士、株式会社ケーピー所属のタレント。旧姓は塩田、米国籍時代の名はSaleva'aFuauliAtisano'e... |
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ラドヤード・キップリング
イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ(ムンバイ)生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリス... |
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阿武松緑之助
能登国鳳至郡七海村(現在の石川県鳳珠郡能登町)出身で武隈部屋、粂川部屋、雷部屋所属、盛岡藩(後に萩藩)お抱えの江戸時代に活躍した元大相撲力士、第6代... |
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丸山権太左衛門
大相撲の力士。現在公認されている横綱の中では3代目に数えられるが、順序が逆で2代目とする説もある。ただし、丸山は1713年生まれとされており、綾川が大関... |
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稲妻雷五郎
常陸国河内郡阿波崎村(現在の茨城県稲敷市)出身で錦嶋部屋(入門時は佐渡ヶ嶽部屋)所属、松江藩お抱えの江戸時代に活躍した元大相撲力士、第7代横綱。本名... |
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谷風梶之助
仙台藩・陸奥国宮城郡霞目村(現在の宮城県仙台市若林区霞目)生まれの大相撲力士であり、第4代横綱。実質的な初代横綱。江戸時代の大横綱で、大相撲史上屈指... |
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小野川喜三郎
大相撲の江戸相撲の力士。5代横綱。近江国(大津市)京町出身。本名は川村喜三郞。 |
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太刀山峯右エ門
大相撲の第22代横綱。本名老本弥次郎。富山県富山市出身。突っ張りで一時代を築いた。身長188cm、体重150kg。 |
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大木戸森右エ門
大木戸森右エ門(おおきどもりえもん、1878年11月2日-1930年11月7日)は大相撲の第23代横綱。大坂相撲では若嶌に次ぐ2人目の公認横綱。生年月日は1876年5月13... |
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江戸時代末期から明治時代中期にかけての力士。第12代横綱。江戸時代に横綱免許を受けた最後の力士である。「負けず屋」のあだ名で知られた強豪横綱。史上横... |
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ベン・ジョンソン
ベン・ジョンソン (陸上選手) - Wikipedia ベンジャミン・シンクレア・"ベン"・ジョンソン(Benjamin Sinclair "Ben" Johnson, 1961年12月30日 - )はジャマ... |
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不知火光右衛門
財団法人日本相撲協会が認定している第11代横綱である。本名は近久峰松(旧姓は原野)。肥後国菊池郡陣内村(現在の熊本県菊池郡大津町)出身。身長177cm、体重12... |
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プロフィール
- 大砲万右エ門とは
- 人物・相撲
- 年譜
- 主な成績
- 関連項目
- 関連サイト
大砲万右エ門(おおづつまんえもん、明治2年11月28日(1869年12月30日)-大正7年(1918年)5月27日)は、角田県刈田郡大鷹沢村(現在の宮城県白石市)出身で 尾車部屋所属の元大相撲力士、第18代横綱。本名は、角張萬次(かくばりまんじ、後に萬右衛門)。現役時代の体格は身長194cm、体重132kg。得意手は右四つ、寄り、突っ張り、叩き。現役引退後は、年寄・待乳山を襲名。
人物・相撲
| 身長実に六尺四寸五分(194cm)にも達した、伝説上の横綱を除けば当時史上最長身の横綱(ちなみに体重は132kg)。 |
| 後に199cmの双羽黒が登場するまでこの記録は破られなかった。 |
| 不器用を絵に描いたような力士だったとはいうが、力は強く突っ張って突き切れなければ叩く取り口で右四つ左上手を取って、万全の構えを取れば誰にも負けなかった。 |
| 序二段にいた1888年(明治21年)、四股名を三沢滝(みさわたき)から大砲(大炮と名乗っていた時期もあった)に改名した。 |
| 1892年(明治25年)6月場所に新入幕、3勝6敗と全く通じなかったが、その大きさゆえか周囲の崩れに助けられたか、翌場所は何と小結にまで昇進していた。 |
| 1899年(明治32年)5月場所に新大関、4場所勤め全休1回、途中休場も1回あったが、どういうわけか1度も負けず横綱免許を獲得した。 |
| 横綱免許を獲得したおりに止め名であるはずの谷風の襲名を勧められたが本人は笑い者にはなりたくないと断わった。 |
| 1902年(明治35年)5月場所には8勝1分の現在なら優勝に相当する成績も記録したが、陸軍の砲兵に志願して、1903年(明治36年)5月場所から3場所全休、帰って来た時には持病のリウマチを悪化させていた。 |
| 不器用ゆえか、自分で動くと失敗が多く、相手の出を待つ取り口で、しかも非常に相撲が遅いので引分が飛び抜けて多く、最後の皆勤場所となった1907年(明治40年)5月場所には9日間全部引分という記録まで出した。 |
| これには雷親方(元初代梅ヶ谷)の“横綱は負けてはいけない”という発言が関係していたとも伝わる。 |
| 普通勝たないといけないと解釈しそうなのをこう持っていく事ができたのは、当の雷親方も1880年(明治13年)1月場所で6休4分という記録を残していたりと引分で凌いだ事もあるためである。 |
| 横綱時代の引分率は何と約40%、復員後の3年6場所に限ると7勝3敗1預25引分、69%にまで跳ね上がる。 |
| こうしたことから横綱ではなく「分け綱」だと言われた。 |
| 1908年(明治41年)1月場所限りで引退。 |
| 常陸山ですら彼には苦戦し、当の本人も常陸山が相手だと聞けば安心していたと伝わる(ちなみに、対戦成績は8戦して大砲の2敗6引分に終わっている)。 |
| 両者ともに受ける相撲を得意とし大砲は自分からはほとんど攻め込まず右四つに組み止めて左上手で守りを固めると動かない、左腕を引っ張り込む攻め方の常陸山にとってはこれ以上取りにくい相手もいなかったのだろう。 |
| 相撲は不器用だが頭はよく、話上手なので親方になってからは巡業の売込でその手腕を発揮した。 |
| 年寄・待乳山を襲名し、部屋を経営した。 |
| 後の小結光風貞太郎が門下であったが、十両昇進前に死去したので、光風は出羽海部屋に移籍した。 |
| 土俵入りは現在の雲竜型と呼ばれるものに近かったがせり上がりの後に両腕を広げると言う現在では見られない型で行なっていた。 |
| この土俵入りは映像が現存する。 |
| 現役中に常陸山と梅ヶ谷の横綱免許同時授与により史上初の3横綱となったため引退相撲で現役2横綱を従えての土俵入りは彼が元祖だと思われるがこれを伝えるものは見当たらない。 |
| 焼芋が大好物で2貫(7.5kg)は軽々食べたという逸話もある。 |
| また土俵入りや取組の映像が現存する。 |
| なお、出身地の現・白石市では、「大砲万右ヱ門」「大砲万右衛門」「大砲萬右衛門」の表記も用いられる。 |
年譜
| 1869年12月30日(明治2年11月28日) 角田県刈田郡大鷹沢村に農家の次男として生まれる。 |
| 1884年(明治17年)5月 尾車部屋に入門、三沢滝の四股名で初土俵。 |
| 1892年(明治25年)5月 新入幕。 |
| 1901年(明治34年)4月 吉田司家から横綱免許を授与される。 |
| 1908年(明治41年)1月 引退、年寄・待乳山を襲名。 |
| 1917年(大正6年) 白石城二の丸址に横綱碑が建立される。 |
| 1918年(大正7年)5月27日 背中の腫れ物を手術後、糖尿病のため死去。 |
| 享年50(満48歳)。 |
| 1999年(平成11年)11月28日 生誕130年を記念して、白石城二の丸公園の横綱碑と向かい合う場所に中村晋也作の銅像が建立され、除幕式が行われた |
主な成績
| 幕内在位:32場所(途中兵役で3場所休場)。 |
| 幕内通算成績:98勝29敗51分4預138休、勝率.772。 |
| 優勝相当成績:2回。 |
関連項目
| 大鵬幸喜:「お前は次の場所からタイホウだ」と親方に改名を伝えられた彼が最初に連想した文字は「大砲」で、親方は「それはオオヅツと読んで……」と横綱大砲の話を聞かせたという。 |
| なお、大鵬は後に、巨砲と書いてオオヅツと読む弟子を持つことになる(元関脇の巨砲丈士)。 |
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1869年
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大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん、明治2... |
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