| 10代の頃は暴走族に所属していたが、前橋育英高校でアマチュアボクシングと出会い更生(暴走族所属時代の写真が、天田の紹介VTRで必ずと言っていい程公開される)。 |
| 高校時代には国体で優勝しており、中央大学ではボクシング部の主将を務めた。 |
| 全日本アマチュアボクシング選手権大会でライトミドル級の常連、1993年は伊藤辰史にRSC勝ちし1996年優勝。 |
| 大学卒業前にK-1からスカウトされ、プロ格闘家となる。 |
| K-1に参戦した当初は、体重も軽かったため、なかなか結果を出せなかった。 |
| 2000年にはK-1JAPANGPで準優勝。 |
| 世界の壁の厚さに苦しみながらもK-1JAPANの期待の選手と成長。 |
| 2003年11月3日、新日本プロレスで柴田勝頼とK-1ルールで対戦。 |
| 1R早々にダウンを喫するも、その後猛攻を加えて、KO勝利を収めた。 |
| 2004年のK-1JAPANGP2004では優勝を果たすも、2005年のJAPANGPは肋骨骨折により1回戦敗退。 |
| 2006年7月30日、K-1REVENGE2006K-1WORLDGP2006inSAPPOROでは、ハリッド"ディ・ファウスト"と対戦予定だったがハリッドが負傷したため対戦相手がフレディ・ケマイヨに変更。 |
| そのケマイヨに判定勝ち。 |
| 2007年3月4日、K-1WORLDGP2007INYOKOHAMAでは札幌大会で対戦予定だったハリッド"ディ・ファウスト"との対戦が決定するも、来日してから高熱が続いたため、ドクターストップ。 |
| 対戦相手がグーカン・サキに変更される。 |
| 試合は、サキの執拗なまでのローキックで2R終盤にスタンディングダウン、終了時にその場に倒れ込み、何とかコーナーに戻るもタオルが投入されTKO負け。 |
| 2007年5月に放映されたテレビ朝日系「GETSPORTS」の密着取材により、一度引退を決意し、2005年に格闘家活動続行にも理解のある不動産会社に就職していたが、2007年に経営悪化により半ば倒産状態になり社員契約解除となった。 |
| 今後も現役選手を続けながら将来的にトレーナーを目指す意向とのことで、活動に理解のある再就職先を探しながらの格闘技活動であることが初めて公にされた。 |
| 2007年6月23日、K-1WORLDGP2007INAMSTERDAMでヨーロッパ・トーナメントに参戦。 |
| 1回戦でポール・スロウィンスキーと対戦し、左ローキックでKO負け。 |
| 2007年10月25日午前3時半頃、東京都荒川区にて、アルバイト先から自転車で帰宅中、車道を並走のトラックに幅寄せされたと思い、信号待ちの際に注意。 |
| しかし応答がなく無視されたと思い、立腹して運転手を殴打。 |
| 傷害容疑で書類送検された。 |
| 本人は酩酊状態であった。 |
| のちに被害者との示談が成立し、K-1からは出場停止処分を受けた |
| 2008年3月9日、新日本キックボクシング協会「MAGNUM16」でスウィーン・カーオ(タイ)の代わりにルスラン・カラエフと対戦。 |
| 3Rに右膝蹴りでKO負け。 |
| 計5回のダウンを奪われた。 |
| 出場発表されたのが、大会の休憩時間中という緊急参戦であった。 |
| 2008年12月14日、初参戦となったHEATでこの日より開幕したキックルールヘビー級トーナメントに出場。 |
| 1回戦でプリンス・アリと対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。 |
| 2009年3月28日、HEAT9のトーナメント準決勝でムーン・ボーラムと対戦し、判定勝ち。 |
| 2009年7月18日、HEAT10のトーナメント決勝で上原誠と対戦し、判定勝ちを収めHEATキックルールヘビー級王座を獲得した。 |
| 2010年1月17日、新日本キックボクシング協会「BRAVEHEARTS13」で内田ノボルの引退試合(2分1Rのエキシビションマッチ)の相手を務めた |
| 2010年7月18日、HEAT14で行なわれたHEATキックルールヘビー級タイトルマッチでムーン・ボーラムと対戦し、1RTKO勝ちで王座の初防衛に成功した。 |
| 当初は富平辰文との防衛戦が予定されていたが、富平の負傷欠場により対戦相手が変更された |
| 2010年8月25日、BOXFIGHT旗揚げ戦のメインイベントで須藤信充と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた |
| 2010年12月1日、FujiwaraFestival〜藤原祭り2010〜のWPMF日本ヘビー級王座決定戦でKOICHIと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得ならず |