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つながりの強いひと
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島津重豪
親 母
江戸時代の島津氏第25代当主。薩摩藩の第8代藩主。いわゆる「蘭癖」大名のひとりとされる。 |
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奥平昌男
親
豊前中津藩の第4代藩主。中津藩奥平家8代。 |
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奥平昌暢
豊前中津藩の第6代藩主。中津藩奥平家10代。文化6年(1809年)1月25日、第5代藩主・奥平昌高の次男として江戸で生まれる。長兄が早世していたため、生まれて... |
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奥平昌猷
豊前中津藩の第7代藩主。中津藩奥平家11代。文化10年(1813年)3月25日、第5代藩主・奥平昌高の五男として中津で生まれる。天保3年(1832年)11月に兄で第6代... |
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奥平昌服
豊前中津藩の第8代藩主。中津藩奥平家12代。 |
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黒田長溥
江戸時代末期の大名。福岡藩の第11代藩主。薩摩藩主・島津重豪の十三男。島津斉彬の大叔父。正室は黒田斉清の長女・純。子は娘・理玖(黒田長知正室、正室・... |
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奥平昌鹿
友達
江戸時代中・後期の大名・国学者。豊前国中津藩第3代藩主。中津藩奥平家7代。2代藩主・奥平昌敦の長男。母は牧野貞通の娘・菊子。正室は阿部正允の娘。子に奥... |
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前野良沢
豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者。『解体新書』の主幹翻訳者の一人。良沢は通称で、名は熹(よみす)、字は子悦、号は楽山、のちに蘭化。 |
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広大院
広大院(こうだいいん、安永2年6月18日(1773年8月6日)-天保15年11月10日(1844年12月19日))は江戸時代後期の女性で、11代将軍・徳川家斉正室(御台所)。... |
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池田慶政
江戸時代末期の大名。備前国岡山藩の第8代藩主。岡山藩池田家宗家10代。豊前国中津藩主・奥平昌高の十男。正室は第7代藩主・池田斉敏の養女(備中国鴨方藩主... |
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ヴォルフガング・ミヒェル
友達
ドイツ・フランクフルト生まれの文化史研究者。主な研究分野は、江戸時代以降の日欧関係(日蘭関係)を中心とする東西文化交渉史、医史学、言語文化の比較研... |
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大槻玄沢
仙台藩の支藩一関藩(田村氏領)出身の江戸時代後期の蘭学者。名は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。磐水(ばんすい)と号す。『解体新書』の翻訳で有... |
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馬場佐十郎
馬場佐十郎(ばばさじゅうろう) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (1787―1822) 江戸後期の洋学者。長崎の生まれ。本姓は三栖谷(みくりや)、 オランダ通... |
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南部信順
陸奥国八戸藩の第9代(最後)の藩主。薩摩藩主・島津重豪の十四男として生まれ、八戸藩の第8代藩主・南部信真の婿養子となる。 |
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島津氏
資料種別 : 一般書 書 名 : 琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻 シリーズ名 : 著者名 : 上里 隆史/著 出版者 : ボーダーインク ... |
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奥平昌邁
豊前中津藩最後(9代)の藩主。中津藩奥平家13代。 |
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奥平昌成
下野宇都宮藩の第2代藩主。後に丹後宮津藩主を経て、豊前中津藩の初代藩主となる。中津藩奥平家5代。 |
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奥平昌敦
豊前中津藩の第2代藩主。中津藩奥平家6代。 |
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青木一咸
摂津麻田藩の第13代藩主。豊前国中津藩主・奥平昌高の十二男。正室は戸田光庸の養女(戸田光行の娘)。官位は従五位下、甲斐守。嘉永2年(1849年)、先代藩主... |
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慈光院
母
慈光院(じこういん)は奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌... |
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プロフィール
奥平昌高(おくだいらまさたか)は江戸時代の大名。豊前国中津藩第5代藩主。「蘭癖大名」の一人として知られている。中津藩奥平家9代。
家系
| 薩摩藩主・島津重豪の次男。 |
| 母は側室・市田貞行女(お登勢の方(慈光院)、ただし実の生母は直心影流剣術剣客鈴木藤賢の娘とされる)。 |
| 姉に徳川家斉正室・広大院茂姫(近衛寔子)がいる。 |
経歴
| 天明元年(1781年)に薩摩藩江戸藩邸で出生。 |
| 天明6年(1786年)6歳時に、急逝した奥平昌男の末期養子となり中津藩主となる。 |
| これには昌男の父・奥平昌鹿と父・島津重豪が蘭学仲間で非常に仲が良かったという背景があった。 |
| 昌男は生前、重豪の娘と婚約もしていた。 |
| 実父も蘭学好きで養家先も蘭学好きとなれば、昌高が蘭学好きにならないわけが無く、手始めに中津藩江戸中屋敷に総ガラス張りの「オランダ部屋」なる物を造り、そこに出島で買い集めさせたオランダ製品を陳列していた。 |
| しかし次第に物を買い集めるだけでは飽き足らなくなり、オランダ語を勉強するようになる。 |
| また、歴代のオランダ商館長(カピタン)と親交を結ぶようになり、ヘンドリック・ズーフから「フレデリック・ヘンドリック」というオランダ名までもらっている。 |
| 後にはオランダ語の会話に不自由せず、更に商館長と詩のやりとりまでしていたという。 |
| 特にフォン・シーボルトとの交流は熱心な物で、文政9年(1826年)3月4日(新暦4月10日)に実父・島津重豪とともにはじめて対面して以降、5回も会談している。 |
| ちなみに、シーボルトと気兼ねなく対面するために昌高は文政9年(1826年)に次男・昌暢に家督を譲り隠居している。 |
| なおこの間、幕府においては、文化14年(1817年)3月には溜詰格に、さらに翌月には溜間詰本格に列し、また、侍従に叙せられた。 |
| 昌高は養祖父の昌鹿より、藩医であった前野良沢らが『解体新書』の翻訳で辞書がないため苦労した話を聞いており、文化7年(1810年)に『蘭語訳撰』(通称「中津辞書」)、文政5年(1822年)には『バスタールド辞書』を出版。 |
| 江戸後期の西洋文化・科学導入に多大な役割を果たした。 |
| 安政2年(1855年)江戸で74歳にて没した。 |
| 法名は「龍徳院殿無方道應大居士」。 |
| 墓所は東京品川の清光院。 |
参考資料
| ヴォルフガング・ミヒェル「中津藩主奥平昌高と西洋人との交流について」(2006年)-『中津市歴史民俗資料館村上医家史料館叢書 第5号』、20-61頁、( |
| 川嶌眞人「奥平昌高─多き蘭学大名」、『九州の蘭学―越境と交流』、154-159頁。 |
| ヴォルフガング・ミヒェル・鳥井裕美子・川嶌眞人共編、(思文閣出版、京都、2009年)。 |
| ISBN978-4-7842-1410-5。 |
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1781年
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薩摩藩江戸藩邸で出生 |
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1810年
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『蘭語訳撰』(通称「中津辞書」)、文政5年1... |
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