| 「「われわれ」について」『危機管理に関する人文・社会科学学際研究・研究論文集』慶應義塾大学グローバル・セキュリティ・リサーチセンター、2008年3月。 |
| 「クルアーンをテクストとする解釈学の可能性」『異文化研究』第2号、2008年3月、15−29頁。 |
| 「イスラームの教えにおける自由と正義に関する断片的考察」『法学新報』(眞田芳憲先生古稀記念論文集)2007年5月、第113巻第11・12号、45−76頁。 |
| 「イスラームとグローバル・ガバナンス」『グローバル・ナショナル・ローカルの現在』(野村・山本編)慶應義塾大学出版会、2006年4月。 |
| 「イスラームにおける正しい戦い——テロリズムはジハードか——」『「正しい戦争」という思想』(山内進編)勁草書房、2006年4月。 |
| 『イスラームの人権——法における神と人』慶應義塾大学出版会、2005年11月。 |
| 「アラビヤ語——交流を重視した総合的言語教育の可能性」『外国語教育のリ・デザイン』(平高、古石、山本編)慶應義塾大学出版会、2005年9月。 |
| 「イスラーム法における人間の身体と内面」『法と身体』法文化叢書④、国際書院、2005年9月。 |
| 「イスラームにおける法発見と法の目的論」『総合政策学の最先端第3巻』慶應義塾大学出版会、2003年10月。 |
| 『イジュティハードの門は閉じたのか』ワーイル・ハッラーク著(編訳書)、慶應義塾大学出版会、2003年9月。 |
| 「イスラームの信仰とスークの経済」『市場の法文化』法文化叢書②、国際書院、2003年2月、pp.149-174。 |
| 「イスラームにおける宗教的義務の「法」的性格——ガバナンス論構築への手がかりとして」『KEIOSFCJOURNAL』vol.1,no.1,pp.8-32,2002年6月。 |
| 「人は何処へ行くのか——イスラームの教えにおける人間と世界観の一断面」『平和と宗教』第20号、2001年12月、78-91頁。 |
| 『イスラームにおける人権』(編/訳)湘南藤沢学会、2001年11月。 |
| 「イスラーム世界をつらぬく3つの道」『イスラム圏における交通システムの歴史的変容に関する総合的研究』(平成10年度〜平成12年度科学研究費補助金(基盤研究(A)(2))研究報告書、2001年4月、275−284頁。 |
| 『フサイニー師「イスラーム神学50の教理」——タウヒード学入門』(訳/著)慶應義塾大学出版会,2000年。 |
| 「イスラーム法におけるイジュティハードの論理内在的な必然性について」『複雑系としてのイエ:HistoriaJuris比較法史研究—思想・制度・社会⑧』比較法史学会編,未來社,1999年,310-331頁。 |
| 「アラビア語とイスラーム共同体の法」『KEIOSFCREVIEW』第5号,1999年,106-110頁。 |
| 「イスラームにおける親子関係」『平和と宗教』庭野平和財団,第16号,1997年,23-32頁。。 |
| 「『まっすぐな道』小論—イスラーム法の在処に関するタウヒード的アプローチ」『MAYDAN』第30号,国際大学中東研究所,1997年,27-37頁。。 |
| 「イスラーム契約法の合意理論とシリア民法—中東における西欧近代法継受の再考」『法学新報』中央大学法学会,第102巻第11・12号,1996年,263-299頁。。 |
| 「イジュティハードの門の閉鎖再考」『MAYDAN』第29号,国際大学中東研究所,1996年,14-21頁。。 |
| 「中東・国民国家とシヤル—イスラームの国際法」嘉数啓編著『アジアの選択』サイマル出版会,1995年,193-223頁。。 |
| 「イスラーム法における契約の自由」『比較法雑誌』中央大学日本比較法研究所,第27巻1号,1993年,25-50頁。。 |
| 「イスラーム法における法的思考の基礎—バーキルッ=サドル『ウスール学』をめぐって」『国際大学中東研究所紀要』第6号,国際大学中東研究所,1992年,127-172頁。。 |
| 「イスラーム統一の法理論と国家主権」黒田壽郎編著『共同体論の地平—地域研究の視座から』三修社,1990年,97-120頁。。 |
| 「中世スペインにおけるオリエンタリズム」『国際大学中東研究所紀要』第4号,国際大学中東研究所,1990年,53-80頁。。 |
| 「シエテ・パルティダスとローマ法—物の分類をめぐって」『大学院研究年報』第16号Ⅰ—2法学研究科篇(下),中央大学,1987年,35-46頁。。 |