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プロフィール

  • 妻木頼黄 - Wikipedia

    妻木 頼黄(つまき よりなか、安政6年1月20日(1859年2月22日) - 1916年(大正5年)10月10日)は日本の建築家。大蔵省などで数多くの官庁建築を手がけ、明治時代の官庁営繕組織を確立した。国会議事堂の建設にも執念を燃やしたが、妻木の在世中に本建築が着工することはなかった。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。
    引用元: 妻木頼黄 - Wikipedia

  • 門司港レトロ案内 " 妻木頼黄(つまきよりなか)

    妻木頼黄(つまきよりなか) 旧門司税関 の設計者。 建築技師の咲寿栄一と共に設計。 工部大学校造家学科(後の東大建築学科)に入学。中途退学してアメリカ留学し、コーネル大学で学士号を取得。後に、工学博士号を取得。 アメリカから帰国後は東京府に勤務。また、議院(国会議事堂)建設のための組織である臨時建築局に勤め、ドイツのベルリン工科大学に派遣され学ぶ。 日清戦争で広島に大本営が設置され、臨時議院の建設が決まると、短期日で完成させ、その功績で叙勲を受けた。また、奈良県の要請による派遣で、技師として東大寺の大仏殿を訪れ設計図所を提出。後に、名誉顧問として修復に関わった。 主な作品は次のとおり 東京府庁(現存せず。ルネッサンス様式) 日本勧業銀行本店(現千葉トヨペット本社社屋 国の登録有形文化財) 横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館) 横浜正金銀行大連支店(現中国銀行大連分行) 横浜新港埠頭倉...
    引用元: 門司港レトロ案内 " 妻木頼黄(つまきよりなか)

  • 妻木頼黄 - Yahoo!百科事典

    妻木頼黄(つまきよりなか) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (1859―1916) 建築家。江戸 旗本 の家に生まれる。1878年(明治11) 工部大学校 造家学科に入学するが82年中退して渡米、 コーネル大学 に学び84年卒業。翌年帰国。86年 議事堂 および中央官庁街建設のため臨時建築局が設置されると同局技師となり、 ドイツ に留学。おもにエンデ・ベックマン事務所に在籍。88年帰国。1905年(明治38) 大蔵省 臨時建築部長となり、 官庁 建築の主導者として 国会議事堂 などの建設を指導。おもな作品に東京府庁舎(1894)、東京商工会議所(1899)、横浜正金(しょうきん) 銀行 本店(1904、現神奈川県立歴史博物館、重文)、日本 赤十字 本社(1912)がある。 [ 執筆者:天田起雄 ] カテゴリ一覧 : 芸術 > 建築・庭園 > 日本人名 このページのトップへ [ ...
    引用元: 妻木頼黄 - Yahoo!百科事典

  • 妻木頼黄 - Wikipedia

    妻木頼黄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 , 検索 妻木 頼黄 (つまき よりなか、 安政 6年 1月20日 ( 1859年 2月22日 ) - 1916年 ( 大正 5年) 10月10日 )は日本の 建築家 。 大蔵省 などで数多くの官庁建築を手がけ、 明治時代 の官庁営繕組織を確立した。 国会議事堂 の建設にも執念を燃やしたが、妻木の在世中に本建築が着工することはなかった。工手学校(現 工学院大学 )造家学科教員。 経歴 1859年、 幕臣 旗本 である妻木家の長男として 江戸 に生まれる。1876年、家屋敷を売却し渡米するが、日本で学ぶよう諭され帰国。1878年、 工部大学校 造家学科(のちの東大建築学科)に入学、 ジョサイア・コンドル に学ぶ。 辰野金吾 の後輩に当たる。1882年、中途退学し、アメリカ留学。コーネル大学で学士号を取得し...
    引用元: 妻木頼黄 - Wikipedia

  • 半田市/設計者 妻木頼黄(つまきよりなか)

    (2010年7月27日更新) 設計者 妻木頼黄(つまきよりなか) 明治建築界の三大巨匠の一人。幕府旗本の出身で、大蔵省営繕を拠点に数多くの官庁設計を手がけていました。ビール醸造や煙草備蓄、税務に関する施設については、当時最も優れた建築を残し、横浜正金銀行本店(重要文化財)、横浜赤レンガ倉庫等設計しました。 ちなみに、三大巨匠のあとの二人は九州唐津藩出身で、大学、学会のアカデミーを背景に力を振るい、日本銀行本店、同支店東京駅などの設計をした「辰野金吾」と、長州藩出身で官界・宮廷(宮内省)で活躍し、赤坂離宮を代表作とする「片山東熊」です。 妻木家の発祥は岐阜県土岐市妻木町、頼黄は安政6年(1859年)1月20日旗本の息子として江戸に生まれました。明治9年(1876年)単身でニューヨークに勤めますが、翌年帰国し、明治11年(1878年)工部大学校造家学科に入りました。しかし、卒業1年前になって同...
    引用元: 半田市/設計者 妻木頼黄(つまきよりなか)

  • 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 (単行本) | 北原遼三郎 | イーブックオフ

    楽天ブックスで購入 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 作家: 北原遼三郎 1,260円 (新品定価: 2,310 円 → 1,050円おトク) 在庫なし 北原遼三郎の在庫あり商品を探す お気に入りに追加 この商品をお友達に紹介 商品の詳細 出版社 : 現代書館 サイズ : 単行本 出版社シリーズ : 発売年月日 : 2002年6月1日 ISBN : 4768468292 (9784768468296) 商品紹介 ( 楽天ブックス ) 北原遼三郎 現代書館発行年月:2002年06月 ページ数:254p サイズ:単行本 ISBN:9784768468296 北原遼三郎(キタハラリョウザブロウ)作家。1947年、宮城県生まれ。法政大学法学部卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 第1章 広島仮議院/第2章 江戸・赤坂の...
    引用元: 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 (単行本) | 北原遼三郎 | イーブックオフ

  • 妻木頼黄 - 百科事典ディスマス

    妻木 頼黄 (つまき よりなか、 安政 6年 1月20日 ( 1859年 2月22日 ) - 1916年 ( 大正 5年) 10月10日 )は日本の 建築家 。 大蔵省 などで数多くの官庁建築を手がけ、 明治時代 の官庁営繕組織を確立した。 国会議事堂 の建設にも執念を燃やしたが、妻木の在世中に本建築が着工することはなかった。工手学校(現 工学院大学 )造家学科教員。 経歴 1859年、 幕臣 旗本 である妻木家の長男として 江戸 に生まれる。1876年、家屋敷を売却し渡米するが、日本で学ぶよう諭され帰国。1878年、 工部大学校 造家学科(のちの東大建築学科)に入学、 ジョサイア・コンドル に学ぶ。 辰野金吾 の後輩に当たる。1882年、中途退学し、アメリカ留学。コーネル大学で学士号を取得した。1885年帰国。 帰国後は東京府に勤務。1886年、議院(国会議事堂)建設のための組織である(...
    引用元: 妻木頼黄 - 百科事典ディスマス

  • 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 - 北原 遼三郎 | 感想・口コミ ...

    明治の建築家・妻木頼黄の生涯 [ 4 ] (1件のJUGEMレビュー・感想) Tweet mixiチェック 北原 遼三郎 商品カテゴリー: 単行本 Amazonランキング: 697220位 定価: ¥ 2,310 Amazon価格: ¥ 2,310 在庫状況: 在庫あり。 ユーズド価格: ¥ 1,500 ISBN/ASIN:4768468292(現代書館) 送料無料! 34ポイント が貯まるカラメル BOOKSで、「 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 」を探す! >>詳細ページへ JUGEMユーザーのレビュー・感想( 1 件) [ 4 ] 日本でジョサイア・コンドルに学んだ辰野金吾は、イギリス建築の影響を受け、疑うことなくその道を真っ直ぐ突き進む。一方、コンドルの元を離れ米国に渡り建築学を修めた妻木頼黄は、日本古来の伝統的様式にこだわりを見せ...
    引用元: 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 - 北原 遼三郎 | 感想・口コミ ...

  • 大成建設 | ライブラリー - 明治の官僚建築家・妻木頼黄(つまきよりなか)(1)

    妻木頼黄 ( つまきよりなか ) という人物をご存じだろうか。 日本の近代建築は、イギリスから工部大学校 造家 ( ぞうか ) 学科に招かれたコンドル先生と、その教え子たちを中心に展開した。 辰野金吾、 曾禰達蔵 ( そねたつぞう ) 、片山 東熊 ( とうくま ) といった日本建築界リーダーたちのなかにあって、妻木のとった建築家としてのスタンスは異端だ。巨匠と呼ばれるようになっても、時代の風に上手く応じることを潔しとしなかったその反骨魂はどこから生じていたのか。 安政六年。大老・井伊直弼による安政の大獄が、反幕気運を一気にあおった。そんな状況下、江戸赤坂で、幕臣旗本である妻木家に生まれたのが頼黄である。三歳で父を失った頼黄は、第十二代当主となる。そして、慶応四年、最後の将軍、徳川慶喜は江戸を去り、その九月八日、明治と改元される。慶喜のやるかたなき無念はそれとして、佐幕の者たちにとって新生...
    引用元: 大成建設 | ライブラリー - 明治の官僚建築家・妻木頼黄(つまきよりなか)(1)

  • 煉瓦面白物語

    煉瓦面白物語・1 赤レンガ倉庫の設計者 妻木頼黄(つまきよりなか) 妻木は安政9年(1859)旗本の子として赤坂で生まれ、15歳で英語を学び17歳にして渡米。19歳で工部大学校(現東大工学部)に入学、23歳で中退しまた渡米。ニューヨーク州コーネル大学に編入。25歳で卒業し晴れて建築学士になる。その後ニューヨーク市で実務研修を終え、ヨーロッパを視察し帰国。26歳にしてはじめて東京府の御用掛として就職。27歳で内閣の臨時建築局に転じ、以後官庁建築を手がけるようになった。この頃の有名な建築家は、日本銀行や東京駅など日本を代表する建物を設計した辰野金吾。その陰で妻木はA東京府庁舎や広島仮議院(臨時議会のための議事堂・20日間で造った)などの官庁建築を造っていた。しかし、辰野に対するライバル心も強く、その後、横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館・横浜馬車道)、カブトビール工場(愛知県半...
    引用元: 煉瓦面白物語

  • 妻木頼黄 とは - コトバンク

    妻木頼黄 【つまき・よりなか】 3件の用語解説(妻木頼黄で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:安政6.1.21(1859.2.23) 没年:大正5.10.10(1916) 明治建築界の巨頭。江戸赤坂に旗本の長男として生まれ,幼くして両親を亡くす。明治9(1876)年,18歳で ニューヨーク に遊学,富田鉄之助, 目賀田種太郎 らを知る。翌年帰国,11年工部 大学 校造家 学科 に学ぶが 中退 して15年再 渡米 ,コーネル大学建築学科に 編入 。 卒業 後,18年東京府に 勤め , 臨時 建築局技師を兼務して新 国家 の中央官衙建 設計 画に従事,その準備のため19年ベルリンに留学。帰国後,仮議院・諸官衙・監獄の建設,建築条例の起草などに活躍,実務能力の高さは定評があった。 内務 技師を兼務のまま29年大蔵技師となり, 煙草 と塩の 専売...
    引用元: 妻木頼黄 とは - コトバンク

  • 妻木 頼黄とは - 江戸人物事典 Weblio辞書

    妻木 頼黄 (つまき よりなか) 1859〜1916 ( 安政6年 〜 大正5年 ) 【 建築家 】 日本橋 の 装飾 を 設計 。 江戸 と 東京 をつないだ 建築 デザイナー 。 明治期 の 建築家 。 江戸 赤坂 に 旗本 の子として 生まれる。 1882年 ( 明治 15)に 渡米 し コーネル大学 で 建築 を学んだ。 卒業 後 内務省 の 臨時 建築 技師 となり、独 ベルリン工科大学 に 派遣 された。 帰国 後は 東京裁判 所、 日本勧業銀行 や 大蔵省 をはじめ 官庁 関連 施設 の 建設 に 携わる 。 現存 する 妻木 の数 少な い 建築物 として、 日本橋 や 横浜正金銀行 (現・ 神奈川県立歴史博物館 )があり、 近代的 な 中に 江戸 文化 の 香気 を留める 瀟洒な 姿を見せている。 年( 和暦 ) 史実 当時 の 年齢 ● 1860...
    引用元: 妻木 頼黄とは - 江戸人物事典 Weblio辞書

  • 近代建築写真室@東京 : 千葉トヨペット本社、旧日本勧業銀行本店

    ◆旧日本勧業銀行本店 ◎設計:妻木頼黄、武田五一(製図監督) ◎施工:直営 ◎竣工:明治32(1899)年6月 ◎移築:昭和40(1965)年 ◎構造:木造2階建て ◎所在地:千葉市美浜区稲毛海岸4-5-1 ❖国登録有形文化財 先日、別プログで紹介させていただいた 旧神谷伝兵衛別邸(大正7年築) の帰りに寄ったのが、美浜区の千葉トヨペット本社。神谷邸の記事でも触れましたが、現在の国道14号線から南西にあたる場所は戦後埋め立て造成がされた地域で、昭和40年代以降に建てられた新興の建造物で街並みが形成されています。しかしそのようなニュータウンに、和風の渋い建築が・・・・・。 実はこれ、明治32年に東京千代田区の内幸町に建てられた日本勧業銀行の本店だった建物を移築してきたものであります。またこの建物、内幸町の本店が建て替えになるのを機に今の京成電鉄が部材を買収し、習志野の谷津遊園に大正15年に移...
    引用元: 近代建築写真室@東京 : 千葉トヨペット本社、旧日本勧業銀行本店

  • 近代建築写真室@東京:2010年10月

    ◆旧日本勧業銀行本店 ◎設計:妻木頼黄、武田五一(製図監督) ◎施工:直営 ◎竣工:明治32(1899)年6月 ◎移築:昭和40(1965)年 ◎構造:木造2階建て ◎所在地:千葉市美浜区稲毛海岸4-5-1 ❖国登録有形文化財 先日、別プログで紹介させていただいた 旧神谷伝兵衛別邸(大正7年築) の帰りに寄ったのが、美浜区の千葉トヨペット本社。神谷邸の記事でも触れましたが、現在の国道14号線から南西にあたる場所は戦後埋め立て造成がされた地域で、昭和40年代以降に建てられた新興の建造物で街並みが形成されています。しかしそのようなニュータウンに、和風の渋い建築が・・・・・。 実はこれ、明治32年に東京千代田区の内幸町に建てられた日本勧業銀行の本店だった建物を移築してきたものであります。またこの建物、内幸町の本店が建て替えになるのを機に今の京成電鉄が部材を買収し、習志野の谷津遊園に大正15年に移...
    引用元: 近代建築写真室@東京:2010年10月

  • 街のアート - 横濱・櫻木町コティベーカリーぶろぐ

    妻木頼黄の作品 2008年06月18日 19時36分53秒 | 街のアート 横浜には、明治の建築家・妻木 頼黄(つまき よりなか)の代表的な作品が残っています。 横浜赤レンガ倉庫(よこはまあかれんがそうこ) 正式名称・新港埠頭保税倉庫。 2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に建てられました。保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、2002年(平成14年)にリノベーションされ、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備されました。海と歴史的な建物、楽しいショッピングモール、美しい公園、それらを一度に楽しむ事ができる、最も横浜の魅力にあふれた場所だと思います。 現在は神奈川県立歴史博物館になっている 横浜正金銀行は1904年に建てられ、平成7年には、国の史跡に指定され...
    引用元: 街のアート - 横濱・櫻木町コティベーカリーぶろぐ

  • 1.新進気鋭の建築家・妻木頼黄 > たばこEpisode > たばこに ...

    工部大学校でのジョサイア・コンドルの指導の下では、優秀な日本人建築家が多数誕生しました。その中に、明治期の建築界を牽引した重要人物である妻木頼黄(つまきよりなか)がいたのです。 薩摩藩・長州藩など、反幕府側の出身者が国を動かしていた明治時代初期は、徳川家に仕えていた旗本などには住みづらい世の中でした。妻木家は代々、幕臣旗本の名家であったことから妻木は世を憂い、明治9(1876)年に17歳で単身渡米し、放浪生活を送ります。将来の人生設計を模索していた彼はそこで、さまざまな人たちからアドバイスを受け、日本で勉強をし直すために1年後に帰国。明治11(1878)年に、工部大学校に入学しました。 同校で妻木は、コンドルが教鞭を取る建築学を選択し勉学に勤しみますが、アメリカの先進的な建築技術にも興味を抱き、やがてアメリカのコーネル大学へ留学。卒業とともに建築学の学位を取得するとニューヨ...
    引用元: 1.新進気鋭の建築家・妻木頼黄 > たばこEpisode > たばこに ...

  • セブン&アイのセブンネットショッピング - 書籍 - 明治の建築家・妻木 ...

    ショッピング > 書籍 > 文芸 > ノンフィクション > 人物評伝 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 お客様おすすめ度 ☆☆☆☆☆ 商品クチコミ(0件) 著者/訳者 北原遼三郎/著 出版社名 現代書館 発行年月 2002年06月 サイズ 254P 20cm 販売価格 2,310円 ポイント 22ポイント *ポイントについて 取扱状況 3~6日で発送 取り扱い表記について ラッピング 対象外 出版社に在庫確認後、取寄せます。 商品をフォローする 友達にメールで教える Twitter Facebook mixi 商品をフォローします。 下記の商品でよろしければ、「追加する」ボタンを押してください。 商品名: 販売価格: 円 「 」をフォローし...
    引用元: セブン&アイのセブンネットショッピング - 書籍 - 明治の建築家・妻木 ...

  • 妻木頼黄像 - 近代建築青空ミュージアム - Yahoo!ブログ

    妻木頼黄さんと言えば、「第15回赤十字国際会議記念切手」や「赤レンガ倉庫ライトアップ切手」などもあって、いろいろ取り上げられていますね。妻木さん自身の切手もないかなあって思っています。 2010/5/24(月) 午後 9:42 そんな切手があるのですね! 切手のなかに建築がないか調べてみると楽しそうですね。ご紹介ありがとうございます♪ 2010/5/25(火) 午前 0:35 kayoさん、東京會舘の自分の記事を探していた所、隣の東京商工会議所の建物の記事を書いていた事を思い出しました。 東京商工会議所の初代の建物は妻木頼黄さんです。 最初は渋沢栄一さんと縁の深い田辺さんの設計かと思いましたが、 妻木さんでした。(自分で書いたのによく覚えていないのです) 田辺さんの東京會舘の隣に寄り添うように建っていた東商の建物 です。一番最後の写真の右側がそうです。左側は三菱2号館 (現・明治生命館)で...
    引用元: 妻木頼黄像 - 近代建築青空ミュージアム - Yahoo!ブログ

  • 妻木文庫図面について

    妻木頼黄は、明治を代表する建築家の一人であり、また本会の創立者の一人でもある。明治の 建築家たちは、その受けた教育と建築の作風によってイギリス派、フランス派、ドイツ派、アメ リカ派などのように分けて考えることができるが、妻木の場合は複雑をきわめる。 最初に建築を学んだのは工部大学校のコンドル先生で、工部大学校を中退して渡米し、創設期の コーネル大学建築学科に入り、卒業して帰国して東京府庁の設計を手がけ、その後、官庁集中計 画のため政府によってドイツに派遣されて学んでいる。教育の系譜としてはイギリス派、アメリ カ派、ドイツ派の三つを渡ったことになる。しかし、帰国後の作風はドイツの様式で一貫し、ま た、ドイツ系人脈のリーダー的役割りを果しており、全体としてはドイツ派である。というより、 妻木の活躍によって日本のドイツ派は、主流としてのイギリス派と対抗するだけの力を持つこと ができた。 妻木...
    引用元: 妻木文庫図面について

  • 妻木頼黄 | telescoweb event

    デザイナー・人 妻木頼黄 09/20/2007 - 16:52 — akira imafuji 別表記: Yorinaka Tsumaki 作品マップ: Javascript is required to view this map. GeoRSS 地図を埋め込む スポット 横浜赤レンガ倉庫1号館 1913年 現存 横浜市中区 本・商品(Amazon) 明治の建築家・妻木頼黄の生涯 北原遼三郎 2002 現代書館 ASIN: 4768468292 telescoweb event | みんなでつくる建築・都市・デザイン情報 運営:建築・都市ワークショップ
    引用元: 妻木頼黄 | telescoweb event

  • 煉瓦面白物語

    煉瓦面白物語・3 妻木頼黄VS辰野金吾 横浜赤レンガ倉庫に使用された煉瓦の数は前述のとおり、2号館で約318万個。1号館も当初同じくらいだったので、併せて約636万個と推定されている。こんなに多くの煉瓦を使っているが、これよりも多く使われた建物がある。妻木のライバルというか天敵である辰野金吾が設計した「東京駅」である。ここでは833万個の煉瓦が使用された。この東京駅、戦災で一部が焼け、屋根等は当時と違っているが、このたび復元することになった。めでたしめでたしである。しかし煉瓦の数で辰野に負けている妻木、悔しいではないか。そこで、ちょっと妻木の方が勝っているのは何かを探してみた。 まず、現存する辰野と妻木の設計した建物の数を比べると、これは圧倒的に辰野が多い。妻木で残っている主な建物は、横浜赤レンガ倉庫・横浜正金銀行(神奈川県立歴史博物館)、カブトビール半田工場、第一勧業銀行本店(現...
    引用元: 煉瓦面白物語

  • 東京市庁と警視庁

    東京府庁 明治22年(1889)に東京府内15区を東京府から分立して市制を施行し東京市とした。 その年、東京府庁の建築が着工する、設計を担当したに妻木頼黄は工部大学校造家学科(東大建築学科)に入学、ジョサイア・コ ンドルに学ぶ。明治15年(1882)中途退学しアメリカ留学してコーネル大学で学士号を取得した。明治18年(1885)帰国すると 新府庁の設計の為、東京府に勤務する。政府も官庁集中計画を進め、欧州各国の議院、議事堂、市庁舎建築を研究するために妻 木頼黄、渡辺譲や河合浩蔵など後の明治建築界の重鎮となる人材と共に渡欧する。明治22年(1889)に新府庁舎の新築が始まり、 明治27年麹町区有楽二丁目一番地(高知藩主山内土佐守屋敷跡)にフランス近世ルネッサンス様式の二階建て煉瓦造りの新府庁 舎が竣工した。 警視庁 鍛冶橋際に在った警視庁は警視庁技師の福岡常次郎による設計で、日比谷...
    引用元: 東京市庁と警視庁

  • 建築家・妻木頼黄 > たばこEpisode > たばこに親しむ ...

    参考文献: 「明治の建築家・妻木頼黄の生涯」(現代書館)、「たばこ専売史 第一巻」(日本専売公社)、「日本たばこ産業-百年のあゆみ-」(日本たばこ産業株式会社)、「臨時葉煙草取扱所建築部建築一斑」(臨時葉煙草取扱所建築部)、「大蔵省臨時建築部年報 第一〜第四」(大蔵省臨時建築部)、「大蔵大臣官房臨時建築家年報 第五」(大蔵省臨時建築課)、「専売局年報 第一」(専売局)、「建築雑誌 第百四十八号」(日本建築学界)、「たばこ史研究 27号」(たばこ史研究会) 資料提供: たばこと塩の博物館 、 国立国会図書館 、 神奈川県立歴史博物館 、 株式会社横浜赤レンガ 、 中央区役所 、 広島市公文書館 、 吉備中央町役場 、 富岡市役所 、 金沢市立玉川図書館 、 サッポロビール株式会社 、 半田市役所 、 独立行政法人酒類総合研究所
    引用元: 建築家・妻木頼黄 > たばこEpisode > たばこに親しむ ...

  • 横浜レトロ・グルメ館

    横浜市中区新港町1-1-1/大正2年/設計:大蔵省臨時建築部(妻木頼黄)/煉瓦造3 【紹介ページ】 http://www.yokohama-akarenga.jp/index.html ●横浜ベストコレクションクラブ TEL: 045-226-1513 業態: ティー・スペース 営業情報: 年中無休。11:00〜23:00 (管理人レポート)1号館内では唯一の飲食店です。ここのティースペースは、横浜元町に本店を構える紅茶専門店 「サンドグラス」からの出店ですから、紅茶にうるさい方でもきっと満足いただけると思います。 しかし、数十種類もある紅茶メニューから、たったひとつを選ぶのは至難の業です。(笑)
    引用元: 横浜レトロ・グルメ館

妻木頼黄 の相関図を読込中

妻木 頼黄(つまき よりなか、安政6年1月20日(1859年2月22日) - 1916年(大正5年)10月10日)は日本の建築家。大蔵省などで数多くの官庁建築を手がけ、明治時代の官庁営繕組織を確立した

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