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つながりの強いひと
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姉小路忠方
鎌倉時代中期の公卿。権大納言・姉小路顕朝の長男。官位は正三位・権中納言。 |
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九条道家
鎌倉時代前期の公卿。摂政九条良経の長男。妻は太政大臣西園寺公経の娘等。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の父。官位は従一位・准三宮・摂政・関白・左大臣。光明峯... |
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後嵯峨天皇
鎌倉時代の第88代天皇(在位:仁治3年1月20日(1242年2月21日)-寛元4年1月29日(1246年2月16日))。諱は邦仁(くにひと)。 |
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中御門経任
鎌倉時代中期の公卿。初名は経嗣。中納言・吉田為経の次男。官位は正二位・権大納言。中御門大納言と号す。中御門家の祖。 |
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仙覚
仙覚(せんがく)は鎌倉時代初期における天台宗の学問僧。権律師。中世万葉集研究に大きな功績を残した。建仁3年(1203年)生れとする説が有力。没年不詳。文... |
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叡尊
鎌倉時代中期の真言律宗の僧。字は思円(しえん)。謚号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)。興福寺の学僧慶玄の子で、大和国添上郡箕田里(現・大和郡山市)の... |
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兼明親王
兼明親王(かねあきらしんのう、延喜14年(914年)-永延元年9月26日(987年10月21日))は平安時代の皇族。醍醐天皇の第十六皇子で母は藤原菅根の娘淑姫。朱... |
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藤原継縄
奈良時代後期から平安時代初頭の公卿。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智麻呂の孫。右大臣・藤原豊成の次男。官位は正二位・右大臣、贈従一位。桃園右大臣... |
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藤原縄主
平安時代前期の貴族。藤原式家、参議・藤原蔵下麻呂の長男。官位は従三位・中納言、贈従二位。 |
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藤原教長
平安時代末期の公家。難波飛鳥井流の始祖である大納言・藤原忠教の次男。官位は正三位・参議。 |
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坊門清忠
南北朝時代の公家。左近衛中将・坊門俊輔の子。子に重隆・親忠がいる。官位は従二位・参議。通称は坊門宰相。 |
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藤原頼経
鎌倉幕府4代将軍である。五摂家の一つ九条家出身で、九条道家の三男。官位は正二位・権大納言。九条頼経(くじょうよりつね)とも呼ばれる。七条将軍と号す。 |
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三輪高市麻呂
日本の飛鳥時代の人物である。氏は大三輪・大神とも表記される。姓は君のち朝臣。三輪文屋の孫で、三輪利金の子。天武天皇元年(672年)の壬申の乱のとき大海... |
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藤原永手
奈良時代の貴族。藤原北家の祖・参議藤原房前の次男。官位は正一位・左大臣、贈太政大臣。長岡大臣と称する。 |
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安倍有世
南北朝時代から室町時代初期にかけての陰陽師・公卿。安倍晴明の14代目の子孫にあたる。大炊権助・安倍泰吉の子。息子に泰継(のち有盛)・有仲(のち有重)... |
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土御門定通
鎌倉時代初期の公卿。源通親の4男。早世した長兄・源通宗の養子としてその後を継いだ。母は刑部卿藤原範兼の娘・藤原範子(後鳥羽天皇の乳母)、姉は承明門院... |
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大内教弘
室町時代中期の守護大名。周防・長門・筑前・豊前・肥前守護。大内氏第13代当主。第11代当主大内盛見の子(一説には大内持盛の次男)。教幸の兄。妻は山名宗... |
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北条重時
鎌倉時代前期の北条氏の一門。鎌倉幕府2代執権北条義時の3男。母は正室で比企朝宗の娘姫の前。極楽寺流の祖。六波羅探題北方、鎌倉幕府連署。 |
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藤原道長
藤原道長(ふじわらのみちなが)は平安時代中期の公卿。従一位・摂政・太政大臣・准三后。京都生まれ。藤原兼家の五男(四男という説もある)で、母は摂津守... |
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四条天皇
鎌倉時代の第87代天皇(在位:貞永元年10月4日(1232年11月17日)-仁治3年1月9日(1242年2月10日))。諱は秀仁(みつひと)。 |
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プロフィール
姉小路顕朝(あねがこうじあきとも、建暦2年(1212年)-文永3年9月20日(1266年10月19日))は、鎌倉時代中期の公卿。参議・姉小路宗房の長男。官位は正二位・ 権大納言。
経歴
| 父・宗房は散位の状態で病死したために若年時には苦労したが、暦仁元年(1238年)に右少弁に昇って以後は、九条道家・後嵯峨上皇の信任を受けて昇進する。 |
| 後嵯峨上皇の元では伝奏を務めて、同院の院政における中核的な地位にあった。 |
| 特に六波羅探題でさえ関与する事を渋った比叡山延暦寺に対する交渉において進んで交渉役を引き受けて問題解決を図った事によって上皇の信任を得た。 |
| 宝治2年(1248年)に参議に列すると2年後には権中納言に昇る。 |
| その後按察使に転じて弘長2年(1262年)には中納言、文永2年には(1265年)権大納言に昇った。 |
| 顕朝の家系で権大納言に昇った者はおらず、異例の人事であるとともに後嵯峨上皇一番の側近としての地位を内外に認められた証でもあった。 |
| だが、直後に病に倒れて、翌文永3年(1266年)に出家しそのまま病没した。 |
系譜
| 父:姉小路宗房。 |
| 母:藤原清長の娘。 |
| 妻:二条定高の娘。 |
| 男子:姉小路忠方(1241-1283)。 |
| 男子:姉小路長雅。 |
| 男子:姉小路顕兼。 |
| 女子:久我通基室。 |
| 女子:源資平室、のち公禅妻。 |
| 女子:中院通頼室。 |
| 女子:藤原長顕室。 |
| 女子:堀川高定室。 |
| 女子:四条隆行室、のち離別。 |
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1238年
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右少弁に昇って以後は、九条道家・後嵯峨上皇... |
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