| 1975年の愛知県勤労会館でのコンサートで、財津和夫は姫野についてこんなエピソードを語っていた。 |
| 「この前、あの、姫野君の所に遊びに行った時、布団が二人分ありました。 |
| 『どうして二人分置いてるんですか?』って僕が聞きましたところ、。 |
| 『財津くんが泊まりに来るためだ』、こう言っていましたけれども、真実は定かではありません。 |
| どうも、シーツを匂いましたところ、ファンデーションの....女性のですね、匂いがプンとしました。 |
| 『君は何か、ファンデーションか何かつけて寝てるのか?』と僕が聞きましたら『ん?そんなことはないよ。 |
| 』と言いましたから、きっとこれは何かあるなと僕は睨んでいます。 |
| 」と観客を笑わせた。 |
| 2002年の7月7日にチューリップin 照和というデビュー30周年のライブが行われた。 |
| その際に姫野は、TVインタビューに若き日の財津和夫のことを語った。 |
| 「財津さんのこの音楽に対する考え方っていうのは、メロディーに対してこの音がこうだったらこういう音を使ってほしいとか言う要望がとっても多いんですよね。 |
| で、そういう部分で、ま、よくそういう意味では話はしてたなって気はしますけどね。 |
| あんまりね、さっきあまり変なこと言うなよと(財津が)言ってましたんで言われませんけども、本当は言いたいこといっぱいあるんですよ!」と笑いながら当時を語った。 |
| NHKの「Tulip 青春のラストラン」という番組のインタビューで姫野は、自身の忘れられない情景を語った。 |
| それは、心の旅がリリースされる前のことであった。 |
| 当初この曲は、作詞作曲をした財津がボーカルを担当することになっていたが音楽ディレクターの考えにより、急遽、最年少の姫野に変更することになった。 |
| 音楽ディレクターの判断としては、この曲は、姫野の甘い声で歌った方が売れるというところにあった。 |
| 姫野は当時を振り返り「印象深いって言うか、そういった曲は、やっぱり「心の旅」なんですよね。 |
| なんかその時に(ディレクターにボーカル変更を要求された時)フッと財津さんの方を見るじゃないですか。 |
| やっぱなんかちょっと申し訳ないなみたいな、ちょっと寂しげだなとみたいな感じがしたんですけども。 |
| それで、ようやくそのヒット曲が出たことによって自分達の本当にやりたい音楽をやれるような状況ができたわけですよね。 |
| だから、そういう意味では、凄い僕らのこれからを作ってくれた曲だと思うんですよね。 |
| それに対し財津は、2002年にTV番組でこの当時の複雑な心境を語った。 |
| 「複雑どころか、ハッキリ、あの〜、''反対していましたからね。 |
| ''これはね、あの、もちろん僕が歌うつもりでね、レコーディングの前日まで発声練習をしておりました。 |
| で、もうぎりぎりになって(ディレクターが)『''財津が歌うとヒットしないな。 |
| ''姫野の声の方が甘い感じがして魅力的だから姫野に歌わせよう。 |
| 』姫野君はね、リードボーカルをとるなんて夢にも思ってなかったと思いますし、う〜ん、そういうタイプじゃなかったんですね。 |
| ま〜、レコーディング終わって、ヒットするって分かるまで''僕はずっとこの事件に対して恨みを持っていました。 |
| ''でも、ヒットしてからは、手のひらを返すように僕は姫野さんには、足を出向けれないように今でもさせて頂いてます。 |
| こちらこそ有難う」とコメントした。 |
| そして姫野は、チューリップが自分にとって「家、共に戦ってきた仲間の集った場所であり、家に帰るような感じ」と語った。 |