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つながりの強いひと
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儒理尼師今
新羅の第3代の王(在位:24年-57年)であり、姓は朴。先代の南解次次雄の長子であり、母は雲帝夫人(または阿婁夫人)。王妃は日知葛文王の娘(『三国史記』新... |
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葛文王
新羅における王族の称号のひとつ。『三国史記』からは、王位にはつけなかった王の父や王の舅などに尊称として与えられたものと考えられている。発生の経緯や... |
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新羅王
秦氏と新羅王伝説 皆神山すさ/著 出版社名 : 彩流社 出版年月 : 2010年4月 ISBNコード : 978-4-7791-1527-1
( 4-7791-1527-2 ) 税込価格 : ... |
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脱解尼師今
新羅の第4代の王(在位:57年-80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。吐解尼師今(とかいにしきん、、トヘ・イサグム)とも記される。第2代の南解... |
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逸聖尼師今
新羅の第7代の王(在位:134年-154年)。第3代儒理尼師今の長男であり、姓は朴。『三国史記』新羅本紀・逸聖尼師今紀には分注で日知葛文王の子とも記され、『... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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南解次次雄
新羅の第2代の王(在位:4年-24年)であり、姓は朴。二聖と称される新羅始祖赫居世居西干と閼英夫人との間の長子。王妃は雲帝夫人(または阿婁夫人)。紀元4年... |
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阿達羅尼師今
新羅の第8代の王(在位:154年-184年)であり、先代の逸聖尼師今の長男。姓は朴。母は朴氏の支所礼王の娘、王妃は第6代の娘の内礼夫人。154年2月に先王が死去... |
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にしきん
はは (3) 08/09 m9(^д^) (5) 08/06 参加サークル もっと見る 最近のつぶやき バンってしてないだろ! 更新日時 :2010/08/20 16:53 伝言板 もっと見る 違... |
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伐休尼師今
新羅の第9代の王(在位:184年-196年)であり、姓は昔。父は第4代の脱解尼師今の子の仇鄒角干、母は金氏の只珍内礼夫人。184年3月に先代の阿達羅尼師今が死去... |
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奈解尼師今
新羅の第10代の王(在位:196年-230年)であり、先代の伐休尼師今の第2子伊買の子。姓は昔。母は内礼夫人、王妃は第11代の助賁尼師今の妹。伐休尼師今が196年4... |
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神功皇后
仲哀天皇の皇后。『紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひ... |
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赫居世居西干
新羅の初代の王(在位:紀元前57年-4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。「居西干」は辰韓語で王もしくは貴人を意味する称号と記されているが、高句麗の官... |
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己婁王
己婁王(こるおう、生年未詳-128年)は百済の第3代の王(在位:77年-128年)であり、先代の多婁王の嫡男。33年に太子となり、77年9月に先王の死去により王位... |
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首露王
金官加羅国の始祖と伝えられている韓国(朝鮮)の伝説的な王であり、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたと伝えられている。妃はインドの阿踰陀国の王... |
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味鄒尼師今
新羅の第13代の王(在位:262年-284年)であり、姓は金氏。金閼智の7世孫であり、父は葛文王(金)仇道、母は葛文王(朴)伊柒の娘。王妃は第11代助賁尼師今の... |
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景徳王
新羅の第35代の王(在位:742年–765年)で、姓は金、諱は憲英。先代の孝成王の同母弟であり、父は33代聖徳王、母は順元(2等官)の娘の。王妃は舒弗邯(1等官... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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助賁尼師今
新羅の第11代の王(在位:230年-247年)であり、姓は昔。父は第9代の伐休尼師今の太子の骨正葛文王、母は金仇道葛文王(後の味鄒尼師今の父)の娘の玉帽夫人。... |
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プロフィール
婆娑尼師今(ばさにしきん、生年不詳-112年)は、新羅の第5代の王(在位:80年-112年)であり、第3代 儒理尼師今の第二子。姓は朴。『三国史記』新羅本紀・ 婆娑尼師今紀の分注には 儒理尼師今の弟・奈老の子ともいう。王妃は金氏の許婁 葛文王の娘の史省夫人。80年8月に先代の 脱解尼師今が死去した際には、 儒理尼師今の長子の逸聖(後、第7代 逸聖尼師今として即位)が立てられようとしたが、婆娑のほうが聡明であったため群臣に推挙され、王位につい ...
治世
| 産業振興に努めるとともに西方の百済、南方の伽耶に対する国防強化を図った。 |
| 加召城(慶尚南道居昌郡加祚面)・馬頭城(慶尚南道居昌郡馬利面)を築いたところで94年2月・96年9月と伽耶の侵入を受けたが、いずれも撃退した。 |
| 101年には王都金城(慶尚北道慶州市)付近に月城を築き、居城を移した。 |
| 102年8月、音汁伐国(慶尚北道蔚珍郡)と悉直谷国(江原道三陟市)とが境界争いの調停を婆娑尼師今に願い出たので、婆娑尼師今は金官国の首露王を呼び出して審議させた。 |
| 首露王の判定で係争地は音汁伐国に帰したが、直後に音汁伐国と不和を生じた。 |
| これは、仲裁の審議を行った首露王を歓待しようとして六部に命じて酒席を設けさせたところ、五部は首長の伊飡が饗応したが漢祇部だけが位の低いものが当たったため、首露王は奴僕を用いて漢祇部の首長を殺して帰国し、奴僕は音汁伐国王のもとに逃げ込んだものである。 |
| 婆娑尼師今は音汁伐国王に奴僕の身柄引渡しを求めたが、音汁伐国王は送らなかったため、婆娑尼師今は音汁伐国を討伐することになった。 |
| この討伐により音汁伐国は投降し、あわせて悉直谷国・押督国(慶尚北道慶山市)も服属することとなった。 |
| 104年7月には早くも悉直国は反乱したために討伐し、その遺民を南部へ移住させた。 |
| こうした新羅の対外戦争の成功状況を見て、105年に百済の己婁王は新羅に対して和睦を求めてきた。 |
| 108年には南方へ大征を行ない、比只国(昌寧郡)・多伐国(大邱広域市)・草八国(陜川郡)を併合した。 |
| 在位33年にして112年10月に死去し、始祖赫居世の陵である虵陵(現在地未詳)の域内に葬られた。 |
説話の歴史解釈
| 境界争いの仲裁に連なる説話は、4世紀後半頃の新羅の実体を映したものだと見られている。 |
| 朝鮮半島南東部の辰韓諸国の中では有力者となった辰韓諸国は280年から286年にかけて西晋に対して朝貢を行っているが、377年には辰韓の代表として新羅が朝貢を行ったことが見られる。 |
| 奈勿尼師今を参照。 |
| 新羅(斯盧)だが、その力は決して頭抜けていたものではなく、支配下の小国間の争いを直接裁決することができず、第三者(金官国)に委ねるしかなかったという程度に留まっており、その後に、新羅の直属の部族の首長が他の国(金官国)に殺されても、首謀者である国王に報復することはできていないなどである。 |
| 新羅と金官国との国力が均衡していたとも見られるが、新羅王の権力が領域内でそれほど強くなかったことの表れと考えられている(→井上2004)。 |
参考文献
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
| 井上秀雄『古代朝鮮』<講談社学術文庫>、講談社、2004 ISBN4-06-159678-0(原著『古代朝鮮』日本放送出版協会、1972)。 |
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