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平原王
平原王(へいげんおう、生年不詳-590年)は高句麗の第25代の王(在位:559年-590年)。姓は高、諱は陽成(『三国遺事』王暦では陽城)。平崗上好王(『三国史... |
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栄留王
高句麗の第27代の王(在位:618年-642年)。姓は高、諱は建武、または成。先代の嬰陽王の異母弟であり、父は第25代平原王。618年9月に先王の死去に伴い、王位... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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陽原王
高句麗の第24代の王(在位:545年-559年)。姓は高、諱は平成。陽崗上好王(『三国史記』高句麗本紀・陽原王紀の分注)、陽崗王(『三国遺事』王暦)ともいう... |
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乙支文徳
高句麗の将軍であり大臣。『三国史記』巻44・乙支文徳伝には、世系は不明である。隋の第二次高句麗遠征(612年)(麗隋戦争)において、隋軍に偽りの降伏を申... |
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長寿王
高句麗の第20代の国王(在位:413年-491年)。姓は高、諱は巨連。『魏書』などには「璉」の名で現れる。先代の好太王の長子であり、409年に太子に立てられ、41... |
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安原王
高句麗の第23代の王(在位:531年-545年)。姓は高、諱は宝延(『三国遺事』王暦では宝迎)。先代の安臧王の弟であり、父は第21代の文咨明王。『魏書』や『梁... |
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文帝
前漢第5代皇帝(恵帝の子とされる2人の少帝を除外し、第3代皇帝とする場合もある)。劉邦の庶子で、生母は薄氏。妻に竇氏がいる。 |
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煬帝
煬帝(ようだい、ようてい)は隋朝の第2代皇帝(在位:604年8月21日-618年4月11日)。煬帝は唐王朝による追謚である。中国史を代表する暴君といわれる。 |
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瑠璃明王
高句麗の第2代王(在位:前19年-後18年)であり、姓は高、諱は類利、または孺留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟... |
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淵蓋蘇文
高句麗末期の宰相・将軍。泉蓋蘇文、泉蓋金とも記される。『日本書紀』には伊梨柯須彌(伊梨柯須弥、いりかすみ)として現れる。これは姓の「淵(泉)」を高... |
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大武神王
高句麗の第3代の王(在位:18年-44年)であり、大解朱留王、大朱留王ともいう。先代の瑠璃明王の3番目の男子であり、姓は高、諱は無恤(ぶじゅつ、ムヒュル)... |
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安臧王
高句麗の第22代の王(在位:519年-531年)。姓は高、諱は興安。『魏書』や『梁書』には「安」の名で現れる。先代の文咨明王の長子であり、498年に太子に立てら... |
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文咨明王
高句麗の第21代の王(在位:492年-519年)。姓は高、諱は羅雲、『三国遺事』王暦では明理好、个雲とも記される。王号は明治好王()ともいう。先代の長寿王の... |
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閔中王
高句麗の第4代の王(在位:44年-48年)。姓は高、諱は解色朱。『三国史記』高句麗本紀では先代の大武神王の弟、『三国遺事』王暦では大武神王の子とする。44年... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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西川王
高句麗の第13代の王(在位:270年-292年)。姓は高、諱は薬盧、または若友。西壤王ともいう。先代の中川王の第2子であり、255年に王太子に立てられ、270年10月... |
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中川王
高句麗の第12代の王(在位:248年-270年)。姓は高、諱は然弗。中壌王ともいう。先代の東川王の子であり、243年に王太子に立てられ、248年9月に先王の死去とと... |
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小獣林王
高句麗の第17代の王(在位:371年-384年)。姓は高、諱は丘夫。小解朱留王ともいう。先代の故国原王の子であり、355年に太子に立てられ、371年10月に先王が百... |
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プロフィール
嬰陽王(えいようおう、生年不詳-618年)は高句麗の第26代の王(在位:590年-618年)。姓は高、諱は元、または大元。平陽王とも記される。先代の 平原王の長子であり、『隋書』には「元」の名で現れる。565年に太子となり、590年10月に先王の死去に伴い王位に就いた。
治世
| 即位後すぐに隋より<上開府儀同三司・遼東郡公・高句麗王>に冊封されるが、598年に靺鞨の人々を率いて遼西に進入し、そのために隋の文帝の怒りを買い隋の高句麗遠征(麗隋戦争)(第一次遠征)を引き起こすことになった。 |
| 30万の大兵を率いた隋軍だが、長雨・大風に悩まされたために早々に引き上げ、嬰陽王もまた使者を送って謝罪したことで、隋と高句麗との間にはいったんは和平が取り戻された。 |
| 607年には東突厥の啓民可汗の幕営に使者を派遣していたところを隋の煬帝に見られ、第二次遠征(612年)の遠因となった。 |
| 第二次の戦役中には、大臣の乙支文徳が偽りの投降をして隋軍の内情を調べあげ、逃げ出した後には日に七度戦ってわざと負けてみせるなどして隋軍を疲弊させ、7月には諸軍を壊滅させた。 |
| 続く第三次遠征(613年)、第四次遠征(614年)でも隋軍を退け、隋の衰亡を早めさせることとなった。 |
| その間、百済・新羅に対しても攻撃を行い、百済からは石頭城で捕虜三千人、新羅からは捕虜八千人と牛鳴山城(江原道元山市安辺郡瑞谷面?)を得た。 |
| 文化面では、600年に大学博士の李文真に命じて、高句麗の建国後間もなくからの古い歴史書である『留記』100巻の整理を行い、『新集』5巻に編纂させた。 |
| 在位29年にして618年9月に死去し、嬰陽王と諡された。 |
| 埋葬地については記述がない。 |
参考文献
| 『三国史記』第2巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983ISBN4-582-80425-X。 |
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