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つながりの強いひと
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前畑秀子
和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。結婚後の姓は兵藤(ひょうどう)といい、「兵藤秀子」の名前でもよく知られている。 |
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田島直人
日本の陸上競技選手。ベルリンオリンピック金メダリスト。 |
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村社講平
村社講平(むらこそこうへい、1905年8月29日-1998年7月8日)は陸上競技長距離走の元オリンピック選手。宮崎県宮崎市出身。 |
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寺田登
寺田登(てらだ のぼる、1917年11月25日-1986年9月26日)は日本の水泳選手。静岡県出身。慶應義塾大学出身。 |
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黄永祚
韓国の陸上競技選手。1992年バルセロナオリンピック男子マラソンの金メダリストである。ファンは若い頃からトラック競技で有望なランナーであったが、1991年... |
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遊佐正憲
日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック800メートルリレーで金メダル、1936年ベルリンオリンピックでは、100メートル自由形で銀メダル、800メートル... |
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君原健二
君原健二(きみはらけんじ、1941年3月20日-)は日本男子の陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1960年~1970代前半の戦後日本の男子第1次黄金時代に活躍した... |
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金栗四三
日本のマラソン選手、師範学校教師、熊本県初代教育委員長である。箱根駅伝の開催に尽力し、日本に高地トレーニングを導入するなど日本マラソン界の発展に大... |
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田中茂樹
日本の元マラソン選手、日本人初のボストンマラソン優勝者。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。 |
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新井茂雄
新井茂雄(あらいしげお1916年8月8日-1944年)は日本の静岡県出身の水泳選手。1936年ベルリンオリンピック800メートルリレーで金メダル、100メートル自由形で... |
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瀬古利彦
瀬古利彦(せことしひこ、1956年7月15日-)は三重県桑名市出身の元陸上競技・マラソン選手、陸上競技指導者。1970年代後半から1980年代にかけて宗茂、宗猛、中... |
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西田修平
日本の陸上競技選手である。和歌山県東牟婁郡那智村(現・那智勝浦町)出身。ベルリンオリンピック銀メダリスト。早稲田大学卒業。 |
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有森裕子
元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある。日本体育大学卒業、日本陸上競技連盟の理事、日体大客員教授、国際陸上競技連盟女性委員会... |
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原田正夫
原田正夫 はらだまさお 生年月日 11月28日 職種 声優 性別 男 星座 いて座 出身 徳島(日本 ) 現所属 アーツビジョン 関連リンク 所属事務所公式プロフィ... |
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円谷幸吉
円谷幸吉(つぶらやこうきち、本名:つむらやこうきち、1940年(昭和15年)5月13日-1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手... |
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大江季雄
日本の陸上競技選手。元棒高跳日本記録保持者。ベルリンオリンピック銅メダリスト。京都府舞鶴市出身。旧制舞鶴中学校(京都府立西舞鶴高等学校)、慶應義塾... |
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清川正二
清川正二(きよかわまさじ、1913年(大正2年)2月11日-1999年(平成11年)4月13日)は水泳選手、実業家。愛知県豊橋市出身。旧制愛知第四中学校(現愛知県立... |
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杉浦重雄
日本の水泳選手。静岡見付中(現在の静岡県立磐田南高等学校)出身。 |
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プロフィール
- 孫基禎とは
- 俊足
- スカウト
- 世界記録樹立
- ベルリンオリンピック
- 指導者
- 大韓陸連会長
- 公式記録上の国籍
- 著書
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
孫基禎(そんきてい、ソン・ギジョン、1912年8月29日-2002年11月15日)は、日本統治時代の朝鮮出身の日本の男子マラソン選手。1936年のベルリンオリンピックで、アジアの選手として初めてマラソンで金メダルを獲得した。大韓民国建国後は同国籍になり、同国の陸上チームのコーチや陸連会長を務めた。
俊足
| 当時の平安北道新義州府内にある、中華民国との国境を流れる鴨緑江の畔の都市である新義州(現在の北朝鮮)近くの町で育つ。 |
| 生家は雑貨店を営んでいたが、家計は貧しく、冬に周囲の子供たちが鴨緑江で興じるスケートの靴を買ってもらうことができなかった。 |
| このため、普通学校(内地の尋常小学校に相当)の頃から走ることに興味を抱いて通学などの機会にいつも走り、高学年になると自ら練習を考案して走っていたという。 |
| 1926年(昭和元年)に、自宅が鴨緑江の洪水で被害を受けたため、勉学を中断して働くことを余儀なくされたがこの時期にも走ることは止めず、次第に俊足が注目されるようになる。 |
スカウト
| 1932年(昭和7年)、当時日本に併合されていた朝鮮において陸上競技の名門であった京城(現:ソウル)の養正高等普通学校(内地の旧制中学校に相当。 |
| 現在の養正高等学校にスカウトされ、19歳で入学した。 |
| 後にベルリンオリンピックで銅メダルを獲得する南昇竜(孫とは同年齢)も孫と同時に陸上部に入ったが、南は他の学校への入学経験から3年生で編入されており、孫にとって「先輩」であった。 |
| しかし、南は学業がふるわずに1年で退学している。 |
| 養正高等普通学校入学後、練習の環境を得た孫は急速に力を伸ばすことになった。 |
世界記録樹立
| 1935年(昭和10年)11月3日、東京の第8回明治神宮体育大会のマラソンで、当時の世界最高記録2時間26分42秒を樹立したこの記録は、世界最高記録としては1947年に孫の弟子でもある徐潤福の更新まで11年5ヶ月、日本最高記録としては1955年の廣島庫夫による更新まで19年6ヶ月破られなかった。 |
ベルリンオリンピック
| 350px|thumb|1936年ベルリンオリンピック優勝直後の孫基禎とダンサーの崔承喜。 |
| 1936年(昭和11年)8月のベルリンオリンピックには、朝鮮半島が当時日本に併合されていたため、孫は「日本代表」として出場し、当時のオリンピック記録となる2時間29分19秒2で金メダルを獲得した。 |
| 現在のところ、オリンピックの男子マラソンで、世界記録保持者として出場した選手が金メダルを獲得した唯一の例である。 |
| 大会直後に朝鮮の新聞「東亜日報」に胸の日の丸が塗りつぶされた表彰式の写真が掲載され、当時の朝鮮総督府の警務局によって同紙記者の逮捕・発刊停止処分が下されるという事件が起きる。 |
| このため、10月になって帰国した孫には警察官が張り付き、朝鮮内で予定されていた歓迎会も大半が中止される事態になった。 |
| この一件により、孫は陸上競技を続ける意欲を失い、翌年明治大学の予科に進むが陸上部には所属しなかった。 |
| なおその後明治大学を卒業する。 |
| 孫自身は当時より民族意識が強く、世界最高記録樹立時の表彰式でも「なぜ君が代が自分にとっての国歌なのか」と涙ぐんだり、ベルリン滞在時には外国人へのサインに「KOREA」と記したりしていた。 |
| このうち後者は当時の特別高等警察によってチェックされて「特高月報」に記載されており、帰国後に「要注意人物」として監視を受けることにも繋がった。 |
| しかし戦後に、日本の陸上関係者や戦前親しくしていた友人への手紙などには、日本語読みのローマ字署名を付けるなど、親日的な態度を取り続け、日韓友好の重要な架け橋となった。 |
指導者
| 第二次世界大戦後の大韓民国の建国後は韓国籍となり、コーチとして活動。 |
| 終戦後まもなく「マラソン普及会」を南昇龍らと結成し、選手の指導に当たった。 |
| 教え子の中から、1947年のボストンマラソンでは徐潤福が孫の世界最高記録を12年ぶりに更新する2時間25分39秒で優勝、1950年のボストンマラソンでも韓国選手が上位3着を独占する快挙を達成した。 |
| しかし、監督として同行したボストンからの帰国直後に朝鮮戦争が勃発、北朝鮮側にソウルの自宅に監禁される苦難も経験した。 |
| その後脱出し、戦火が落ち着くと再び陸上競技の指導者として活動を行った。 |
| 1948年のロンドンオリンピックと1952年のヘルシンキオリンピックでは韓国選手団の総監督を務める。 |
大韓陸連会長
| 大韓陸上競技連盟会長にも就任し、1988年のソウルオリンピック開会式では聖火をスタジアムに持って登場した。 |
| 本人は、金メダルを獲得した時よりもこの時の方が嬉しかったという。 |
| 2002年11月15日に韓国のソウルの病院で死去。 |
| 2010年現在、子息の孫正寅が在日本大韓民国民団の事務部長として横浜市に在住し、小学校などの講演で「あのマラソンで日本は勝った。 |
| でも日本人が勝ったわけじゃない。 |
| それがどういう意味なのかを考えてほしい」と訴えている |
公式記録上の国籍
| 孫の金メダリストとしてのIOC公式記録によると国籍は日本となっている。 |
| 朝鮮南北双方が自国籍と表記するように要請をそれぞれしているが変更はない。 |
| 1970年には韓国人旅行者がベルリン五輪記念スタジアムの記念碑に刻まれた孫の国籍を「Japan」から「Korea」に変える事件が起こったが、現在は「Japan」に戻されている。 |
| アメリカではカリフォルニア州にある五輪歴代マラソン優勝者記念碑や五輪記録集などは「Korea」と記載されている。 |
| ベルリン五輪では「キテイ・ソン」と呼ばれ、当時のスタジアムにもその名で名が残されているが、日本でも1980年代以降は、漢字表記のまま「ソン・ギジョン」と韓国語読みで読まれる傾向が増している。 |
著書
| 『ああ月桂冠に涙 孫基禎自伝』(講談社、1985/2、ISBN978-4062005685)。 |
参考文献
| 『鳳仙花 ベルリン五輪の覇者・孫基禎の光と影小説』(清水洋充著、皆美社、1984/3)。 |
| 『日章旗とマラソン ベルリン・オリンピックの孫基禎』(鎌田忠良著、潮出版社、1984/8)。 |
| 『日章旗とマラソン ベルリン・オリンピックの孫基禎(講談社文庫)』(鎌田忠良著、講談社、1988/8、1984年潮出版社刊の『日章旗とマラソン』を文庫本化、ISBN978-4061842656)。 |
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1970年
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韓国人旅行者がベルリン五輪記念スタジアムの... |
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2002年
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韓国のソウルの病院で死去 |
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