| もともと漫画少年で、手塚治虫に握手してもらったことがある。 |
| 「漫画研究会」に所属した大学時代はスーツ姿にバルタン星人の着ぐるみをかぶって就職活動をおこないマスコミの注目を集め、ニュースにも取り上げられた。 |
| テレビCMの製作会社に就職し蚊取線香のコマーシャルに出演したが対人関係の問題から辞職に追い込まれ、フリーライターとなる。 |
| 「プチセブン」にも寄稿していた。 |
| 1983年から、ライターとしての活動をスタートする。 |
| この頃には中森明夫、野々村文宏、田口賢司の「新人類三人組」に続く「新・新人類」というキャッチコピーを石丸元章、菅付雅信との3人でつけられかける。 |
| 1989年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者宮﨑勤の逮捕によっておたくという概念がクローズアップされる中、日本独特のおたく文化というものの発生に衝撃を受け1990年2月におたく評論家としてデビュー。 |
| 森高千里のフィギュアとマジックハンドに紙袋を持つという姿で『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』などのようなテレビ番組をはじめとする各種メディアに出演し、お茶の間に強烈な印象を与えた。 |
| 1994年11月2日、警視庁代々木警察署から道路交通法違反(当て逃げ)の容疑で逮捕された。 |
| これは同年7月22日に宅の自家用車が駐車場を出る際、隣の車をこすったにも関わらずそのまま走り去ったためのものであるがなお、宅は自分がこすった事を認め、示談案を提示していたが成立しなかった。 |
| 、宅本人は上記「週刊ポスト」担当デスクの事件による別件逮捕と主張している。 |
| というのも、以前から宅はしばしば処刑執行人を名乗り、一方的な「復讐」として論争相手の個人情報を一般雑誌の紙面で公開し「やっちゃえ!OK!」、「○○を殺す!」などと読者を煽っていたことから、社会通念に従った懲罰的な側面も大きいとされる。 |
| 宅の「復讐」はエスカレートすることも多く、標的にされた「週刊ポスト」の担当デスク(宅の告発記事を掲載していた)から住居侵入・強要・威力業務妨害で被害届が出されていたため、宅本人や「噂の真相」編集部に警察による強制捜査が入ると噂された。 |
| その時点で『噂の真相』は宅の連載を打ち切った。 |
| 「噂の眞相」では、『断筆宣言』を発表して連載を降りた筒井康隆に代わって田中康夫に連載執筆を依頼したところ、上記の事件が発生し宅の連載が一時休載することになった。 |
| 宅の弁によれば「自分が攻撃、批判している人物との同一媒体への寄稿を控えたいという意志を通せなくなるために、編集部との話し合いがこじれて休載になった」とされた。 |
| その後宅が田中を攻撃し、田中もそれを連載上で批判したために宅が激昂し、宅が田中の自宅にストーカー行為を行い田中の家を度々訪問した挙句、田中の車や家の一部を破壊する他、白紙ファクシミリを送り続けるなどしたために、田中の自宅前で騒ぐ宅を怖がった近隣住人が警察に通報するなどの騒ぎとなった。 |
| その後安部譲二の仲介もあって一度は和解したものの、両者の間で板ばさみ状態になった編集長の岡留安則は胃潰瘍になった。 |
| この様な脱法行為や事件を起こしたために「噂の眞相」の連載を打ち切られるが、代わって扶桑社の「SPA!」に迎えられ新連載を開始した。 |
| 1995年に地下鉄サリン事件が起こるとオウム真理教の扱いを巡って性急な犯人視報道を批判したため、「SPA!」に連載していた小林よしのり小林はオウムを厳しく批判し、実際に殺害(ポア)の対象とされていたに批判されるようになった。 |
| 連載陣の松沢呉一、鈴木邦男も宅に近い見解を持っていたため、小林は編集部と彼らが同調していると主張。 |
| 宅は小林との公開討論を要求したが、小林は自身の持つ連載の影響力から論争を通じての売名行為だとして応じず、ついに連載を引き揚げるに至った。 |
| 宅は看板連載をもつ小林に配慮した扶桑社によって小林批判の自粛を求められたとされるが、1996年に切通理作を批判する中で切通自宅の電話番号を数度にわたり読者にわかるような形で公表したため、社会通念に従って連載は打ち切られ、当時の編集長つる師一彦は解任された。 |
| 宅とつる師は背後に小林の圧力があったと主張しているが、小林自身は切通と面識があったため、常識的に編集部への抗議の意を伝えたものとされる。 |
| 「SPA!」上の連載では休載扱いとされていたが、1998年に再開即最終回という形で1回限りで掲載され、完全に終わった。 |
| 2004年3月から歌舞伎町のホストクラブ「clubG」でホストとして勤務。 |
| その仕事ぶりが、テレビ番組『メレンゲの気持ち』『オオカミ少年』などで紹介されたことがある。 |
| 現在も同店に在籍しているものの、2006年2月より自由出勤(予約指名があったときだけ出勤)という勤務形態となっている。 |
| 本人曰く、仕事上酒を大量に飲むことが多くなりそれで体調に異変が生じたとのことらしい。 |
| また『オオカミ少年』に出演した際、「デビュー当時より、体重が10kg増加した」と語っている。 |
| 2006年4月に明日のスターを応援するピュアライムの学院長に就任する。 |
| 2006年6月から「うにプロジェクト」のアドバタイジング・ディレクターとして活動、アキバ系撮影会やイベントに携わる。 |
| 同時に、宅八郎プロデュース「COSdeLiveコスドライブ等身大(vol.1)」を開催。 |
| 近年「ハチロック」というロックバンドを結成して音楽活動を展開している。 |
| 宅はボーカル、作詞、作曲担当である。 |
| また「メカヤクザ」名義でDJとしての活動も行っている。 |
| 現在、都内の東日暮里に在住。 |
| タレントデビュー時に彼のシンボルであった「マジックハンド」は健在。 |
| 観光目的で何度か北朝鮮を訪問している。 |