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つながりの強いひと
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龍草廬
江戸時代後期の儒学者・漢詩人である。姓は武田。名は公美(ときのり)。字は君玉。通称は彦次郎、後に衛門とした。草廬は号である。一時期、名は元亮に、宇... |
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大典顕常
大典顕常(だいてんけんじょう、享保4年(1719年)-享和元年2月8日(1801年3月22日))は江戸時代中期の禅僧、漢詩人である。近江国の生まれで相国寺に住し、... |
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荻生徂徠
江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。名は双松(なべまつ)、字は茂卿(しげのり)、通称は総右衛門、徂徠と号し(一説では「徂來」が正しいとす... |
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片山北海
江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人である。京都の江村北海、江戸の入江北海とともに三都の三北海と称された。名を猷、字は孝秩、通称を忠蔵、号は北海の他に... |
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服部南郭
江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人、画家であり、荻生徂徠の高弟として知られる。姓は服部、自ら修めて服と為す、名は元喬(げんきょう)、通称は幸八(こう... |
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伊藤東涯
江戸時代中期の儒学者。儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂の2代目。母の嘉那は尾形光琳・乾山の従姉に当たる。名は長胤(ながつぐ)、字は原蔵・源蔵・... |
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佐藤一斎
美濃国岩村藩出身の著名な儒学者。諱は担。通称は捨蔵。字を大道。号は一斎のほか、愛日楼、老吾軒。 |
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シャルル9世
ヴァロワ朝第12代フランス王(在位:1561年-1574年)。父はアンリ2世、母はカトリーヌ・ド・メディシスで、フランソワ2世の弟、アンリ3世の兄である。 |
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売茶翁
江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外(こうゆうがい)とも称した。肥前蓮池道畹(佐賀県佐賀... |
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皆川淇園
江戸時代中期の儒学者。父は皆川成慶(春洞、白洲)で、実弟に国学者富士谷成章(層城、北辺)がいる。淇園は号で、名は愿(げん)。字は伯恭。通称は文蔵。... |
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新井白石
江戸時代中期に活躍した旗本・政治家・学者である。学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に渡る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、... |
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ルイ12世
ヴァロワ朝第8代のフランス王(在位:1498年-1515年)。シャルル5世の曾孫。「民衆の父」(lePèreduPeuple)と呼ばれた。 |
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藤原惺窩
戦国時代から江戸時代前期にかけての儒学者。父は歌道で有名な公家の冷泉家の冷泉為純。家名の冷泉を名乗らず、中国式に本姓である藤原および籐(とう)を公... |
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太宰春台
江戸時代中期の儒学者・経世家。「春台」は号で、名は純、字は徳夫、通称は弥右衛門。また、紫芝園とも号した。 |
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木下順庵
師事
江戸時代前期の儒学者。名は貞幹、字は直夫、通称は平之允、順庵と号し、又錦里・敏慎斎・薔薇洞と号した。京都錦小路の出身。儒学を藤原惺窩の弟子松永尺五... |
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片山兼山
片山兼山 【かたやま-けんざん】 3件の用語解説(片山兼山で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 片山兼山 かたやま-けん... |
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貝原益軒
貝原益軒(かいばらえきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日)-1714年10月5日(正徳4年8月27日))は江戸時代の本草学者、儒学者。 |
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中江藤樹
近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじめ)、字は惟命(これなが)、通称は与右衛門、藤樹と号した。 |
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頼春水
江戸時代中期・後期の儒学者、詩人。頼山陽の父。幼名は青圭、名は惟完あるいは惟寛、字は千秋、伯栗、春水は大坂で用いた号で江戸では霞崖と称した。別号に... |
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青木昆陽
江戸時代中期の儒学者、蘭学者である。名は敦書、字は厚甫、通称は文蔵、昆陽と号した。 |
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プロフィール
宇野明霞(うのめいか、元禄11年5月20日(1698年6月27日)-延享2年4月14日(1745年5月15日))は江戸時代中期の日本の儒学者である。名を鼎、字を士新、通称三平。宇士新と中国風に名乗った。弟の士朗とともに平安二宇先生と称された。
略歴
| 近江国野洲(現滋賀県野洲市)に生まれたが、父安治が嵯峨の豪商角倉家に仕え運漕(船で貨物を運ぶ仕事)をしており、一家で京都に移り住んだ。 |
| 明霞は最初、木下順庵門下の向井三省に師事するが、入江若水を通じて徂徠学を知り、自らは病弱であったため弟の士郎を江戸に遊学させて荻生徂徠に入門させている。 |
| 自分自身は京都に残り、釋大潮に華音や古文辞学を受ける。 |
| 弟士郎はわずか一年で帰京したが、これは徂徠の教育方針に納得できず、さらには蘐園学派内に徂徠学を継承する者はいないと判断したからである。 |
| 特に服部南郭や平野金華に対して厳しい批判を行っている。 |
| 十数年もの間、家に籠もり古書・典籍を精読しひたすら独学した。 |
| やがて独自の学問を樹立し徂徠と訣別し蘐園学派を激しく批判するようになる。 |
| 夭折した学者田中大観とは学問を通じて親しく交流し、彼の碑銘を書いている。 |
| 太宰春台は徂徠が志した政治にまったく関心を示していないとしてこの兄弟を非難している。 |
| 明霞は生涯、妻帯することはなかった。 |
| 京都極楽寺に葬られる。 |
著書
| 『論語考』(六巻)。 |
| 論語の各章に自説を載せ、次に朱子・伊藤仁斎・荻生徂徠の説を載せてこれを批判している。 |
| 『左傳考』(三巻)。 |
| 門弟の片山北海が明霞の没後、遺稿を編集して出版した。 |
| 春秋左氏伝の読書記として高く評価された。 |
| 太田錦城はこれに増補して『左傳考補』を著している。 |
| 『明霞先生遺稿集』(八巻五冊、寛延元年)。 |
| 門弟の大典顕常が明霞の没後、遺稿を編集して出版した。 |
| 『詩語解』(宝暦13年)。 |
| 『文語解』(明和9年)。 |
| 『詩家推敲』(寛政11年)。 |
| 以上、3書は一般に大典顕常の著書と知られているが、実際は明霞の草稿を大典が整理し刊行したものである。 |
| 『名公四序評』 田中大観が序を寄せている。 |
参考文献
| 安井小太郎『日本儒学史』冨山房、1939年。 |
| 高田真治『日本儒学史』地人書館、1941年。 |
| 高橋博巳「文人社会の形成」『岩波講座日本文学史第9巻18世紀の文学』岩波書店、1996年、ISBN4000106791。 |
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