| 宮城県石巻高等学校、早稲田大学社会科学部(当時は夜間学部)卒業。 |
| 在学中は早稲田大学雄弁会に所属。 |
| 卒業後、日本放送協会(NHK)に入局した。 |
| 同期入局の政治記者には大越健介などがいる。 |
| NHK時代は、当時、与党であった自民党担当の政治記者であった。 |
| NHK「日曜討論」の司会をつとめ、2010年に、NHK放送センター内で命を絶った影山日出夫NHK解説委員室副委員長とは、NHK政治部・与党(自民党)担当で上司―部下の関係にあった。 |
| このため何度も一緒に飲みに行き、政治家になる際には『よく大変な世界に入るよな』と励まされたという(スポーツ報知2010年8月13日)。 |
| 1993年にNHKを退職した。 |
| 同年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党、新党さきがけの推薦を受け無所属で旧宮城県第2区から出馬するが落選。 |
| その後、新党さきがけに入党し宮城県本部長を務めていたが、1996年にさきがけを離党し旧民主党結党に参加。 |
| 同年の第41回衆議院議員総選挙で小選挙区比例代表並立制導入により新設された宮城県第5区から公認で出馬し、初当選した。 |
| 宮城5区は日本社会党→社会民主党出身で、選挙直前まで郵政大臣を務めた日野市朗の地盤だったが、日野も民主党結党に参加したため、安住と日野はコスタリカ方式を締結。 |
| 第41回は安住が小選挙区、日野が比例東北ブロック単独で出馬し、両者とも当選した。 |
| 第42回は選挙区を交代予定だったが、日野後援会の高齢化などを考慮して両者はコスタリカを解消、第41回と同じく安住が5区、日野が比例東北単独で出馬した。 |
| 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風により宮城県選出の民主党議員が相次いで落選する中、宮城5区で唯一、民主党の議席を死守した。 |
| この総選挙での大敗により、岡田克也が民主党代表を辞任。 |
| 後任の前原誠司代表の下で、党選挙対策委員長に就任する。 |
| 2008年大阪府知事選挙では、ガソリン値下げ隊36名を率いて熊谷貞俊候補を支援するも、熊谷は弁護士の橋下徹に敗北したスポニチアネックスOSAKA 社会。 |
| "熊谷氏応援"安住議員が橋下氏バッサリ「姑息」 |
| 2009年の第45回衆議院議員総選挙では宮城5区で5選。 |
| なお、小選挙区制導入以来にすべて当選し、対立候補に一度も比例復活さえ許していないのは、民主党では安住、北海道第1区の横路孝弘の2人だけである。 |
| 2010年6月、鳩山由紀夫首相の辞任を受け、後任の党代表に就任した菅直人の下で、再度党選挙対策委員長に就任。 |
| 枝野幸男幹事長と共に7月の第22回参議院議員通常選挙の陣頭指揮を執るが、民主党は大敗。 |
| 党内からは枝野、安住に対する責任論も噴出したが、菅は結局9月まで両名を続投させた。 |
| 2010年9月民主党代表選挙では菅支持をいち早く表明し安住淳公式BLOG「代表選挙に突入」2010年08月27日(Fri) |
| 翌2011年1月、内閣改造に伴う党役員人事で民主党国会対策委員長に就任した。 |
| 5月12日、人権擁護法案を次期臨時国会で提出を目指す方針を示した人権救済法案、今国会は断念 政府・民主党2011.5.1221:13産経新聞 |
| 菅内閣の東日本大震災に対して批判が高まると「誰が総理大臣をやってもとてつもない難問で、菅さんが全部悪いというのは乱暴だ」と反論し2011年4月15日06時01分スポーツ報知誰がやっても難問「菅政権が悪い」は乱暴 |
| 不注意だったと思うが、故意ではないので心配していない。 |
| これからも丁寧に説明すればいい」と述べ日経新聞2011/03/11民主党執行部「こんなことで辞めていたら国が滅びる」、菅内閣への退陣要求を牽制した。 |
| 2011年6月、自由民主党と公明党は、菅内閣の東日本大震災の対応などについて内閣不信任案を提出。 |
| 民主党執行部に不信を募らせた民主党議員たちが同調の動きを見せたため、内閣不信任案が成立するかと思われたが、安住が「与党の責任を果たすため、大差で否決しないといけない。 |
| 賛成者は誰であっても、何人であっても除名になる」産経新聞2011.6.210:19 |
| また、自由民主党の逢沢一郎国対委員長に対して、7月上旬に菅内閣が退陣し、民主党代表選挙を実施する意向を伝え、公債発行特例法案の早期成立に理解を求めた『「代表選は7月上旬」 民主・安住氏』産経新聞。 |
| 2011.6.719:19 |