| 中学進学までは柔道をしていたが、力士になろうと志し、相撲を始め全国大会にも出場した。 |
| 偶然にも広島に巡業に訪れていた大関・貴ノ花(12代藤島→11代二子山)に勧誘されたことがきっかけで卒業後に藤島部屋に入門した。 |
| 1987年(昭和62年)9月場所に十両昇進して藤島部屋初の関取となり、1988年(昭和63年)3月場所には弱冠20歳にして新入幕を果たした。 |
| 入幕後は上位キラーとして知られる様になり、金星獲得は歴代最多の16個を数えるとともに対戦した横綱全てから金星を獲得した。 |
| 初金星は1988年9月場所の大乃国からで、固太りで重心が低く左四つになると力を発揮した。 |
| 横綱の中では特に旭富士と相性が良く、対戦成績で通算12勝8敗(不戦勝1を含む)と勝ち越した。 |
| 反面、攻めが遅い部分があったため、速攻相撲が得意の相手に取りこぼすこともあり、特に琴錦を大の苦手とし、幕内対戦成績は安芸乃島の9勝39敗である。 |
| 最後の対戦となった2000年(平成12年)3月場所では安芸乃島が勝ったが、その相撲で琴錦は右肘の故障を悪化させ翌日から休場、引退の原因となった。 |
| 1990年~1992年の頃に横綱昇進がかかっていた小錦にめっぽう強く「小錦キラー」と呼ばれ、小錦の最大の壁として横綱昇進を阻止した。 |
| 1994年(平成6年)9月場所から1995年(平成7年)3月場所までの4場所間は、10勝5敗を一度はさんで11勝3度の計43勝という好成績を残したものの、大関昇進はならなかった。 |
| 追い込まれると強引な首投げに出るという悪い癖があり、特に琴錦戦でこの形で幕切れをするシーンが多く見受けられた。 |
| これで逆転するケースは少なく、彼の場合は投了の形と見られても仕方ないと言われるものがある。 |
| 三役陥落後も常に幕内中位で相撲を取り続けていたが、2003年(平成15年)5月場所14日目の取組に敗れ十両陥落が決定的になり現役を引退した。 |
| 安芸乃島は、昭和時代に幕内を経験した最後の関取力士となった。 |
| 同様に「1度は優勝したい」と公言して、1992年(平成4年)3月場所は14日目を終えて12勝2敗と優勝争いをしたが、千秋楽には琴錦との割が組まれてこれに敗れて優勝を逃した。 |
| 三賞19回、金星16個の各最多記録を保持しており、現役時代には「これだけあったら誰か賜杯1ツと取り替えてよ」とこぼした事もある。 |
| 最後の16個目の金星は武蔵丸からであるが、その金星は武蔵丸が新横綱の1999年(平成11年)7月場所だった。 |
| なお、朝青龍が横綱昇進した2003年(平成15年)3月場所以降は幕内下位に低迷し、結局朝青龍との対戦は実現しなかった。 |
| 現役引退後は年寄・藤島を襲名するとともに二子山部屋(後に貴乃花部屋)の部屋付親方として後進の指導に当たった。 |
| 後に年寄名跡を藤島から千田川に変更したが、この頃から現役時代は弟弟子だった貴乃花親方と指導方針の違いから確執が表面化し、2004年(平成16年)9月27日付で高田川部屋に移籍した。 |
| 移籍許可書類への押印を貴乃花親方が拒否したため、破門をも申し入れる事態に発展。 |
| 病床に臥していた11代二子山親方に判を押してもらい事無きを得たが、これにより貴乃花部屋とは完全に訣別した。 |
| 高田川部屋に移籍してからは積極的に若手力士に稽古を付けるとともに、2009年(平成21年)8月5日には高田川と年寄名跡を交換する形で高田川部屋を継承した元安芸乃島が高田川部屋継承=大相撲時事通信2009年8月5日。 |
| 2009年9月5日には、東京都江東区清澄に部屋を新築・移転した。 |
| 新築した部屋には、通常よりも多い5本の鉄砲柱を立て、「1日に1000回の四股と鉄砲」を目標として弟子に課し、「相手を敬う古風な力士を育てたい」と抱負を述べた。 |
| また、高田川部屋は先代高田川が1998年に高砂一門より破門されて以来、安芸乃島が部屋を継承した後もどの一門にも属さない無派閥であったが、2011年(平成23年)1月17日には部屋継承時から希望していた二所ノ関一門への加入が認められた |