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杜審言
杜審言(としんげん、645年(貞観19年)-708年(景龍2年))は中国・唐代(初唐)の詩人。襄州襄陽(現在の湖北省襄陽市)の人。字は必簡。西晋代の杜預の子... |
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中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩... |
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則天武后と玄宗皇帝 大唐帝国の「光と影」 PHP文庫 お38-4 岡本好古/著 出版社名 : PHP研究所 出版年月 : 2007年5月 ISBNコード : 978-4-... |
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岑参(しんしん、715年-770年)は中国唐代の詩人。岑嘉州とも称する。詩人・高適と並び称される。 |
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劉希夷(りゅうきい、651年(永徽2年)-679年(調露元年))は中国唐代の詩人。字は庭芝、廷芝。一説に名が庭芝で字が希夷ともいわれる。 |
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睿宗
唐朝の第5代皇帝。第4代皇帝中宗の弟で、玄宗の父に当たる。 |
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王勃(おうぼつ、650年(永徽元年)−676年(上元3年))は中国・唐代初期の詩人。字は子安。「初唐の四傑」の一人。 |
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中宗(チュンジョン、ちゅうそう、弘治元年3月5日(1488年4月16日)-嘉靖23年11月15日(1544年11月29日)、在位:1506年9月2日-1544年11月14日)は李氏朝鮮の... |
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蘇軾(そしょく、景祐3年12月19日(1036年1月8日)-建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、蘇東... |
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プロフィール
宋之問(そうしもん、656年?-712年あるいは713年)は中国初唐の詩人。字は延清。虢州弘農(現河南省、『旧唐書』より)あるいは汾州(現山西省、『新唐書』より)の人。沈佺期とともに 則天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。
略伝
| 675年に進士となる。 |
| 690年、楊炯とともに習芸館学士となる。 |
| 則天武后の寵臣である張易之兄弟に取り入り、尚方監丞として『三教珠英』の編集に参加した。 |
| 705年、中宗が復位して張易之が失脚すると、その一味として沈佺期・杜審言らとともに嶺南に左遷され、宋之問は瀧州(広東省)に流された。 |
| 翌706年、ひそかに脱出して洛陽へ逃げ帰った。 |
| 洛陽では張沖之の家に匿われていたが、張沖之が朝廷に陰謀を企てていることを密告して、その功績で罪を許されて鴻臚主簿になる。 |
| 太平公主の推薦により考功員外郎に抜擢され、修文館学士を兼ねた。 |
| 中宗の宮廷詩人として再び活躍するが、709年、収賄の罪で越州(現浙江省紹興市)の長史に左遷された。 |
| 710年、睿宗が即位すると、さらに欽州(現広東省)に流され、玄宗即位後の先天年間に「獪険盈悪」の罪により自殺を命じられた。 |
| 学問深く風采も立派であったと伝えられるが、品性は陋劣、パトロンの張易之の書いた詩賦はすべて宋之問の代作であったという。 |
| 劉希夷が作った「代悲白頭翁」の中の「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」の句を所望して断られ、希夷を暗殺させたという話もある(元の辛文房『唐才子伝』などより)。 |
| 越州に流されていた時には地方官としての評判は良く、作った詩は都に流行し、人びとは争って愛唱したともいわれる。 |
詩
| 宋之問は沈佺期とともに近体詩の韻律の整形に力を入れ、中国文学史上において律詩の形式を完成させた功績が大きい。 |
| 七言詩に優れた沈佺期に対し、宋之問は五言詩に優れていたとされ、明の胡応麟『詩藪』ではその五言排律を初唐期の第一と評している。 |
参考文献
| 『旧唐書』巻190列伝第140中文苑中。 |
| 『新唐書』巻202列伝第127文芸中。 |
| 『沈佺期宋之問集校注』(中華書局、2001年)。 |
| 『続校注唐詩解釈辞典[付]歴代詩』(大修館書店、2001年)。 |
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