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つながりの強いひと
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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花園天皇
花園天皇(はなぞのてんのう、永仁5年7月25日(1297年8月14日)-貞和4年/正平3年11月11日(1348年12月2日))は鎌倉時代の第95代天皇(在位:延慶元年11月16... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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南浦紹明
鎌倉時代の臨済宗の僧。出自については不詳であるが、駿河国安倍郡の出身。諱は紹明(「しょうみょう」とも「じょうみん」ともよむ)、道号は南浦。勅諡号は... |
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国師
高僧に対して皇帝(朝廷)から贈られる諡号の1つであり、特に皇帝の師への尊称である。僧侶に贈られる諡号としては、他にも大師号、禅師号などがある。中国で... |
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関山慧玄
鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗の僧。信濃国(長野県)の出身で、家は高梨氏で、高梨高家の子とされる。朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳... |
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竹貫元勝
竹貫元勝(たけぬきげんしょう、1945年1月1日-)は日本の歴史学者。花園大学教授。博士(文学)(佛教大学、1992年)。日本中世史、禅宗史専攻。京都府綾部市... |
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高峰顕日
鎌倉時代後期の臨済宗の僧。後嵯峨天皇の第二皇子。諱は顕日。字は高峰。密道と号した。諡号は仏国禅師・仏国応供広済国師。1256年(康元元年)円爾に従って... |
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一休宗純
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとして知られる。 |
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白隠慧鶴
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は... |
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夢窓疎石
鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は平政村(北条政村か?)の娘。 |
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千利休
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖とも称せられる。また、今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天... |
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赤松則村
日本の鎌倉時代から南北朝時代の武将である。法名の円心でも知られている。本姓は源氏。家系は村上源氏の流れを汲む赤松氏4代当主。赤松茂則の子。範資、貞範... |
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釈迦如来
仏教の開祖釈迦〔姓名:瞿曇悉達多(くどんしっだった、クドンシッタルタ)梵語:(ガウタマ・シッダールタ)パーリ語:(ゴータマ・シッダッタ)〕を仏(仏... |
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無学祖元
中国明州慶元府(浙江省)出身の鎌倉時代の臨済宗の僧侶。諡は仏光国師・円満常照国師。日本に帰化して無学派(仏光派)の祖となる。字は子元。 |
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蘭渓道隆
鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖。諱は道隆、道号は蘭渓。南宋の西蜀(現:中国四川省)の人。諡号は大覚禅師。13歳で出家し、無準師範、北... |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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帰依
仏教用語で、拠り所にするという意味。「三宝」に「帰依」、つまり仏教徒になるという意味で最も多く使われる。アブラハム系のキリスト教、ユダヤ教、イスラ... |
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栄西
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。日本臨済宗の開祖、建仁寺の開山。生年には異説がある。天台密教葉上流の流祖でもある。また、喫茶の習慣を... |
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道元
鎌倉時代初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には道元禅師と... |
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プロフィール
宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう、弘安5年(1282年)-延元2年/ 建武4年12月22日(1338年1月13日))は、鎌倉時代末期の臨済宗の僧。一般には大燈国師の名で知られている。諱は妙超、道号は宗峰。播磨(兵庫県)の出身。同国浦上荘の豪族、浦上氏の一族・浦上一国(掃部入道覚性)の子として生まれた。朝廷から興禅大灯、高照正灯の国師号が与えられた。京都の大徳寺の開山。
経歴
| 11歳の時、地元の大寺院である書写山円教寺に入り、天台宗を学ぶが、のち禅宗にめざめ、鎌倉の高峰顕日(こうほうけんにち)、京の南浦紹明(なんぽじょうみん;大応国師。 |
| 1235年-1308年に参禅。 |
| 南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るにしたがって宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)、26歳のとき、師から印可を得た。 |
| 嗣法の後、約20年草庵にあって京都で乞食行(こつじきぎょう)をする。 |
| 修行に励むが、峻烈無比の禅風の故に近づく人も少なかった。 |
| 正和4年(1315年)(元応元年=1319年とも)、同郷の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂を建立した。 |
| これが大徳寺の起源とされる。 |
| 花園天皇(1297年-1348年)は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)、大徳寺を祈願所とする院宣を発している。 |
| このころ、正中の宗論にて顕密の学僧を論破して名声を高めた。 |
| 門下に関山慧玄(1277年-1360年)がいる。 |
| 建武3年(1336年)頃、後醍醐天皇から大徳寺に下総国葛西御厨の替地として妙超ゆかりの地である播磨国浦上庄を寄進される。 |
| その際、妙超は浦上庄の半分を自分の一族に分配する事を申し出ると天皇はこれを承認し、妙超の一族である浦上為景にその旨を伝える綸旨を発行した。 |
| この時、浦上庄半分地頭職を得た「浦上為景とその一族」の子孫は後に赤松氏被官となって守護代や侍所所司代などを務め室町時代から戦国時代にかけてこの地方で権勢を揮った。 |
| 建武4年(1337年)、妙超は病に伏し重態となるが、花園法皇の求めに応じて、妙超没後に花園法皇が師とすべき禅僧として、弟子の関山慧玄を推挙した。 |
| また、花園法皇が花園の離宮を禅寺とするにつき、その山号寺号を正法山妙心寺と命名し、その年の12月22日、妙超は死去。 |
| 妙心寺では、この建武4年を開創の年とし、妙超の遺命を受けた関山慧玄が開山となっている。 |
| 禅風は厳格で、容赦ない厳しさをもって人に接し、深く自己の悟境を掘り下げていくことを重視し、唐代の禅風の復活を志向した。 |
| 自ら公案をつくって弟子を育成し、教化においてはほとんど方便を使わず、正面より禅の極みを打ち出した。 |
| 師の南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属する。 |
| 著述には『大灯国師語録』『仮名法語』『祥雲夜話』などがある。 |
伝記・著作
| 平野宗浄著・訳 『大燈 大徳寺語録・頌古』 講談社〈禅入門4〉、1994年 初版(上記は一部改訂) 『大燈 日本の禅語録.第6巻』 同、1978年 選書判(抄録) 『禅の古典3 大燈国師語録』 同、1983年。 |
| 平野宗浄 「大燈国師―その生涯と禅風」ほか、『一休と禅』(春秋社、1998年)、第2章に所収。 |
| 竹貫元勝 『宗峰妙超 大燈を挑げ起して』 ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2008年。 |
挿話
| 宗峰妙超は、まくわ瓜が好きであった。 |
| 妙超が乞食の群れの中にいることを知った花園天皇は役人に高札を立てさせ、某日まくわ瓜を乞食にただで与える旨を布告した。 |
| 当日、役人がまくわ瓜を求める乞食の群れに向かって「脚なくして来たれ」というと、乞食の一人がすかさず「無手で渡せ」と答えたので妙超であることが判ってしまった。 |
| 妙超が花園天皇と初めて対座したとき、あまりに妙超が堂々としているので、天皇が「仏法不思議、王法と対坐す」というと、妙超はすかさず「王法不思議、仏法と対坐す」とやりかえした。 |
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1307年
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26歳のとき、師から印可を得た |
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1325年
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大徳寺を祈願所とする院宣を発している |
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宗峰妙超さんについてのひとこと紹介
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