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つながりの強いひと
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廣池千九郎
日本の法学者、歴史学者、教育者。モラロジー(道徳科学)の提唱者。麗澤大学の創立者。慶應義塾の関連校である中津藩の中津市学校に学び、歴史学者として数... |
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徳恵姫
コブスの中にあるコンテンツの単語とウィキペディアの中にある単語を結びつけるコンテンツです。リンクされたキーワードをクリックするとその意味を表示しま... |
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北原白秋
日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原隆吉(きたはらりゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作... |
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李方子
日本の元皇族。梨本宮家に生まれ、旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李垠の妃。 |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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李舜臣
文禄・慶長の役時の朝鮮の将軍。字は汝諧(ヨヘ、)。死後に贈られた謚は忠武公()。文禄・慶長の役においては、朝鮮水軍を率いて日本軍と戦った。死後から2... |
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金素雲
韓国釜山出身の詩人。本名は金教煥、筆名は鉄甚平(てつ・じんぺい)。号は巣雲、三誤堂。詩人・作家の北原綴は息子。歌手の沢知恵は孫。 |
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櫻井良樹
櫻井良樹(さくらいりょうじゅ、1957年-)は日本の歴史学者、麗澤大学教授(外国語学部長)。 |
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柳宗悦
民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。 |
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浅川巧
浅川巧(あさかわたくみ、1891年1月15日-1931年4月2日)は工芸・陶芸の評論家。朝鮮半島で植林事業を行う傍ら、朝鮮半島の陶磁器と木工を研究紹介した。 |
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李垠
初代大韓帝国皇帝高宗の第7男子。母は純献貴妃厳氏で純宗の異母弟。同国最後の皇太子であり、日本の王公族、李王。大韓帝国時代の称号は英親王。 |
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市河三喜
師事
英語学者。江戸時代の書家市河米庵の子孫。日本の英語学の祖と言われている。新しい教授法の普及にも力を注いだ。東京生まれ。正則英語学校にも通い、1903年... |
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高巖
高巖(たかいわお、1956年-)は日本の経営学者及び経済学者。麗澤大学企業倫理研究センター長を歴任。現在、麗澤大学経済学部長。京都大学大学院客員教授。大... |
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竹原茂
竹原茂(たけはらしげる、1943年-)は麗澤大学外国語学部教授。東京外国語大学講師。MFPJ(メーコックファーム・プロジェクト・ジャパン)会長。ラオス生まれ... |
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川勝平太
川勝平太(かわかつへいた、1948年(昭和23年)8月16日-)は日本の経済学者(比較経済史)、政治家。学位は博士(オックスフォード大学・1985年)。静岡県知... |
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孔徳成
孔徳成(こうとくせい、1920年2月23日-2008年10月28日)、字は玉汝、号は達生、孔子の77代目の嫡孫。32代衍聖公、大成至聖先師奉祀官、台湾大学教授、中華民... |
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高森明勅
高森明勅(たかもりあきのり、1957年-)は日本の評論家、神道史家。岡山県倉敷市出身。麗澤高等学校、國學院大學文学部を卒業、1989年、同大学院博士課程修了... |
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中山理
中山理(なかやまおさむ、1952年-)は日本の英文学者、翻訳家。上智大学大学院文学研究科から博士(文学)を授与。麗澤大学外国語学部教授、麗澤大学大学院言... |
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伊東俊太郎
日本の科学史家。比較文明学者。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授、麗澤大学名誉教授。 |
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プロフィール
宗武志(そうたけゆき、1908年2月16日-1985年4月22日)は 東京府出身の英語学者、詩人。麗澤大学名誉教授。旧対馬藩主・宗伯爵家の当主。旧姓は黒田。
生涯
| 東京市四谷区伝馬町新一丁目20番地(現在の東京都新宿区四谷二丁目6番地)にて、父黒田和志(よりゆき)、母黒田鏻子(れいこ)の末子(四男)として誕生。 |
| 黒田家は上総久留里藩の旧藩主の家柄。 |
| 父和志は対馬藩主宗重正の実弟で貴族院議員を務めていた。 |
| 四谷第一尋常小学校から日本済美学校を経て、1918年、対馬に渡り厳原尋常高等小学校に転じる。 |
| 1920年、対馬中学校に入学。 |
| 在学中、1923年3月に伯父宗重正の子・重望が早世したため、同年10月にその跡を継ぎ、宗家第37代当主となる。 |
| 1925年3月に対馬中学校を卒業して東京に戻り、同年4月、学習院高等科(旧制)に入学。 |
| 在学中、北原白秋に入門。 |
| 1928年、東京帝国大学文学部英文科に入学、市河三喜や斎藤勇に師事、1931年3月に卒業。 |
| 1932年、廣池千九郎の道徳科学の講席に参加。 |
| 1935年、道徳科学専攻塾の開設に際し廣池の招聘を受けて講師となり、道徳科学の講義を担当。 |
| 1936年から道徳科学専攻塾本科の英語を担当しつつ、同年、東大大学院に入学し市河三喜のもとで現代英語を研究。 |
| 1939年、同大学院修了。 |
| 1940年、道徳科学専攻塾講師を辞任。 |
| 以後、自宅において英会話作文・ラテン語・ギリシア語・イタリア語などを学習。 |
| 1944年、内閣情報局事務嘱託(奏任)となり、総裁官房戦時資料室第二課で英文和訳に従事。 |
| 1945年7月、二等兵として召集を受け陸軍独立第37大隊に入隊し、柏83部隊に転属。 |
| 戦後、1946年6月に貴族院の伯爵議員に選出される。 |
| 1947年5月3日、日本国憲法施行に伴い爵位を喪失。 |
| 以後、麗澤大学教授・同外国語学部長・学監を歴任、1978年、名誉教授となる。 |
| この間、1963年には学校法人廣池学園理事、財団法人道徳科学研究所理事、1970年には学校法人廣池学園常務理事に就任。 |
| 生涯を通して詩作と絵画に打ち込み、1975年には詩誌『詩田』を主宰創刊した。 |
私生活
| 1931年5月、李王家当主李熈の娘李徳恵と結婚。 |
| 徳恵は1933年8月14日に長女正恵を出産するも、数年後に先天性精神・知能疾患を再発。 |
| 武志は学問と職務の傍ら徳恵を献身的に介護したが、その甲斐なく病状は悪化の一途を辿り1955年6月に徳恵の実家の要請により徳恵と離婚した。 |
| また正恵も日本人男性鈴木昇を婿に迎えるも、1956年に自殺を目的に失踪した。 |
| 1955年秋に日本人女性勝村良江と再婚して千葉県柏市の廣池学園の教員宿舎に移住。 |
| 良江夫人との間には長男立人・次女和木・次男中正の二男一女に恵まれた。 |
| なお、1934年にエチオピア帝国皇帝ハイレ・セラシエ1世の甥アラヤ・アベベ皇太子の妃候補になった黒田雅子は宗武志の姪にあたる。 |
著書
| 『対馬民謡集』第一書房、1934年。 |
| 『海郷』第二書房、1956年。 |
| 『紀行110日』廣池学園出版部、1964年。 |
| 『春庭楽(しゅんだいらく)』廣池学園事業部、1978年。 |
| 『日の雫』沙羅詩社、1978年。 |
| 『黒潮─宗武志歌集』私家版、1985年。 |
参考文献
| 本馬恭子『徳恵姫─李氏朝鮮最後の王女』1999年葦書房ISBN4751207253。 |
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1918年
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対馬に渡り厳原尋常高等小学校に転じる |
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1928年
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東京帝国大学文学部英文科に入学、市河三喜や... |
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