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つながりの強いひと
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淵蓋蘇文
高句麗末期の宰相・将軍。泉蓋蘇文、泉蓋金とも記される。『日本書紀』には伊梨柯須彌(伊梨柯須弥、いりかすみ)として現れる。これは姓の「淵(泉)」を高... |
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栄留王
高句麗の第27代の王(在位:618年-642年)。姓は高、諱は建武、または成。先代の嬰陽王の異母弟であり、父は第25代平原王。618年9月に先王の死去に伴い、王位... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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聖王
百済の第26代の王(在位:523年-554年)。先代の武寧王の子。『三国史記』百済本紀・聖王紀によれば諱は明穠。先王が523年5月に死去したことにより、王位につ... |
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長寿王
高句麗の第20代の国王(在位:413年-491年)。姓は高、諱は巨連。『魏書』などには「璉」の名で現れる。先代の好太王の長子であり、409年に太子に立てられ、41... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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井上秀雄
愛知県生まれの歴史学者。東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 |
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嬰陽王
嬰陽王(えいようおう、生年不詳-618年)は高句麗の第26代の王(在位:590年-618年)。姓は高、諱は元、または大元。平陽王とも記される。先代の平原王の長子... |
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山上王
山上王(さんじょうおう、生年不詳-227年)は高句麗の第10代の王(在位:197年-227年)。姓は高、諱は延優または位宮。先代の故国川王の弟であり、故国川王が1... |
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平原王
平原王(へいげんおう、生年不詳-590年)は高句麗の第25代の王(在位:559年-590年)。姓は高、諱は陽成(『三国遺事』王暦では陽城)。平崗上好王(『三国史... |
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故国川王
故国川王の即位後に漢の建安年間(196年-220年)の初めに、抜奇が王位につけなかったことを不服として消奴部(涓奴部)の加(高句麗の官名のひとつ、首長層)... |
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小獣林王
高句麗の第17代の王(在位:371年-384年)。姓は高、諱は丘夫。小解朱留王ともいう。先代の故国原王の子であり、355年に太子に立てられ、371年10月に先王が百... |
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東川王
高句麗の第11代の王(在位:227年-248年)。姓は高、諱は憂位居、幼名は郊彘。東襄王ともいう。先代の山上王の子であり、213年に太子に立てられ、227年5月に先... |
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瑠璃明王
高句麗の第2代王(在位:前19年-後18年)であり、姓は高、諱は類利、または孺留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟... |
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大祚榮
2006年9月16日から、2007年12月23日の間、韓国のKBSテレビで放送された時代劇ドラマである。全134話。 |
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新大王
新大王(しんだいおう、89年-179年)は高句麗の第8代の王(在位:165年-179年)。姓は高、諱は伯固(はくこ、ペクコ)または伯句(はくく、ペクク)。『三国史... |
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故国原王
高句麗の第16代の王(在位:331年-371年)。姓は高、諱は斯由、または釗(『梁書』は劉とする)。国岡上王(『三国史記』高句麗本紀・故国原王紀の分注)、国... |
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美川王
高句麗の第15代の王(在位:300年-331年)。姓は高、諱は乙弗、または憂弗(『三国遺事』では瀀弗)。好壤王(『三国遺事』では好穣王)とも記される。第13代... |
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慕本王
高句麗の第5代の王(在位48年-53年)。姓は高、諱は解憂(または解愛婁)。『三国史記』高句麗本紀では先々代の大武神王の嫡子であり、『三国遺事』王暦では... |
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陽原王
高句麗の第24代の王(在位:545年-559年)。姓は高、諱は平成。陽崗上好王(『三国史記』高句麗本紀・陽原王紀の分注)、陽崗王(『三国遺事』王暦)ともいう... |
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プロフィール
- 宝蔵王とは
- 治世
- 高句麗滅亡後
- {{PAGENAME}}が登場するテレビドラマなど
- 参考文献
宝蔵王(ほうぞうおう、生年不詳-682年)は、高句麗の第28代にして最後の王(在位:642年-668年)。姓は高、諱は臧、または宝臧。先代の 栄留王の弟の大陽王( 太陽王とも記される)の子で、642年10月に先王を弑逆した 淵蓋蘇文によって王位につけられた。滅亡したために高句麗王としては諡されず、諱のままに 宝蔵王と記される。息子には、男福(福男)・任武・徳武・安勝などの名が記録にみられる。
治世
| 政変を起こして権力を取った淵蓋蘇文によって王に擁立されたので、王としての実権を持つことはできなかった。 |
| 在位期間の中で国内的には天災地変が頻繁に起こり、淵蓋蘇文の主張によって道教振興策を実施した。 |
| 唐と結んだ新羅とは敵対関係が続いていたが、百済とは緊密な関係(麗済同盟)を維持した。 |
| 百済が唐に滅ぼされ、さらに淵蓋蘇文の死後にその三子の後継争いが生じると、唐は新羅と図って高句麗遠征(麗唐戦争)を開始した。 |
| 太宗の間は凌いだものの、高宗の代になって防ぎきれず、668年に長安城(平壌市)を陥落させられて高句麗は滅亡した。 |
| 宝蔵王は唐に投降して長安に連行されたが、政治の責任が王になかったとして処刑されることはなく、唐から<司平大常伯・員外同正>に任命された。 |
高句麗滅亡後
| 677年には<遼東州都督・朝鮮王>に任命されて遼東に帰って来た。 |
| これは唐の朝鮮半島放棄による遼東地域の動揺を抑えるためにとられた計略だったが、宝蔵王は唐の意に反して高句麗流民を糾合し、靺鞨と内通して高句麗復興をはかった。 |
| このような事実が発覚して681年に卭州(卭は工に卩、四川省温江卭崍県)に流され、682年頃死んだと見られる。 |
| 死後、唐の高宗は詔して宝蔵王の屍を首都長安に送らせ、突厥の頡利可汗の墓のそばに葬らせた。 |
{{PAGENAME}}が登場するテレビドラマなど
| テジョヨン-高句麗復興をはかる東明天帝団の影の指導者として登場。 |
参考文献
| 『三国史記』第2巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983ISBN4-582-80425-X。 |
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