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プロフィール
- 小川琢治とは
- 家族
- 生涯
- 経歴
- 著書
- 参考文献
- 回想
- 関連サイト
小川琢治(おがわたくじ、明治3年5月28日(1870年6月26日)-昭和16年(1941年)11月15日)は、日本の地質学者、地理学者。和歌山県田辺市出身。
生涯
| 1870年、紀伊国田辺藩(現:和歌山県田辺市)で田辺藩儒学者・浅井篤(南溟)の次男として生まれる。 |
| 和歌山市に移り、14歳で和歌山中学校に入学。 |
| それまでに「四書」「五経」を父親より口授される。 |
| 後、中退して上京し、16歳で第一高等学校に入学。 |
| 1891年、東京での学資が続かなくなったため、元紀州藩士小川駒橘(旧姓長屋、横浜正金銀行勤務、横浜在住)の婿養子となる。 |
| 同年、紀州旅行の準備中(10月28日)に、濃尾地震に遭遇して名古屋市の惨状を目の当たりにし、和歌山に帰ってから南紀(湯ノ峯温泉、瀞八丁、潮岬)を旅行する。 |
| この地震と旅行がきっかけで地質学を専攻することとなった。 |
| 1894年、小川家の長女の小川小雪と結婚式を挙げる。 |
| 1897年東京帝国大学理科大学地質学科を卒業。 |
| 卒業後、農商務省地質調査所(現産業技術総合研究所地質調査総合センター)に勤め、。 |
| 1900年のパリ万国博覧会に日本の出品審査官として、及び、万国地質学会議に参加し、ヨーロッパ各地(ドイツ、オーストリアなど)を視察した。 |
| このときウィーンの駐在武官と喧嘩をしてサーベルで斬りつけられて負傷、この傷痕は眉間に生涯残っていたという本田靖春『現代家系論』p.102(文藝春秋社、1973年)。 |
| 1904年に日露戦争が勃発すると、大本営付きとなって中国大陸の地質調査を行い、当時としては先進的な炭鉱の露天掘りを提案した。 |
| 1907年、1月23日小川秀樹生まれる。 |
| 1908年、京都帝国大学文科大学教授に就任し、地理学の講座を担当した。 |
| 1921年には同大学理学部地質鉱物学科の初代主任教授となる。 |
| 同大学に地球学団を組織し、機関誌『地球』を主宰。 |
| 日本列島の地質二重構造説、日本アルプスの低地氷河存在説などを発表した。 |
| 大学での渾名は「雷親爺」。 |
| 晩年は刀剣の蒐集に凝っていたが、その大半は無価値な贋物だったといわれる本田靖春『現代家系論』p.103(文藝春秋社、1973年)。 |
| 墓所は和歌山市堀止西の万性寺にある。 |
経歴
| 1870年:現在の和歌山県田辺市に旧紀伊田辺藩の儒学者・浅井篤(南溟)の次男として生まれ、小川家の養子となった。 |
| 和歌山中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学理科大学地質学科卒業。 |
| 1897年:農商務省技手を拝命して地質調査所に勤める。 |
| 1900年:パリ万国博覧会に参加、ヨーロッパ各地を視察。 |
| 1908年:京都帝国大学文科大学教授に就任。 |
| 1926年:帝国学士院会員に任命される。 |
著書
| 『台湾諸島誌』東京地学協会1896年。 |
| 『支那歴史地理研究』弘文堂1928年。 |
| 『支那歴史地理研究.続集』弘文堂1929年。 |
| 『支那古代地理学史』岩波書店1933年。 |
| 『戦争地理学研究』古今書院1939年。 |
| 『数理地理学』宇宙物理研究会1948年。 |
参考文献
| 湯川秀樹 『旅人 ある物理学者の回想』 角川文庫で新版。 |
| {{Citebook|和書。 |
回想
| 『東方学回想Ⅱ 先学を語る〈2〉』(刀水書房、2000年)、座談会での関係者の回想。 |
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1870年
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紀伊国田辺藩(現:和歌山県田辺市)で田辺藩... |
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1891年
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東京での学資が続かなくなったため、元紀州藩... |
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