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松岡磐吉
幕末期の幕臣で箱館戦争時に旧幕府軍艦蟠竜丸の艦長を勤めた人物。長崎海軍伝習所生。なお、名前の「磐吉」は、「いわきち」と読むこともある。 |
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矢田堀鴻
日本の武士(幕臣)で、江戸幕府最後の海軍総裁。名は景蔵。官位は、讃岐守。函陵と号した。 |
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荒井郁之助
江戸時代末期(幕末)の幕臣。明治期の官僚。初代中央気象台長。幼名は幾之助。諱は顕徳(あきのり)、後に顕理(あきよし)とした。 |
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榎本武揚
江戸幕末~明治期の武士・幕臣、政治家。海軍中将正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。名前は「えのもとぶよう」と有職読みされることもある。 |
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林董
林董(はやしただす、1850年4月11日(嘉永3年2月29日)-1913年(大正2年)7月20日)は幕末の幕臣。明治期の外交官、政治家。伯爵。初代陸軍軍医総監・男爵の... |
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伴鉄太郎
江戸幕末~明治期の武士・幕臣、海軍軍人。階級は海軍大佐 |
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岡田井蔵
日本の武士(幕臣)・海軍技官。諱は敬感。写真が岡田以蔵のものと混同されることがあるが、別人である(以蔵をモデルとした写真、肖像画は現存しない)。 |
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肥田浜五郎
豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣、技術者、明治期の官僚。長崎海軍伝習所第二期生。諱は為良(ためよし)。 |
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根津勢吉
幕末の武士・幕臣、明治初期の日本海軍軍人。通称は欽次郎(きんじろう)。 |
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浜口興右衛門
日本の武士・幕臣。明治期の海軍技官。諱は英幹(ひでもと)。 |
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甲賀源吾
甲賀源吾(こうがげんご)、名は秀虎。天保10年1月3日(1839年2月16日)-明治2年3月25日(1869年5月6日)。幕末の幕臣で、軍艦操練方。のち、箱館政権(俗に... |
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中島三郎助
幕末期の幕臣。ペリー来航時の浦賀奉行所与力。蝦夷共和国箱館奉行並。諱は永胤。雅号は木鶏。喘息の持病があったという。 |
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小野友五郎
江戸時代末期から明治時代にかけての日本の数学者・海軍軍人・財務官僚。諱は広胖(ひろとき、しばしばこうはんとも音読される)。官位は内膳正。もと笠間藩... |
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宮古湾海戦
箱館戦争における戦闘のひとつで、盛岡藩宮古村(現在の岩手県宮古市)沖の宮古湾で発生した。海上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、... |
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勝海舟
江戸時代末期の武士(幕臣)、明治初期の政治家。位階勲等は正二位勲一等伯爵。山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。幼名および通称は麟太郎... |
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澤太郎左衛門
幕末期の幕臣、技術者。明治期の海軍教官。名は貞説。幼名はえい太郎(「えい」は金偏に英、鍈太郎)。箱館戦争時に成立した旧幕府軍政権(蝦夷共和国)開拓... |
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木村芥舟
幕末期の幕臣。諱は喜毅(よしたけ)。字は天模。別の号に楷堂がある。通称・勘助、図書。官位は摂津守、兵庫頭。浜御殿奉行、目付、長崎海軍伝習所取締、軍... |
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福澤諭吉
日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、... |
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赤松則良
日本の武士(幕臣)、軍人、政治家。貴族院議員。栄典は海軍中将従二位勲一等男爵。通称は大三郎。日本造船の父と呼ばれる。軍艦奉行の赤松範静は大叔父。 |
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プロフィール
小杉雅之進(こすぎまさのしん、天保14年10月1日(1843年11月22日)-明治42年(1909年)8月21日)は、江戸幕末~明治期の武士・幕臣・逓信官僚。正六位勲六等。諱は直道。号は竹筠。維新後、雅三と改名。
略歴
| 安政4年(1857年)、長崎海軍伝習所三期生に選ばれ、機関学を学ぶ。 |
| その後、軍艦操練所教授方手伝となり、万延元年(1860年)、咸臨丸の太平洋横断時には蒸気方の見習士官を務めた。 |
| 慶応3年(1867年)、軍艦蒸気役一等となり、開陽丸機関長を務めた。 |
| 戊辰戦争では榎本武揚に従い、箱館政権では江差奉行並となった。 |
| 赦免後、明治7年、内務省駅逓寮十等出仕、以後、明治14年、農商務省商務局二等属、管船局准奏任御用掛(同僚に小笠原賢蔵、矢田堀鴻ら幕府海軍関係者)、明治18年、逓信省管船局御用掛准奏任(同僚に矢田堀鴻、森本弘策)、司検官、船舶課長、大阪船舶司検所長を歴任、海事行政を担当した。 |
| 退官後、大阪商船の監督部長となった。 |
参考文献
| 橋本進『咸臨丸還る蒸気方小杉雅之進の軌跡』(中央公論新社、2001年)ISBN4120031071。 |
| 合田一道編著、小杉伸一監修『小杉雅之進が描いた箱館戦争』(北海道出版企画センター、2005年)ISBN4832805053。 |
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1843年
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小杉 雅之進(こすぎ まさのしん、天保14年10... |
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1860年
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咸臨丸の太平洋横断時には蒸気方の見習士官を... |
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