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翌年小学5年の時にデビュー。
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当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、夜7:30のテレビ出演というのは、当時の子供にとっては遅い時間帯であった。
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この9歳の少女ということも「美空ひばり」を彷彿させ、その「ひばり」の物まねも他の大人の出場者を圧倒する抜群の歌唱力と非常に似ている歌まねの出来で、後に「第二のひばり」といわせるものであった。
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これが審査委員長の古賀政男を唸らせ文句なくグランドチャンピオンを獲らせたのである。
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1964年、古賀事務所所属で古賀作曲の『ウソツキ鴎』で華々しくデビュー。
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20万枚のヒット曲となる。
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天才少女歌手・「ひばり二世」として、大映映画では子役としても活躍。
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デビュー当時に楽屋内でワイワイ騒いでいたところをある先輩歌手が激怒し、島倉千代子にすぐに注意して来いといわれて島倉が嫌々仕方なしに小林の元へ注意にいったとNHKふたりのビッグショーのトークで語っている。
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「お幸、楽屋というところはステージに立つ前の神聖な場所なのだから騒いだりするところじゃないのよ。
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」と注意したそう。
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その当時から島倉の事を「母さん」と呼び慕い、島倉も「幸」と呼んで自分の娘のように可愛がっていて現在でも親交が深い。
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1968年にはNET(現・テレビ朝日)で放映、背泳ぎでオリンピックを目指す、スポ根ドラマ『青い太陽』の主役を演じる。
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(この時に使われた室内プールは東京女子学院高校“武蔵関”の温水プールである。
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当時、興行の世界を牛耳っていた山口組三代目に娘同然に可愛がられているひばりに嫌われることは致命的なことであった。
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:『NHK歌謡コンサート』(NHK総合テレビ)の美空ひばり特集に出演時、司会者の小田切千から生前のひばりとのエピソードを尋ねられると、『おもいで酒』が大ヒット後に音楽番組共演やドラマ共演などが縁で、後にとても可愛がっていただいたと語った。
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:ドラマ撮影時はスタジオ以外に街中や繁華街などでも撮影したが、万一ひばりの身に何かあれば大変だと思い、周囲を気にしながら演技をしていたところ、ひばりに感付かれてしまい「幸子ありがとう。
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私の心配をしなくても全然大丈夫よ!」と言われて、逆に気遣わせてしまったという。
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その後は15年間に渡って一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に言われぬ苦労を経験した。
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昼間は全国各地の興行を行いながらも地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人で廻っていた。
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夜は毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれたりしながらも歌い廻っていた。
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当時まだ未成年だった頃は20歳といって年齢をごまかしていたと小林本人がいつみても波乱万丈で語った。
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低迷時には小林幸子(コロムビアミュージックエンタテインメント)→小林さち子(ビクターエンターテインメント)→岡真由美(テイチク)→小林幸子(ワーナー・パイオニア)と幾度も改名したりレコード会社を移籍した。
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過去にはサンミュージックプロダクションにも所属していた。
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1977年には平凡パンチ (6月13日号) のグラビア内でヌード姿を披露した。
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1979年に『おもいで酒』が有線放送から火がついてついにミリオンセラー(200万枚)に輝く大ヒットをする。
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この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』(NHK)に出場、紅白初出場を果たす。
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『全日本有線大賞』グランプリ、『第21回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に輝く。
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(『おもいで酒』のレコード売り上げ枚数は大賞曲『魅せられて』を上回る。
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この年の『ザ・ベストテン』(TBS系)年間1位は『おもいで酒』である。
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:1978年の大晦日は熱海へ興行に来ていて、終了後に小林のマネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら「来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな」と話したところ、スタッフ達に「幸っちゃん、絶対無理だよ!!」と言われてしまったが、翌年にまさか本当に初出場できたのが夢のようだったとTV番組で語っていた。
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さらに続く1980年『とまり木』も大ヒットした。
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その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』(美樹克彦とのデュエット曲)、『雪椿』などのヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たし、1992年以降、紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっていた。
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:美川とは古賀政男の元で2人のデビュー前後に一緒にレッスン指導を受けていた事で、互いの年齢は離れているが45年以上前から「憲ちゃん」「幸ちゃん」と現在でも呼び合う仲でとても親交が深く、お互いの低迷時の苦労等を知り尽くしている。
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1987年には、第一プロダクションから独立して、個人事務所の幸子プロモーションを設立。
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1988年、紅白に10回連続出場。
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自身初となる紅組トリを務める。
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1993年、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。
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同年12月、紅白に15回連続出場を果たす。
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1996年、ワーナー・パイオニアから古巣のコロムビアミュージックエンタテインメントに移籍。
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1997年、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。
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同年にテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『ポケットにファンタジー』を歌い、以後何度かポケモン関連の活動を行っている。
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因みに、『ポケットにファンタジー』がテレビ初放映されたのはポケモンショックが起こったときのエンディングである。
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歯に衣着せぬオープンなキャラと、演歌によくありがちな暗さを払拭したツヤのある歌いっぷりは、世代を超えて日本人の心に深く浸透した。
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-->同年にはイマクニ?、レイモンド・ジョンソンとのユニット・スズキサンとしてシングル『とりかえっこプリーズ』を発売。
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1998年、芸能生活35周年を迎える。
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ジャズの殿堂ブルーノート東京にて、演歌歌手としては初のライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催。
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『劇場版ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当。
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そして、同年の『第49回NHK紅白歌合戦』では『風といっしょに』を熱唱。
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1999年、覆面歌手『Satchomo(サッチョモ)』としてシングル『お地蔵サンバ』を発売(因みに、“お自動さん”キーホルダーつき)。
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この曲はアイフルのCMソングとして流れ、暫く正体が明かされなかった。
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2000年、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞。
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2001年、博多座で女性歌手初の座長公演を行う。
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『夢の涯て~子午線の夢』で、日本レコード大賞編曲賞受賞。
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2004年、第55回NHK紅白歌合戦で自身2度目のトリ、初の大トリで出場。
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2006年、第27回松尾芸能賞大賞受賞。
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(御園座、博多座、明治座初座長)文化庁芸術祭の大衆芸能部門で優秀賞を受賞。