| 1967年3月27日…京都府福知山市で生まれる。 |
| 1982年4月1日…京都府立福知山高等学校入学。 |
| 1985年4月1日…京セラに入社。 |
| 1987年2月14日…プロレスラーになるため京セラを退職。 |
| 一度書類審査で落ちるも、通っていたジム会長ジムで小橋をパーソナル・トレーナーとして指導していたのは、アスレティックトレーナー時代の現・プロレスラーミステル・カカオであった。 |
| の紹介で6月に全日本プロレスへ入団。 |
| 1987年12月16日…後楽園ホール『ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー』で行なわれたバトルロイヤルで菊地毅とともにデビュー(当時コーチを兼務していたハル薗田が南アフリカ航空295便墜落事故で不慮の死を遂げ、教え子だった小橋と菊地は本デビューが近かったこともありバトルロイヤルへ加わることとなった)。 |
| 1988年2月26日…滋賀・栗東町(現・栗東市)民体育館にて大熊元司戦で本デビュー。 |
| 同日、菊地毅もデビュー戦を行った。 |
| 1990年4月9日…二代目タイガーマスクと組んで初のベルトであるアジアタッグ王座を獲得。 |
| 1993年12月3日…三沢光晴と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦初優勝、第24代世界タッグ王者に就く(初戴冠)。 |
| 1994年12月10日…三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦連覇、第25代世界タッグ王者に就く。 |
| 1995年12月9日…三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦史上初の3連覇。 |
| 1996年7月24日…田上明を破って第16代三冠ヘビー級王者に就く(初戴冠)。 |
| 1997年9月28日…FMWの川崎球場大会に出場。 |
| モスマンと組んでハヤブサ、新崎人生組に勝利。 |
| 初の他団体参戦となる。 |
| 1998年6月12日…川田利明を破って第19代三冠ヘビー級王者に君臨、勝利インタビューで「新時代宣言」を提唱。 |
| 1998年9月11日…秋山準らと共にチーム「バーニング」を結成。 |
| 2000年2月27日…ベイダーを破り第25代三冠ヘビー級王者に就く。 |
| 勝利インタビューで再び「新時代宣言」を行う。 |
| 2000年4月15日…チャンピオン・カーニバル(この年はトーナメントだった)で念願の初優勝。 |
| 2000年6月15日…全日本プロレスを退団して三冠ヘビー級王座を返上。 |
| 翌日に新団体「プロレスリング・ノア」へ移籍を発表、同時に膝の手術で入院。 |
| 2000年8月5日…ノア旗揚げ戦。 |
| オレンジに紺の模様が入ったタイツ、シューズで登場。 |
| 翌日、秋山にシングルで初めて敗れる。 |
| 2000年10月7日…この日から現在のコスチュームの原点である黒にグレーの模様を入れたタイツ、フード付きガウンで登場するようになる。 |
| 2001年1月18日…この日を最後に膝の手術とリハビリのため欠場。 |
| 2001年7月27日…ノア1周年記念興行で挨拶。 |
| 秋山からの依頼によりGHCヘビー級選手権試合(三沢VS秋山戦)をテレビ解説した。 |
| 2002年2月17日…秋山、永田裕志組戦(パートナーは三沢)で395日ぶりにリング復帰を果たしたが、左膝前十字靱帯不完全断裂で全治4か月の負傷で再び欠場。 |
| 2002年7月5日…井上雅央、金丸義信組戦(パートナーは鈴木鼓太郎)で138日ぶりの再復帰戦を第1試合で行う。 |
| 2002年7月26日…浅子覚の引退試合。 |
| 一夜限りの超世代軍復活でオレンジタイツを使用。 |
| 2003年3月1日…選手権試合で初めて三沢に勝利。 |
| 第6代GHCヘビー級王者に就く。 |
| 以後、2年間王座を保持し13度の防衛に成功。 |
| 2003年5月2日…新日本プロレス東京ドーム大会にて蝶野正洋を挑戦者に迎えGHCヘビー級選手権試合を行い、防衛。 |
| 2003年6月6日…本田多聞と組み第6代GHCタッグ王者に就く(初戴冠)。 |
| 2005年7月18日…佐々木健介とシングルマッチで対戦。 |
| 壮絶な「剛腕対決」を制す。 |
| 2005年9月20日…初のアメリカ遠征に出発(10月4日帰国)、サモア・ジョーらと対戦する。 |
| 2006年6月4日…本田と組み第12代GHCタッグ王者に就く(2度目の戴冠)。 |
| 2006年6月29日…右腎臓に4-5cmの(腎臓癌)が見つかり、治療のためこの日から欠場。 |
| その後、GHCタッグ王座を返上した。 |
| 2006年7月6日…5時間半に渡る腹腔鏡(ふくくうきょう)による右腎臓摘出手術は無事成功。 |
| 2006年7月27日…退院。 |
| 病院には10万羽の千羽鶴と1000通の激励メールが届く。 |
| 2007年1月20日…両膝の手術を行う。 |
| 2007年10月27日…日本武道館に姿を見せて、「レスラー小橋建太として戻ってきます!」と宣言し小橋自身の口から復帰戦のカードを発表。 |
| 2007年12月2日…三沢、秋山組戦(パートナーは高山善廣)で546日ぶりのリング復帰を果たした。 |
| 2008年2月26日…京王プラザホテル八王子5階ホール大会にて、デビュー20周年記念特別試合が行われた。 |
| 2008年9月9日…右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により手術を行い、再び長期欠場。 |
| 2009年3月1日…井上雅央戦で176日ぶりの復帰戦を第1試合で行う。 |
| 2009年6月8日…橋誠に勝利して、第9代グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者になる。 |
| 2009年7月6日…取締役副社長に就任する。 |
| 2009年8月30日…小島聡の呼びかけにより9年ぶりに全日本に参戦。 |
| 2009年9月27日…三沢追悼興行で武藤敬司とタッグで初対決を行い勝利。 |
| 2009年10月12日…蝶野のデビュー25周年記念試合で、蝶野、武藤とトリオを結成して勝利を飾った。 |
| 2010年1月5日、肘部管症候群によりシリーズ欠場。 |
| 2010年6月21日、同年秋に演歌歌手のみずき舞と結婚を発表。 |
| 2011年6月13日、三沢光晴メモリアルナイトの前半戦終了後リングで復帰を発表。 |
| 2011年7月23日、大阪府立体育会館で秋山準・斎藤彰俊組を相手に、潮崎豪とタッグを組んで復帰するも敗北。 |