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つながりの強いひと
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細川隆元
細川隆元(ほそかわりゅうげん、本名の読みは(たかちか)、1900年1月17日-1994年12月19日)は日本の政治評論家・衆議院議員。熊本市生まれ。 |
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高橋亀吉
経済評論家・経済史研究者。元拓殖大学教授。文化功労者。 |
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藤原弘達
日本の政治学者、評論家。広島県尾道市生まれ。「ふじわらこうたつ」と呼ばれることが多い。福山誠之館中学、第六高等学校を経て、1945年(昭和20年)、東京... |
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島田三郎
日本の政治家、ジャーナリスト、官僚。幼名は鐘三郎、号は沼南。 |
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井上準之助
日本の政治家、財政家。日本銀行第9、11代総裁。山本、浜口内閣で大蔵大臣を歴任。貴族院議員。生家の井上酒造は、200年の歴史を持つ酒蔵である。 |
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石橋湛山
日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(... |
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左卜全
日本の俳優。異母姉は女流歌人の三ヶ島葭子。 |
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宇野精一
日本の儒学者、国語学者。東京大学名誉教授、尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長、斯文会理事長。日本会議顧問。父は儒学者の宇野哲人(東方学会初代... |
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濱口雄幸
日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。号は空谷。大蔵大臣(第29・30代)、内務大臣(第43代)、内閣総理大臣(第27代)などを歴任した。 |
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田中都吉
田中都吉(たなかときち、1877年1月26日-1961年10月3日)は外交官。外務次官、在ソヴィエト連邦特命全権大使等を務めた。1924年勲一等瑞宝章受章、1961年勲一... |
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大梶七兵衛
大梶七兵衛(おおかじしちべえ、元和7年(1621年)-元禄2年5月25日(1689年7月11日))は出雲国神門郡古志村(現在の島根県出雲市古志町)で生まれ、高い農業... |
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青木正
日本の政治家。元自由民主党所属の衆議院議員。元環境庁長官の青木正久は息子。埼玉県北埼玉郡出身。不動岡中学校、東京農業大学卒業。中外商業新報論説委員... |
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野崎廣太
日本の実業家。岡山市平野出身。幼名・兵三。諱・通礼。筆名・汲古庵主。号・幻庵。 |
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細川隆一郎
日本の政治評論家・コメンテーター・ジャーナリスト・タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。歯に衣... |
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フラン・メリダ
スペイン・バルセロナ出身のサッカー選手。スポルティング・ブラガ所属。ポジションはミッドフィールダー。 |
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清沢洌
ジャーナリスト、評論家。長野県生まれ。外交問題、特に日米関係の評論で知られ、またその太平洋戦争下における日記が『暗黒日記』として戦後公刊されたこと... |
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奥繁三郎
京都府出身の明治、大正時代の政治家。元衆議院議長。関西法律学校(現関西大学)卒。 |
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石田博英
日本の政治家。労働大臣。内閣官房長官。衆議院議員。勲一等旭日大綬章。 |
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プロフィール
- 小汀利得とは
- 生涯
- 参考書籍
- 著書
- 外部リンク
- 関連サイト
小汀利得(おばまとしえ、1889年12月3日-1972年5月28日)は、日本のジャーナリスト、時事評論家。第二次世界大戦前は中外商業新報紙(後の日本経済新聞)の経済部長、編集局長、社長を歴任、戦後はTBSテレビの座談会番組「時事放談」のレギュラー出演者として有名だった。なお名前はしばしば「リトク」と呼ばれた。
生涯
| 島根県(旧)神門郡に8人兄弟の三男として生まれる。 |
| 父は同郡川跡村役場に勤めるも、呑む打つ買うの道楽が過ぎて退職、一方母は素封家の娘で近在でも評判の働き者であったという。 |
| 早くから新聞記者を目指していた小汀は、酒屋などで小僧奉公の後、1906年に上京、当時は人気がなかった青山方面で真っ暗闇のなか新聞配達で学資を稼ぎつつ、国民英学会に一時籍を置いたりしながら正則英語学校、研数学館など複数校に通ったが、これらの学校では当時中学校卒業資格を得られなかったため、やがて早稲田大学の独特の資格試験に臨み、同大学予科入学。 |
| 1916年同大学政治経済学部を卒業した『私の履歴書』(日本経済新聞社、1971年)「小汀利得」の項目。 |
| 卒業後の小汀は衆議院議長島田三郎(立憲同志会)の議長秘書官を務め、島田が議長を辞した後は彼の選挙区・横浜の貿易会社に就職、勤務先が第一次世界大戦後の反動不況で倒産した後の1921年、ようやく念願の新聞社に入社する。 |
| 貿易実務を経たためか小汀の興味・関心は経済・金融分野にあり、彼は中外商業新報社(日本経済新聞の前身)に経済部記者として入社したのだった。 |
| 32歳、ジャーナリストとしては遅咲きのスタートだった。 |
| 1927年には同紙の経済部長に就任、1930年の濱口雄幸内閣・井上準之助蔵相による金輸出解禁(金本位制への復帰)においては、経済理論上、戦前の為替水準(旧平価)での金解禁は不況を招くであろうこと、望まれる政策は金解禁の中止、あるいは為替の大幅切下げとのセットでの実施(新平価解禁)であることを説く論陣を張った。 |
| 同様の主張を行った石橋湛山(東洋経済新報)、高橋亀吉(経済評論家)、山崎靖純(時事新報、後に読売新聞)と共に、小汀は「新平価解禁四人組」として勇名を馳せた。 |
| 小汀は1934年からは中外商業新報の編集局長、1945年1月には同社副社長、敗戦直前の同年7月には改称し日本産業経済新聞社と称していた同社社長に就任した。 |
| また1943年からは大日本言論報国会参与でもあった。 |
| 戦時下これらの要職にあったことを問題視され、1947年には公職追放となっている(50年に解除)。 |
| 1950年の公職追放解除後は国家公安委員会委員をはじめ各省庁の委員会・審議会委員を歴任した。 |
| 1956年には産業計画会議委員(議長・松永安左ヱ門)就任。 |
| また1957年からはTBSテレビ「時事放談」のレギュラー出演者として、同じくレギュラーの細川隆元とともにその毒舌が評判となった。 |
| テレビで細川が頻繁に「リトクさん」と呼びかけたことから晩年にはこの俗称が定着してしまった。 |
| この番組、あるいは講演や執筆活動では、しばしば政府・官僚機構を「木っ端役人ども」「無能な官僚」などと呼び、また日本武道館をビートルズのコンサート会場として使用させることに対して口を極めて非難するなど、うるさ型としての面目躍如の感があった。 |
| 特に、戦前より古書籍の蒐集家としても有名であった小汀は国語(日本語)問題に一家言あるを自ら任じており、国語審議会のいわゆる「国語改革」に反対して私費で「国語問題協議会」を結成するなど活発な活動が目立った。 |
| 1965年勲一等瑞宝章受章。 |
| 1971年5月、講演先で転んだのがもとで体調を崩し、同年6月に14年にも及んだ「時事放談」から降板(後任は藤原弘達)、翌1972年に死去した。 |
| 叙・従三位。 |
| 逸話として、老人と子供のポルカという楽曲で歌手デビューする計画があったが、実現に至らなかった。 |
| この曲は後に左卜全が劇団ひまわりの子役女児の選抜メンバーとで作ったユニット「左卜全とひまわりキティーズ」により発売されヒットした。 |
参考書籍
| 『小汀利得――ぼくは憎まれっ子』日本図書センター(ISBN4-8205-5968-0):自伝。 |
著書
| 街頭経済学千倉書房1931。 |
| 内外経済の諸問題実際経済問題講座第3巻1931。 |
| インフレ経済時代国際経済新報社高瀬書房1932。 |
| 漫談経済学千倉書房1932。 |
| 新聞界種々相第1(金解禁から再禁止迄)新聞全集第12巻新聞之新聞社、1932。 |
| 金より物へ千倉書房1933。 |
| 株式と相場の知識非凡閣1934(万有知識文庫。 |
| 株式投資入門井尻固共著株式投資講座第1篇学芸社、1935。 |
| 安田コンツェルン読本春秋社1937(日本コンツェルン全書。 |
| 株式と相場の知識天泉社1940 。 |
| 『現代日本財界人物論』ダイヤモンド社1956。 |
| ヨーロッパ弥次喜多旅行実業之世界社1965。 |
| 毒舌闘争50年日新報道1970。 |
| ぼくは憎まれっ子日本経済新聞社1971。 |
| 私の履歴書第46集日本経済新聞社1972。 |
| 私の履歴書文化人18日本経済新聞社1984.6。 |
| 小汀利得ぼくは憎まれっ子日本図書センター2001.2(人間の記録。 |
| 『明治文化資料叢書 1、2巻 産業編、経済編』風間書房1959-61 。 |
外部リンク
| この中で小汀があまりに多くの政府委員会・審議会委員を兼任していることが問題視されている。 |
| 同会議録によれば、この時点で彼が就いていた委員会委員職は私立大学審議会委員、国家公安委員会委員、中央教育審議会委員、資金運用部資金運用審議会委員、米価審議会委員、海運造船合理化審議会委員、人口問題審議会委員、行政審議会委員、武器生産審議会委員であった。 |
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1906年
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上京、当時は人気がなかった青山方面で真っ暗... |
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1921年
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ようやく念願の新聞社に入社する |
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投票数
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小汀利得さんについてのひとこと紹介
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