| 2006年、移籍して間もなく正捕手である谷繁元信がWBCへの出場で戦列を離れたため、オープン戦ではほぼスタメンで出場。 |
| 打撃はともかく、守備とリードがとても良いと評価された。 |
| シーズンが開幕すると谷繁の体力の衰えや打撃面での極度の不調などもあり、主に移動後での1戦目や交流戦等で先発起用された。 |
| また、山本昌との相性の良さから、同投手の先発時はスタメンで起用されることが多かった。 |
| 結果、2番手捕手として一軍に定着し、谷繁の後継者として期待される存在となる。 |
| 11月の契約更改では1300万円増の3600万円でサインした。 |
| 本人は満足できる数字を残したシーズンではなかったが、谷繁の控え捕手として働いたことやムードメーカーとしてベンチからチームを盛り上げたことが高く評価された。 |
| 2007年、背番号が40から26へと変更される。 |
| これについて落合監督は「26を小田、28を(ドラフト希望枠で入団した)田中大輔に付けさせ、26、27(谷繁)、28で正捕手を争えばいい」と話していた。 |
| シーズンでの起用形態は昨年とほぼ同じだが、山本昌の不調もあり、出場機会は若干減少した。 |
| 同年オフに視力矯正の為にレーシック手術を受け、視力が回復したことにより以後は眼鏡なしでのプレーとなる。 |
| 2008年、付けていた背番号26を大学・社会人ドラフト1巡目で名城大学から入団した山内壮馬が付ける事になり、背番号が28に変更された。 |
| シーズン当初は控えであったが、5月に谷繁が故障で離脱すると先発マスクを被ることが増えた。 |
| しかし、谷繁以上の信頼を得ることはできず、山本昌とのバッテリーも谷繁に奪われてしまい、チャンスが活かせず、課題が残る結果に終わった。 |
| それでも、移籍後最多となる41試合に出場し、オフの契約更改では増額を得た。 |
| しかし、秋季キャンプでは両足痛で途中離脱。 |
| さらに、背番号28をドラフト5巡目で明治大学から入団した岩田慎司が付けることになり、52に変更され、中日に移籍してから4年連続で背番号を変更することとなった。 |
| 2009年は、シーズン開始直後に谷繁が怪我で離脱し、先発マスクの機会を得るが、4月18日の試合で逆転負けを喫した際に、落合監督からリードの悪さを指摘され落合監督はこの敗戦のコメントについて、「明日のスタメンを見れば分かるよ」と言い、その日のオーダーに小田が外されていた。 |
| 、その翌日以降、昨年北海道日本ハムファイターズから自由契約で移籍してきた小山桂司に先発マスクを譲る事となる。 |
| 谷繁が復帰するまでは主に岩瀬仁紀が登板する際に出場するなど終盤の守備固めでの出場が多かったが、谷繁の一軍復帰と同時に二軍落ちすることとなった。 |
| まもなく復帰したが、程なくして再び二軍落ちした(その後、7月31日に一軍復帰)。 |
| 勝負どころでの度重なるバントの失敗、また打率が.050を切るなど、打撃面での弱さも仇となって、終盤の守備交代時の起用が多くなった。 |
| 2010年は、中日移籍後初めて同じ背番号を2年連続で付けることになった。 |
| ルーキーの松井雅人が第3捕手として開幕一軍を果たしたため開幕を二軍で迎えることとなった。 |
| しかし、6月18日に谷繁の怪我もあってようやく一軍昇格。 |
| 以降は先発レギュラーとなり、谷繁の復帰後は併用されるようになった。 |
| 7月16日から20日にかけてのチームの5試合連続完封に貢献。 |
| 5試合のうち2試合で先発出場し、16日は2年ぶりのマルチヒット、19日は決勝の3点適時二塁打を放つなど、少ない打席ではあるが、打率.274の成績を残し、チームの優勝に貢献した。 |
| 10月23日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第4戦の4回にも、試合の均衡を破る先制2点適時二塁打を放っている「大一番もやりました〜小田先制打」日刊スポーツ・大阪版2010年10月24日付6版3面。 |
| 内角を果敢に突く一方で死球も多く、8月20日ナゴヤドームのヤクルト戦ではリーグ最多タイの5死球を与えている。 |
| 試合は相手投手館山の無四死球完封により、本拠地13連勝を逃す結果となった。 |
| 2011年は、キャンプで足首を痛めたため開幕を二軍で迎えることとなった。 |
| しかし、6月29日に一軍昇格。 |
| その後は小山桂司ととも併用されている。 |
| 7月5日の対阪神戦ではプロ入り初となるサヨナラヒットを放った。 |