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平賀源内
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平賀源内(ひらがげんない、享保13年(1728年)-安永8年12月18日(1780年1月24日))は江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家(蘭画家... |
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プロフィール
- 小田野直武とは
- 生い立ち
- 平賀源内との出会い
- 『解体新書』を描く
- 秋田蘭画の形成
- 死
- 代表作
- 小田野直武を描いた作品
- 関連文献
小田野直武(おだのなおたけ、寛延2年12月11日(1750年1月18日)-安永9年5月17日(1780年6月19日))は江戸時代中期の画家。秋田藩士。通称を武助。 平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した。
生い立ち
| 直武は秋田藩角館に生まれる。 |
| 角館は、佐竹家の分家である佐竹北家が治める城下町であった。 |
| 幼少より絵を好み、狩野派を学び、また浮世絵風の美人画も描く。 |
| やがて絵の才能が認められ、佐竹北家の当主・佐竹義躬、秋田藩主・佐竹義敦(佐竹曙山)の知遇を受ける。 |
平賀源内との出会い
| 安永2年(1773年)7月、鉱山の技術指導のために、平賀源内が秋田を訪れ、直武と出会う。 |
| 一説には、宿の屏風絵に感心した源内が、作者である直武を呼んだという。 |
| 源内は直武に西洋画を教えた。 |
| 伝説では「お供え餅を上から描いてみなさい」と直武に描かせてみせ、輪郭で描く日本画では立体の表現は難しく、西洋絵画には陰影の表現があるのでそれができると教えたという。 |
| 源内自身は「素人としては上手」という程度の画力であるが、遠近法、陰影法などの西洋絵画の技法を直武に伝えた。 |
| 同年10月、源内は江戸へ帰る。 |
| 同年12月、直武は「銅山方産物吟味役」を拝命して江戸へ上り、源内の所に寄寓する。 |
『解体新書』を描く
| そのころ、前野良沢・杉田玄白らによる『解体新書』の翻訳作業が行われていた。 |
| 図版を印刷するため、『ターヘル・アナトミア』などの書から大量に図を写し取る必要があった。 |
| 玄白と源内は親友であり、おそらく源内の紹介によって、直武がその作業を行うこととなる。 |
| 実は既に安永2年(1773年)中に、『解体新書』の予告編である『解体約図』が発行されており、その図は熊谷儀克が描いていた。 |
| 『約図』と『新書』の図を比べると、やはり直武による『新書』の方が、陰影表現の点で優れている。 |
| 直武は『解体新書』の序文に「下手ですが、断りきれないので描きました…」といった謙虚なことを書いている。 |
秋田蘭画の形成
| 直武は源内のもとで、西洋絵画技法を自己のものとし、日本画と西洋画を融合した画風を確立していく。 |
| また、佐竹曙山や佐竹義躬に対し絵の指導を行った。 |
| この3人が中心になった一派が「秋田蘭画」または秋田派と呼ばれることになる。 |
| のちに日本初の銅版画を作り出す司馬江漢もこのころ直武に絵を習ったようである。 |
死
| 安永8年(1779年)11月、直武は突然の遠慮謹慎を申し渡され、秋田へ帰る。 |
| おそらくは、源内の刃傷事件が起こり、かかわりあいになるのを恐れての処置と思われる。 |
| ただし、直武の帰国は刃傷事件の前だとする説もある。 |
| 翌年5月、急死。 |
| 病死説や、政治的陰謀による切腹説がある。 |
代表作
| 東叡山不忍池図(秋田県立近代美術館)1幅岩絵の具顔彩絹本著色重要文化財。 |
| 唐太宗・花鳥山水図(秋田県立近代美術館)3幅対岩絵の具顔彩絹本著色1770年代重要文化財。 |
| 笹に白兎図(秋田市立千秋美術館)。 |
| 岩に牡丹図(秋田県立近代美術館)1幅岩絵の具顔彩1770年代紙本著色。 |
関連文献
| 三輪英夫編『小田野直武と秋田蘭画』<日本の美術第327号>至文堂、1993年。 |
| 高階秀爾監修『江戸のなかの近代-秋田蘭画と「解体新書」』。 |
| 高階や養老孟司・芳賀徹等が執筆、筑摩書房、1996年、ISBN448085729X。 |
| 鷲尾厚『解体新書と小田野直武』無明舎出版、2006年。 |
| 解体新書の図版復刻と伝記、無明舎は秋田の郷土出版社。 |
| 今橋理子『秋田蘭画の近代 小田野直武「不忍池図」を読む』東京大学出版会、2009年。 |
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1773年
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鉱山の技術指導のために、平賀源内が秋田を訪... |
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1779年
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直武は突然の遠慮謹慎を申し渡され、秋田へ帰る |
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