| TBSのバラエティ担当プロデューサー史上最大の豪傑な人物として没後も伝説として語り継がれている。 |
| 入社当時の音響効果時代には喜劇界の大御所だった榎本健一に口答えして激怒させ、また番組宣伝課時代には当時腸捻転ネットでTBS系で放送されていた「てなもんや三度笠」(ABC)のプロデューサー・澤田隆治に放送記者会賞を取らせるため半年も記者を口説き落として実際にその年に受賞させるなどと、かなり灰汁の強い人物であった居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」双葉社・ISBN4575711950)。 |
| 1969年、それまで低視聴率に苦しんでいたTBS土曜20時枠を立て直すためにドリフターズをメインに据えた新番組を立ち上げようと、顔合わせと説得を兼ねてドリフの面々と赤坂の寿司屋で会食を行った。 |
| しかしその場でリーダーのいかりや長介が、強力な裏番組『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ)の前に敗北するのではないかと消極的な態度を示した。 |
| それを受け居作は「そりゃあ、たしかに55号とドリフじゃあ、今は月とスッポンかも知れない。 |
| だけどスッポンが月に勝てないと決まってるわけじゃない」と発言し、それを聞いたいかりやは逆に見返してやろうと奮起し新番組出演を受諾。 |
| 今や伝説のバラエティ番組となった「8時だョ!全員集合」が産声を上げることとなった居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」双葉社・ISBN4575711950)。 |
| 「全員集合」開始の際、居作がTBS編成局側に出した条件として、「新番組(全員集合)を手掛ける代わりに、『お笑い頭の体操』のプロデューサーを降板させてもらって新番組に専念させて欲しい」というものがあった。 |
| 当初編成側もこれを承諾したが、「お笑い頭の体操」のスポンサーであったロート製薬が猛抗議した。 |
| 当初は「新番組との掛け持ちすらも認めない」と突っぱねたが、せっかく番組を軌道に乗せた功労者である居作を手放したくないロート側が折れ、異例だった「番組掛け持ち」を容認させることとなった居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」双葉社・ISBN4575711950)。 |
| かつてクレーム処理を一手に引き受けていた際、「8時だョ!全員集合」は「食べ物を粗末にする」コントがあるとの理由から日本PTA全国協議会から低俗番組と槍玉に挙げられていた。 |
| 居作はPTAの関係者と応対した際には自身の感想であるが、あまりにも見下したような言動に激昂。 |
| 「ドラマだって食べ物を粗末にするシーンがあるじゃないか!ドラマだったら許されるといいたいのか!」と恫喝した。 |
| 居作によると、当時ドラマでは一例として病気の母親のためにスイカを丸々一個買って持って帰ろうとしていたときに運悪くイジメっ子達に出くわし、そのイジメっ子にせっかく買ったスイカを取り上げられて割られてしまうという、コントの世界では低俗とされるシーンが数多く放送されていた。 |
| こういう現実を見ているからこそ居作は言い返したわけだが、言い返されたPTAの関係者は二の句が継げなかったという。 |
| 現在は「ドラマでも食べ物を粗末にするシーンが放送されなくなっている」と見る向きもあるが、それが居作の言動に由来することなのかは定かではない。 |
| TBS在籍時代、ドリフと共に大橋巨泉の担当として公私共に交流があった。 |
| 「クイズダービー」を司会の巨泉の発案から共にプロデューサーとして立ち上げたことで知られる。 |
| 1976年新春の番組開始当初、現在知られるものよりも複雑なルールが災いし最低4.4%という低視聴率で、上層部から再三打ち切り勧告が出された。 |
| しかし、スポンサーのロート製薬側の意向もあり存続し、現在知られるルールに単純化したところ秋頃には視聴率は20%を超え、TBSを代表する看板番組となった。 |
| 同年暮れの打ち上げ会において、居作は「番組があたることはいいですな。 |
| ついこの前まで"スポンサーを替えても番組を変える"といってた人からもおホメの言葉をいただけるんですから」と打ち切り勧告をしていた営業部長、編成部長、制作部長に毒づき、慌てて彼らはその場から姿を消したという。 |
| 巨泉は「おい、あんなこと言っていいのかい?」と心配したが、居作は「なあに、あのくらい言ってちょうどいいのさ」と平気な顔で返したという大橋巨泉「ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝」(講談社・ISBN4062121735)。 |
| 「世界まるごとHOWマッチ」の放送時間を夜10時から夜8時に昇格したいと司会の巨泉に打診した際、巨泉は「8時になると(番組に)制約ができる。 |
| どうしてもと言うのなら、俺以外の司会者でやってくれ」と頑固反対し、当時居を構えていた伊東に帰ってしまったが、MBS制作である「HOWマッチ」とは関わりが無かったものの気心の知れた居作が巨泉の自宅に出向き説得に当たり、番組を夜10時台と同じペースでやってもよいとする条件と巨泉主催のゴルフトーナメントのスポンサーを毎日放送が引き受けてもよいという条件で納得させた。 |
| 巨泉は自著で「見事なネゴシエーターぶりであった」と回想している大橋巨泉「ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝」(講談社・ISBN4062121735)。 |
| 景山民夫の著書・小説「トラブル・バスター」の登場人物である田所局長のモデルとされている谷啓+景山民夫対談「テレビが輝いていたころ」(講談社『INPOCKET1991年6月号』)。 |