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プロフィール
- 屋井先蔵とは
- 概要
- 経歴
- エピソード
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
屋井先蔵(やいさきぞう、1864年1月13日(文久3年12月5日)-1927年6月)は乾電池の発明者である。
概要
| 越後長岡藩士屋井家(300石)の出身(現在の新潟県長岡市)。 |
| 6歳で父が死去し叔父に引き取られた。 |
| 13歳で時計店の丁稚となるも、病気のため帰郷。 |
| 修理工として年季奉公した後、高等工業学校(現:東京工業大学)入学を志望したが受験に2度失敗し、それからの3年間は独力で永久自動機等の研究を続けた。 |
| その後、東京物理学校(現:東京理科大学)の実験所付属の職工として専門知識を学んだ。 |
| そしてついに独自の屋井乾電池を発明した。 |
| しかし、国内的にはあまり注目されず、むしろ万国博覧会出品で乾電池の存在が国際的に認知されることとなったが、発明者が屋井先蔵であることが知られるのはしばらく後の事になった。 |
経歴
| 1885年-電池で正確に動く連続電気時計を発明し特許を取得。 |
| これに使用するための液体電池は冬季の凍結防止など維持に手間がかかるため、乾電池の開発に着手した。 |
| 1889年-東京物理学校で学者の助言により陽極炭素棒にパラフィン処理をなして、ついに乾電池を完成・発明した(→エピソード2を参照)。 |
| 1891年-先蔵29歳の時ある人の紹介で、妻となる繁(しげ)と結婚。 |
| 1892年-シカゴ万国博覧会に先蔵の屋井乾電池を使用した地震計を東京帝大理学部が出品。 |
| この乾電池が国際的に関心を集めることになった。 |
| 1893年11月21日-先蔵の乾電池は特許取得がようやくかなう。 |
| 1894年頃-日清戦争の際の通信用の動力として屋井乾電池が使われる。 |
| 1910年-屋井乾電池を設立し、乾電池の本格量産にとりかかった。 |
| 筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立した。 |
| 「乾電池王」とまで呼ばれた。 |
| 1927年-病気により死去。 |
| その後の屋井乾電池は1950年以降は乾電池工業会の名簿から消えており現存しない。 |
エピソード
| #高等工業学校(現:東京工業大学)の試験に5分遅刻したため失敗し、翌年より年齢制限により受験資格を失ってしまったことが連続電気時計の着想とされる。 |
| #発明にしたにもかかわらず、貧乏のため乾電池の特許を取得はできなかった(当時の特許取得料金は膨大に高い料金だった)。 |
| また、乾電池を発売した当初の世論は「乾電池などという怪しいものは正確に動かないはずだ」というものが大半を占めており、先蔵の乾電池は全く売れなかった。 |
| さらに持病の為に寝込む日が続き生活は貧窮を極めた。 |
| そして不幸は続き、先蔵の乾電池のすごさを知った外国人が万博にて自分が発明したものだと主張した。 |
| そのため、しばらく時間が経つまで世界で最初に乾電池を発明した人物は先蔵であると認知されていなかったのである。 |
参考文献
| #豊辺政男編・著 「屋井先蔵」『ふるさと長岡の人びと』(同書114-115頁に所載)、長岡市、1998年。 |
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1864年
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屋井 先蔵(やい さきぞう、(文久3年12月5日... |
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