| レコーディングの際には、ボーカル・バックコーラスはもちろん、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで1人で手掛けている。 |
| すべての演奏を一人で行っている楽曲もあり、ギタープレイ、特に独特なタイム感の16ビートカッティングも得意とする。 |
| このような背景もあり、また自作と交互に妻であるシンガーソングライター、竹内まりやの作品もプロデュースしていることから、長い活動期間に比べて寡作となっている。 |
| 1970年代後半から、他のアーティストへの曲の提供を始めた山下は、シュガー・ベイブ時代のプロデューサーであった大瀧詠一のナイアガラ・レーベル初期の作品に、コーラスアレンジ及びストリングスアレンジで参加しており、特に『NIAGARACALENDAR』で深く関わっている。 |
| また、KinKiKidsのデビュー・シングル『硝子の少年』など、ヒット曲を出している。 |
| シュガー・ベイブ時代のプロデューサーで、今も交流が続いている大滝詠一同様、ポップスマニアであり、インディーレーベルから発売された楽曲、メジャーレーベルから発売されてもヒットしなかったマイナーな楽曲に造詣が深く、未だにCD化していない楽曲は、レコード屋を探し回ってオリジナルのレコード盤を買っている。 |
| ソングライターマニアで、下述する『山下達郎のJACCSCARDサンデーソングブック』では、アーティスト別に特集を組む場合とソングライター別((例)キャロル・キング特集)で特集を組む場合がある。 |
| 1980年代後半には、プラモデルも熱心な趣味のひとつであり、とりわけ第二次世界大戦時の爆撃機の模型を集中的に作っていたという。 |
| また、{{要出典範囲|落語に造詣が深く、古今亭志ん生の芸風を好みとする、山下のラジオパーソナリティやステージでのMCの際の軽妙な語り口には、落語への興味の影響がみられる。 |
| 嫌いな食べ物は茄子、玉ねぎの味噌汁、ゴーヤ、甘い物である。 |
| ・「本を出さない、アリーナで公演をしないただし、竹内まりやのライブでは、バンドマスターとして日本武道館公演に参加しているほか、単独公演ではないものの、後述のとおり2010年10月31日のワーナーミュージックジャパン創立40周年記念コンサート(武道館)へ出演しているが、これらはあくまで「特例」であり、自身の公演においてはアリーナ会場を忌避している。 |
| 、テレビに出ない」ことを公言している。 |
| 1990年から1998年まで、雑誌『CUT』(ロッキングオン社)にて連載を行っており、連載終了時には渋谷陽一から書籍化を打診されたが、「こういうものは、記憶の片隅に残っていればいい。 |
| 」としてそれを断っている。 |
| また、日本武道館以上の規模の会場での公演を考えないことについては、日本武道館のような大会場の音響効果に疑問を持っていることと、末席からオペラグラスで見るような状態になるのは観客に失礼だからとしている。 |
| 2010年10月31日に行なわれた「WARNERMUSICJAPAN40th.Anniversary~100年MUSICFESTIVAL~」にて初めて武道館のステージに立ったが、後日自身のラジオにて、「あのパイプ椅子というのがどうしても駄目なんですね。 |
| 武道館のあのスタンドのプラスティックの無機質さ、無機質性というか、あそこで3時間やったら本当に疲れます、お客さんが。 |
| だから、やっぱり駄目かなと思いました。 |
| 」と答え、今後もアリーナクラスへのステージには立たない旨の発言をした。 |
| 山下達郎のJACCSCARDサンデーソングブック2010年11月14日放送分一方、大阪のフェスティバルホールには思い入れが強く、同ホールの建て替えについて強く反対このホール建て替えについてサンデーソングブックで「ここを破壊するのはカーネギーホール、オペラ座を壊すと言っているのと同じ」「愚行」とまで述べていた。 |
| 、建て替えのための閉鎖期限であった2008年12月には、同月だけで4回公演を同会場で開催した。 |
| 東京では中野サンプラザを中心に公演を行っている。 |
| また、コンサートではコード接続型のマイクを使用している。 |
| ・漫画好きであり、最近のお気に入りの漫画に『けいおん!』、『もやしもん』、『のだめカンタービレ』などを挙げているJ-WAVE『IA.M.』出演時のコメント(2011年8月)。 |
| 毎週読んでいるのは『ビックコミック』。 |
| 人に勧められて読むことが多い。 |
| ・人生で一番の映画に、好きな監督は山中貞夫で、中でも『人情紙風船』を人生の一本に挙げている。 |
| また、大の落語好きである『ぴあ』のインタビューより。 |
| ・英語の発音がいいと言われるが、曲を聞いて覚えているだけで喋れないとのこと『ぴあ』のインタビューより。 |
| ・玉置浩二の事を「日本でも最も過小評価されているミュージシャンである」と語っている。 |
| 高校時代には後に松井証券社長となる松井道夫や、現在ジオラマアーティストとして活躍している金子辰也後述の自主製作盤『ADDSOMEMUSICTOYOURDAY』、シュガーベイブのアルバム『SONGS』のデザイン、イラストを手掛けたのは金子である。 |
| らと交友を持った。 |
| また、吹奏楽部で打楽器を担当、このため山下は後年、自分の楽曲でもドラムスを叩いている。 |
| 高校時代から天文学の道を目差すも挫折、音楽著作権を学ぶため明治大学法学部へ入学したものの、授業にはほとんど出席しないまま、3か月で中退した。 |
| 何が何でも音楽で生きていくと決める(「R25」のWEB掲載インタビューより)。 |
| 1973年(昭和48年)、音楽グループ『シュガー・ベイブ』を、大貫妙子、村松邦男らと共に結成した。 |
| ポップス・サウンドを作り上げていた。 |
| しかし、当時は世間ではフォークの人気が、またライブスポットではハードロックの人気が、それぞれ強かった。 |
| そのため、広範囲のポピュラリティを獲得できず、さらにエレックレコードの倒産もあって、シングルとアルバムを1枚ずつリリースしただけで解散した。 |
| なおこの頃、達郎と大貫妙子は荒井由実のレコーディングにバックコーラスとして参加している。 |
| 1976年(昭和51年)12月25日、RCA/RVCよりアルバム『CIRCUSTOWN』でソロデビュー。 |
| ニューヨーク・ロサンゼルスでレコーディングを行う。 |
| 当時の日本のロック・シーンで新人(シュガー・ベイブの認知度は低かったため、無名の新人同様であった)が海外レコーディングを行う事は極めて異例で画期的であった。 |
| 1980年(昭和55年)、アルバム『RIDEONTIME』が大ヒット。 |
| 本アルバムに収録されている同名曲をキャンペーンソングに使った「maxell」のクレジット及び「いい音しか残れない」のコピー、また、本人も映っている「カバー」を、本来のジャケットに被せて販売していた時期がある。 |
| 1982年(昭和57年)、竹内まりやと結婚。 |
| オリジナルアルバム『FORYOU』を発表。 |
| アルバム収録曲「LOVELAND,ISLAND」がサントリービールのCMに起用され、また、当時流行のイラストレーターであった鈴木英人がアルバムのジャケットを担当したこと、などの効果もあって、このアルバムは彼の代表作となった。 |
| 同年、RVCとの契約を解消し、ディレクターの小杉理宇造と共に立ち上げたアルファ・ムーンへ移籍。 |
| 1986年(昭和61年)、アルバム『MELODIES』(1983年)からシングル・カットされた「クリスマス・イブ」がミリオン・ヒット。 |
| 1991年(平成3年)、オリジナル・アルバム『ARTISAN』を発表。 |
| 第33回日本レコード大賞のアルバム大賞(ポップス・ロック部門)を受賞。 |
| 受賞の際、本人の電話コメントとともに、ソロデビュー以降唯一、本人が歌っているビデオ映像(「さよなら夏の日」のPV的なもの)が放映された。 |
| 1994年(平成6年)、4月26日、27日と5月1日、2日、中野サンプラザにおいて、シュガー・ベイブ唯一のアルバム『SONGS』のオリジナル・マスターでのCD化を記念して、主にシュガー・ベイブのレパートリーで構成されたSPECIALLIVE『山下達郎singsSUGARBABE』を行う。 |
| 1995年(平成7年)、ベスト・アルバム『TREASURES』がミリオンセラーとなる。 |
| 1998年(平成10年)、オリジナル・アルバム『COZY』を発表。 |
| 2002年(平成14年)、2月25日付のオリコンアルバムチャートで、同月14日にBMGJAPANより再発売されたRCA/AIR時代のアルバム現在はソニー・ミュージックレコーズのカタログとなっている7枚がすべてトップ30以内にランクインし、カタログチャート(発売から2年を経過したアルバムが対象のチャート)では2位~8位を独占した。 |
| 同レーベル初の本人公認・監修RCA/AIR時代のカタログのCD化は、アルファ・ムーン移籍後の1984年のことであり、契約上の問題も関与して、1995年に当時のBMGビクターと和解が成立するまで、リマスタリングなど、長らく本人が携われない状況下にあったによるデジタルリマスター盤CDのリイシューを記念して、RCA/AIR時代の曲のみで構成されたコンサート・ツアー『Performance2002RCA/AIRYEARSSPECIAL』を行う。 |
| 追加公演の5月25日、26日は初の沖縄公演。 |
| 2005年(平成17年)9月14日、7年ぶりにオリジナル・アルバム『SONORITE』を発表。 |
| 2007年(平成19年)4月6日、銀婚式を桑田佳祐・原由子夫妻と合同で祝う。 |
| 2008年(平成20年)、6年ぶりのコンサート・ツアーを決行。 |
| このツアー『Performance2008-2009』では、同年末で建て替えのために閉鎖されるフェスティバルホールにおいて、ポップス歌手では最後のライブを行った(ホール千秋楽は、大阪フィルハーモニー交響楽団による「第9シンフォニーの夕べ」)。 |
| 2010年(平成22年)8月14日に北海道で行われた、RINSINGSUNROCKFESTIVAL2010inEZOに出演。 |
| 29年ぶりの野外フェス出演を果たす。 |
| 2011年(平成23年)8月10日、6年ぶりにオリジナル・アルバム『RayOfHope』を発表。 |