| 日本語も中国語も堪能だったことから、奉天放送局の新満洲歌曲の歌手に抜擢され、日中戦争開戦の翌1938年には満州国の国策映画会社・満洲映畫協會(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビューした。 |
| 映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本や満洲国で大人気となった。 |
| そして、流暢な北京語とエキゾチックな容貌から、日本でも満洲でも多くの人々から中国人スターと信じられていた『「李香蘭」を生きて私の履歴書』(日本経済新聞社、2004年)。 |
| また、この頃「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子との親交があった。 |
| 日中戦争中には満洲映畫協會の専属女優として日本映画に多く出演し人気を得た。 |
| 人気俳優の長谷川一夫とも『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』で共演した。 |
| 1941年2月11日の紀元節には、日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大盛況となった。 |
| 大勢のファンが大挙して押し寄せ、日劇の周囲を七周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させる程の騒動であったと伝えられている(日劇七周り半事件)『李香蘭私の半生』山口淑子、藤原作弥共著(新潮文庫1987年)。 |
| 1943年には、阿片戦争で活躍した中国の英雄・林則徐の活躍を描いた長編時代劇映画『萬世流芳』(151分)に、林則徐の弟子・潘達年の恋人(後に妻)役で主演した。 |
| 中華民國全土で映画が公開されると、劇中彼女が歌った主題歌「賣糖歌」と挿入歌「戒煙歌」と共に、中国映画史上初の大ヒットとなる。 |
| 『萬世流芳』は中華電影股份有限公司、中華聯合製片股份有限公司、満洲映畫協會の3社による合作映画である。 |
| この映画は、阿片戦争敗北100周年記念に作られた映画で、内容は阿片戦争の相手国である イギリスを日本に見立てて、中国民衆の抗日意識を鼓舞するものだった。 |
| 李香蘭は、劇中「賣糖歌」と「戒煙歌」の2曲を歌い、妖艶かつ可憐な魅力を振り撒いている。 |
| この映画は1943年6月の上映開始後、観衆の心をつかみ、当時最大のヒット作となった。 |
| 『萬世流芳』の大ヒットにより、中華民國の民衆から人気を得た李香蘭は、上海から北京の両親のもとへ帰郷し、北京飯店で記者会見を開いた。 |
| 当初、この記者会見で彼女は自分が日本人であることを告白しようとしていたが、父の知人であった李記者招待会長に相談したところ、「今この苦しい時に、あなたが日本人であることを告白したら、一般民衆が落胆してしまう。 |
| それだけはやめてくれ」と諭され、告白を取りやめた。 |
| この記者会見が終わり掛けた時、一人の若い中国人新聞記者が立ち上がり、「李香蘭さん、あなたが『白蘭の歌』や『支那の夜』など一連の日本映画に出演した真意を伺いたいのです。 |
| あの映画は中国を理解していないどころか、侮辱してます。 |
| それなのに、なぜあのような日本映画に出演したのですか?あなたは中国人でしょう。 |
| 中国人としての誇りをどこに捨てたのですか」と質問した。 |
| これに対し、彼女は、「20歳前後の分別のない自分の過ちでした。 |
| 今は後悔しています。 |
| あの映画に出たことを後悔しています。 |
| 今後、こういうことは決して致しません。 |
| どうか許してください」と答えるや、記者会見会場内からは大きな拍手が沸いたという。 |
| 記者会見と前後して、上海の百代唱片公司で収録した「夜來香」「恨不相逢未嫁時」「海燕」「防空歌」等がヒットした。 |
| このうち「防空歌」は、中国人の祖国防衛意識をかきたてた。 |
| また、1945年の日本敗戦間際に、上海・静安寺路(現・南京西路)の大光明大戯院GrandTheatre(現・大光明電影院)で行われたリサイタルでは、ヒット曲「夜來香」を含む中・日・欧米の歌曲等が披露され、観客の喝采を浴びた。 |
| そして人気の勢いは留まる事を知らず、李香蘭は、周璇、白光、姚莉、呉鶯音らと共に、上海灘の「五大歌后」の1人に数えられた。 |
| それまで、李香蘭は満洲国と日本のスターだったが、映画『萬世流芳』と、その主題歌「賣糖歌」、挿入歌「戒煙歌」、そして「夜來香」「海燕」「恨不相逢未嫁時」「防空歌」等のヒット曲により、中華民國でも人気スターとなった。 |
| 『萬世流芳』の後、『香妃』という映画が企画されたものの、撮影開始前に終戦を迎え、上海での映画出演は1本になってしまった。 |
| また歌に於いては、1945年にカップリングで吹き込み発売された「第二夢」と「忘憂草」とが、中国での最後の曲となってしまった。 |