| 1992年、11歳のときに、森信雄門下で奨励会に入会。 |
| 中学時代は、森の家で内弟子として暮らした「将棋世界」2000年1月号付録より。 |
| ほぼ順調に昇級昇段を重ね、1995年6月、中学3年のときに三段となる。 |
| しかしながら、三段リーグでは苦戦し、在籍した5期(2年半)の勝率は5割台であった。 |
| しかし、1998年4月のプロデビュー後、特に3年目以降からは、一転して非常に高い勝率を挙げるようになり、通算勝率で羽生善治に次ぐ2番手を、木村一基、深浦康市らと長く争ってきている。 |
| 度々タイトル戦の予選の上位に進出し、たとえば、王位戦では、第42期(2001年)、および、第45、46、48、49期の挑戦者決定紅白リーグに入っている。 |
| 第45期(2004年)では白組で優勝したが、紅組優勝の羽生善治との挑戦者決定戦で惜しくも敗れ、タイトル初挑戦を逃した。 |
| 2000年度、第31回新人王戦で棋戦初優勝(当時19歳)。 |
| 同棋戦での10代の優勝者は、森内俊之、羽生善治に次ぎ3人目である。 |
| さらには、4年後の第35回でも優勝している。 |
| 2002年度、第21回早指し新鋭戦で優勝。 |
| この回をもって終了した同棋戦の最後の優勝者となる。 |
| 2003年度、第16期竜王ランキング戦5組で優勝。 |
| 本戦トーナメントでも2勝を挙げる活躍。 |
| また、2002年度から2003年度にかけて、歴代3位タイの公式戦22連勝をマークする。 |
| 第54回(2004年度)NHK杯戦において決勝で羽生善治を破り、全棋士参加棋戦での初優勝を達成。 |
| そのすぐ後、準タイトル戦の朝日オープン将棋選手権で羽生選手権者に挑戦し、同じ顔合わせでの対決となる。 |
| 自身初の和服での番勝負に臨んだが、0-3のストレートで敗退した。 |
| これらの活躍から、2005年(1月〜12月)の獲得賞金・対局料ランキングで2299万円で全棋士中7位となった。 |
| 無冠で六段の棋士がベストテンに入るのは異例である。 |
| また、これにより、2006年のJT将棋日本シリーズへの出場権を得た。 |
| 2005年度、第64期順位戦C級1組で10戦全勝(渡辺明にも勝利)し、渡辺とともにB級2組へ昇級。 |
| 連覇を期して臨んだ第55回(2005年度)NHK杯戦の準決勝(対渡辺明戦、2006年1月9日放送)で、詰みを逃して惜しくも敗れる。 |
| 投了の直後、「馬鹿すぎるー」というぼやきを連発した。 |
| とはいえ、谷川浩司は、この一局を「終盤の名局」であるとして、2006年のNHK将棋講座の中で取り上げている。 |
| 2006年に七段に昇段。 |
| これは、竜王戦の規定による昇段の条件(の一つ)が「竜王ランキング戦2回連続優勝」から「竜王ランキング戦2回連続昇級」へ緩和された後に適用された初のケースである(なお、大平武洋、片上大輔も同じ条件で同じ期に昇段している)。 |
| また、これにより師匠(森信雄)の段位を、師匠が現役のまま複数の弟子(村山聖と山崎)が追い抜く、珍しい記録も作った。 |
| 2007年度、第66期順位戦B級2組で8勝2敗で1位の成績を挙げ、B級1組へ昇級。 |
| 2008年5月2日、第21期竜王ランキング戦2組の準決勝で勝利し、初の1組入りを決める。 |
| 決勝でも久保利明に勝って2組優勝し、賞金280万円を獲得した。 |
| この活躍もあり、2008年の賞金・対局ランキングでは1439万円で15位となり、出場枠の選出順で最後尾の16番目で2009年の第3回大和証券杯ネット将棋・最強戦への参加資格を得た。 |
| すれすれの出場権獲得ではあったが、ふたを開けてみれば、羽生善治名人、鈴木大介八段、久保利明棋王、そして、決勝(2009年8月2日)では当時絶好調の木村一基八段(称号・段位は、いずれも当時)という並み居る強豪を倒しての優勝という結果であった。 |
| 2009年7月27日、第57期王座戦挑戦者決定戦において中川大輔七段を破り、初のタイトル挑戦を決める。 |
| しかし、王座戦五番勝負では羽生善治王座に3連敗を喫し、タイトル獲得はならなかった。 |