16321
16492
184069
%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%9A%86%E9%80%A0
%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%9A%86%E9%80%A0
%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%9A%86%E9%80%A0
%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%9A%86%E9%80%A0
%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%9A%86%E9%80%A0
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
高橋慶彦
日本の元プロ野球選手(内野手)である。現在は千葉ロッテマリーンズ二軍監督。 |
|
|
王貞治
日本生まれ・中華民国籍の元プロ野球選手、監督。読売ジャイアンツの主軸打者として積み上げた通算本塁打数868本は、メジャーリーグのハンク・アーロンの755... |
|
|
山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
|
|
古葉竹識
熊本県熊本市出身のプロ野球選手・監督。旧名は「古葉毅」(読みは同じ、1964年に改名)。最終学歴は専修大学。広島東洋カープを球団史上初のリーグ優勝に導... |
|
|
大野豊
島根県出雲市出身の元プロ野球選手(投手)。からまで広島東洋カープに投手として22年間在籍した。1998年に現役引退後は野球解説者・野球評論家を経て、2010... |
|
|
正田耕三
和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
|
|
衣笠祥雄
京都府京都市東山区出身の元プロ野球選手(内野手)。京都市立洛東中学校、平安高等学校出身。現在は野球解説者。愛称は「鉄人」。 |
|
|
達川光男
広島県広島市出身の元プロ野球選手(捕手)・プロ野球監督、野球解説者。現在はフジテレビ・テレビ新広島・ニッポン放送・JSPORTS解説者、スポーツ報知評論家... |
|
|
北別府学
鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身の元プロ野球選手(投手)。 |
|
|
長内孝
青森県青森市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。6歳のときに父が死去し、母・兄とともに神奈川県津久井郡城山町(現:相模原市)へ移住して高校時代ま... |
|
|
小川達明
広島県広島市南区宇品出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 |
|
|
木下富雄
埼玉県北葛飾郡杉戸町出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
|
|
野村謙二郎
大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。から広島東洋カープ監督である。愛称は「ノムケン」。 |
|
|
山内泰幸
広島県東広島市出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者。現在は、広島東洋カープの一軍投手コーチ。 |
|
|
池谷公二郎
日本のプロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。 |
|
|
三村敏之
広島県出身のプロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。現役時代は広島東洋カープに所属。引退後は広島のコーチ・監督、東北楽天ゴールデンイーグル... |
|
|
長嶋清幸
静岡県小笠郡浜岡町(現:御前崎市)出身の元プロ野球選手(外野手)。1980年代の新聞報道では「長島」という表記もあった。小柄な体型から、愛称は「マメ」... |
|
|
前田智徳
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
|
|
緒方孝市
元プロ野球選手(外野手)。現在は広島東洋カープ守備・走塁コーチ。 |
|
|
内田順三
元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。静岡県三島市生まれ、清水市(現静岡市清水区)出身。現在は広島東洋カープ2軍打撃チーフコーチ。 |
|
|
プロフィール
- 山崎隆造とは
- 来歴・人物
- 年度別打撃成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
山崎隆造(やまさきりゅうぞう、1958年4月15日-)は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。愛称は「リュー」。現在は広島東洋カープ二軍監督で登録名は「山崎立翔」(読み同じ)。
来歴・人物
| 崇徳高校では3年春の甲子園で優勝(現・早稲田大学野球部監督の應武篤良は同期でチームメイト)。 |
| 超高校級の遊撃手と騒がれ、1976年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。 |
| 1978年後半から当時監督だった古葉竹識の勧めにより、高橋慶彦に次いでスイッチヒッターへ転向した。 |
| しかし高橋慶がいたため遊撃手には定着出来ず、入団5年目までは内外野(主に二塁手と左翼手)をかけもちした。 |
| スイッチをモノにしてレギュラー定着かに思われた1981年、熊本藤崎台球場でのオープン戦で打球を追ってコンクリートフェンスに激突し、右ひざの皿を粉砕骨折。 |
| この時の衝撃音はベンチ裏まで聞こえた程で、皿はたいてい二つに割れるものだが、山崎の場合は粉々になっていたという。 |
| 手術は「粉々になった骨を掻き集めて、ワイヤーで皿状に括る」という前例のないケースで行われ、一転して選手生命の危機を迎えたプロ野球本拠地球場のフェンスにラバーを張ることが義務付けられたのは、1977年に佐野仙好が川崎球場で頭蓋骨を骨折したのがきっかけだが、地方の球場はまだフェンスがコンクリートが多かった。 |
| 地方球場にもラバーが張られるようになったのは山崎のこの大怪我からである(なお、プロ野球を開催する地方球場のフェンス部緩衝材設置が正式に義務化されたのは1988年から)。 |
| 1981年のシーズンは棒にふったが、翌年の1982年に86試合に出場し、復活。 |
| 1983年には開幕戦から山本浩二に代わって中堅手を任され、レギュラー定着を果たした。 |
| 打順は主に2番打者や1番打者を打ち、6月以降は中堅手の座を長嶋清幸に譲り、自身は主に右翼手を務めるようになる。 |
| 同年から3年連続で打率3割を記録。 |
| ベストナイン3度、外野手としてゴールデングラブ賞を4度受賞するなど、走攻守三拍子揃った「赤ヘル野球」の体現者として高橋慶とともに活躍した。 |
| 打撃タイトルは無かったものの、右ひざ骨折という致命的な大怪我をしながら、その後203個の盗塁を重ね、1984年からは6シーズン連続全試合出場を果たしている。 |
| 1990年以降は外野に加えて三塁手としての出場が増え、1993年シーズン終了後に現役引退した。 |
| その後はコーチ、二軍監督を経て2001年から一軍守備走塁コーチ(三塁コーチ)を務めた。 |
| 2003年からは「隆造」から「立翔」に改名し、2006年から再び二軍監督を務める。 |
| ちなみに、ロックバンド「くるり」の岸田繁は山崎の現役時代のプレーを見て以来ファンとなり、現在も広島の大ファンで、2006年6月4日に広島市民球場で始球式を務めている。 |
表彰
| ベストナイン:3回(1984年・1985年:外野手、1991年:三塁手)。 |
| ゴールデングラブ賞:4回(1984年、1985年、1987年、1988年)。 |
記録
| 初出場:1978年8月1日、対中日ドラゴンズ14回戦(広島市民球場)。 |
| 初安打:1979年8月2日、対読売ジャイアンツ18回戦。 |
| 初本塁打:1979年10月16日、対中日ドラゴンズ25回戦。 |
| 通算1000試合出場:1989年6月30日(286人目)。 |
| 通算1000本安打:1989年9月17日(159人目)。 |
| 800試合連続出場:1990年4月24日(9人目)。 |
| 通算1500試合出場:1993年8月6日(109人目)。 |
| オールスターゲーム出場:3回(1984年、1987年、1991年)。 |
背番号
| 23(1977年-1982年)。 |
| 1(1983年-1993年)。 |
| 76(1994年-)。 |
|
1958年
|
山崎 隆造(やまさき りゅうぞう)は、広島県... |
|
1978年
|
初出場:、対中日ドラゴンズ14回戦(広島市民... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
山崎隆造さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|