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つながりの強いひと
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堺利彦
日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。 |
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山川菊栄
明晰な分析と鋭い批評眼を示し、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。また、戦前から柳田国男の薫陶を受け、母や故老からの聞き書きや祖父の日... |
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向坂逸郎
福岡県大牟田市出身の日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 |
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大杉栄
思想家、作家、社会運動家、アナキスト。伊藤野枝との子に長女・魔子(のち真子)、次女・エマ(のち幸子)、三女・エマ(のち笑子)、四女・ルイズ(のち留... |
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福本和夫
福本和夫(ふくもとかずお、1894年(明治27年)7月4日-1983年(昭和58年)11月16日)は日本のマルクス主義思想家・経済学者・科学技術史家・思想史家。戦前期... |
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荒畑寒村
日本の社会主義者・労働運動家・作家・小説家。元衆議院議員。本名は、勝三。 |
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安部磯雄
日本の社会主義者。キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。また、日本における野球の発展に貢献し「日... |
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幸徳秋水
明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者。本名は幸徳傳次郎(こうとくでんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられた... |
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石川三四郎
日本の社会運動家・アナキスト・作家。筆名の「旭山」も使用する。 |
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川口武彦
日本の経済学者、社会運動家。元九州大学教授。元社会主義協会代表。経済学のほか、堺利彦、山川均など労農派を中心とした初期社会主義研究でも功績を残した。 |
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新島襄
新島襄(にいじまじょう、英字表記:JosephHardyNeesima、天保14年1月14日(1843年2月12日)-1890年(明治23年)1月23日)はキリスト教の布教家。同志社英学... |
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宇野弘蔵
日本のマルクス経済学者。日本のマルクス経済学者の中でも特に影響力の大きな一人であり、その学派は宇野学派と称された。宇野学派は新左翼や社会主義協会に... |
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大内兵衛
大正・昭和期の日本のマルクス経済学者。専攻は財政学。日本学士院会員。 |
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大窪一志
まだレビューはありません 基本情報 - 大窪一志 出身地 :神奈川県 プロフィール :1946年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。出版社、生協、編集制作会... |
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山崎耕一郎
表紙へ 山崎耕一郎 21世紀の社会主義 定価820円(本体781円、税39円) 注文先は 労大新書のページ ヘ ● 十数年前、ソ連・東欧社会主義崩壊の印象がまだ濃厚で... |
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伊藤晃
伊藤 晃(いとう あきら) ■所属 人材マネジメント事業部 シニア・コンサルタント ■略歴 1959年 生まれ 1983年 上智大学 文学部 社会学科 卒業 1983... |
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田中勝之
著者情報 田中 勝之 1967年、名古屋大学工学部機械工学科卒業。1969年、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了(機械工学専攻)、株式会社日立製作所機械研... |
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叡尊
鎌倉時代中期の真言律宗の僧。字は思円(しえん)。謚号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)。興福寺の学僧慶玄の子で、大和国添上郡箕田里(現・大和郡山市)の... |
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忍性
鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧である。房名(通称)は良観。父は伴貞行(後に叡尊教団の斎戒衆となり慈生敬法房と名乗った?)。大和国城下郡屏風里(現奈... |
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プロフィール
- 山川均とは
- 生涯
- 山川イズム
- 戦後の活動
- 家族
- 系譜
- 著作
- 翻訳
- 参考文献
山川均(やまかわひとし、明治13年(1880年)12月20日-昭和33年(1958年)3月23日)は、在野の経済学者で、社会主義者・社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。
生涯
| 岡山県倉敷に生まれる。 |
| 同志社尋常中学部に学び、新島襄や柏木義円らから影響を受ける。 |
| 同志社を中退して上京。 |
| 明治33年(1900年)、守田有秋らの友人と語らって発行していた雑誌『青年の福音』に掲載した皇太子の結婚事情について書いた論説「人生の大惨劇」が不敬罪に問われ、重禁固刑を受ける。 |
| これは、不敬罪が適用された最初である。 |
| 出獄後、いったんは倉敷に戻るが、ふたたび上京。 |
| 明治39年(1906年)に堺利彦らの日本社会党に入党、日刊『平民新聞』にも参加し、社会主義運動に加わった。 |
| 明治41年(1908年)には赤旗事件で入獄し、獄中で「大逆事件(幸徳事件)」の報を聞く。 |
| 出獄後、一時故郷で薬局を開業するも、再三上京し堺の売文社に入社。 |
| 社会主義冬の時代を評論活動で糊口を凌ぐ。 |
| 1917年にロシア革命が起き、世界革命を目指すロシア共産党(ボリシェヴィキ)は1919年にコミンテルンを設立、各国に支部を作っていく。 |
| 同年大正8年(1919年)に山川は、山崎今朝弥より『社会主義研究』を引き継ぐ。 |
| 大正10年(1921年)4月に堺利彦・近藤栄蔵・橋浦時雄・渡辺満三・高津正道らとともに東京で「日本共産党準備会」(「コミンテルン日本支部準備会」)を秘密裡に発足。 |
| 8月頃には水曜会を設立する。 |
| 翌大正11年(1922年)1月、学術研究誌の体裁を採っていた『社会主義研究』が新聞紙法の規程により時事評論を掲載することが出来なかったため、当局に保証金を納入し田所輝明・上田茂樹・西雅雄らとともに時事評論誌として『前衛』を創刊した。 |
| 同年7月15日には日本共産党(第一次共産党)が創立(治安警察法違反のため非合法)されると、総務幹事となる。 |
| 日本共産党は、同年11月のコミンテルン第4回大会に代表を派遣して、コミンテルン日本支部として正式に承認される。 |
山川イズム
| 山川は「無産階級運動の方向転換」(『前衛』1922年7・8月合併号)などを発表、大衆運動との結びつきを重視する「方向転換論」(山川イズム)を提唱した。 |
| しかしまもなく解党論の中心となり、1924年共産党はいったん解散する。 |
| その後福本和夫の提唱する党建設重視の福本イズムに基づき共産党が再建(第二次共産党)されたが、これに距離を置き参加しなかった山川は「日和見主義者」「解党主義者」として共産党主流派から厳しい批判を受けるようになった。 |
| これに対し山川は堺、荒畑寒村、猪俣津南雄らと昭和2年(1927年)に『労農』を創刊し、共同戦線党論を展開する。 |
| 昭和12年1937年、人民戦線事件で検挙。 |
戦後の活動
| 戦後の昭和21年(1946年)に民主人民戦線を提唱し、民主人民連盟委員長となるが病気で活動できず、社共両党の対立を解消できぬまま連盟は雲散霧消する。 |
| その後は社会党左派の理論家として活動し、昭和26年(1951年)に社会主義協会が発足した際には大内兵衛と共に代表を務めた。 |
| 山川は向坂逸郎らと共に社会主義協会において非武装中立論を説き、この理論は日本社会党に強い影響を与えた。 |
| しかし山川の非武装中立論は、永世非武装国家を志向したものではなかった。 |
| 山川は日本が復興する間の非武装を説いただけで、ソ連の脅威を十分に認識した上での将来的な武装を認めていた。 |
| しかし向坂ら親ソ派はソ連・社会主義陣営に与する立場から、ソ連の脅威に目をつぶり、非武装中立論を日本が社会主義陣営に立つまでの手段であると解釈を変更した。 |
| (山口二郎・石川真澄『日本社会党 戦後革新の思想と行動』)。 |
家族
| 婦人運動家・労働省婦人局長だった。 |
| 多くの著作を出している。 |
系譜
| ;山川家( |
| 慶長の頃(1596年~1615年)、児島郡郡村(岡山市郡)から来て、郷宿や鉱山札差などをやっていた。 |
| 5代清兵衛が井上から山川に改姓した。 |
| 倉敷村の新禄と呼ばれた富商の1軒である。 |
| 井上 山川 分家。 |
| 清兵衛━清兵衛━清兵衛━┳清兵衛━清兵衛義古━┳繁太郎━━利吉。 |
| ┃ ┃。 |
| ┃ ┣清兵衛義方。 |
| ┃ ┃ 。 |
| ┗喜兵衛 ┗光蔵寛━┳半三郎。 |
| ┃。 |
| ┣孝太郎。 |
| ┃。 |
| ┗━清左衛門知崇━清兵衛知敬━┳浦。 |
| ┃。 |
| ┗均。 |
著作
| 植物の精神堺利彦編有楽社1907(平民科学。 |
| 動物界の道徳有楽社1908(平民科学)。 |
| 社会主義の立場から三田書房1919。 |
| マルクス伝堺利彦共著大鐙閣1920(レツド・カヴア叢書)。 |
| レーニンとトロッキー改造社1921。 |
| 敵陣を腑瞰して三徳社1923。 |
| 井の底から見た日本更生閣1924。 |
| 無産階級の政治運動更生閣1924。 |
| 労農露西亜の労働文化学会出版部1925(社会問題叢書。 |
| 無産政党の研究叢文閣1925。 |
| 殖民政策下の台湾弱少民族の悲哀プレブス出版社1926。 |
| 無産者運動南宋書院1927.7(無産者自由大学。 |
| 事象を追うて白揚社1928。 |
| 社会主義サヴェート共和国同盟の現勢社会科学叢書第6編日本評論社1928。 |
| 無産者運動と婦人の問題山川菊栄共著白揚社1928。 |
| 労働組合の理論と実際時事通信社1929。 |
| 単一無産政党論文芸戦線出版部1930(文芸戦線叢書)。 |
| 無産者講話無産社1930。 |
| 労働組合の話千倉書房1930 。 |
| 産業合理化の批判春陽堂1930。 |
| 社会主義の話千倉書房1930。 |
| 無産政党の話千倉書房1931。 |
| 世相を語る千倉書房1932 。 |
| 堺利彦伝 堺利彦全集第6巻中央公論社、1933。 |
| からす随筆集日本評論社1935。 |
| 社会主義講話彰考書院1946。 |
| 日本民主革命論黄土社1947。 |
| 日本の革命を語る向坂逸郎,高橋正雄共著板垣書店1948 。 |
| 労働組合運動のために板垣書店1949。 |
| 社会主義政党の話板垣書店1949。 |
| 労働階級の政党労働文化社1949。 |
| 労働者政党のために板垣書店1949。 |
| 階級闘争の追放改造社1949。 |
| ある凡人の記録朝日新聞社1951。 |
| 社会主義運動小史社会問題研究所1953(研究資料)。 |
| 昔と今労働運動のあゆみ中央公論社1954。 |
| 社会主義への道社会主義政党論1955(河出新書)。 |
| 歴史のうねり再建社1957。 |
| 社会主義への道は一つではない社会主義の前進のために合同出版社1957。 |
| 山川均自伝ある凡人の記録・その他山川菊栄,向坂逸郎編岩波書店1961。 |
| 党建設論向坂逸郎共著社会主義協会出版局1978.12。 |
| 『山川均自伝ある凡人の記録・その他』(山川菊栄/向坂逸郎編)岩波書店、1961年。 |
| 『近代日本思想大系19 山川均集』高畠通敏編・解説、筑摩書房、1976年。 |
翻訳
| 労働組合運動史シドニー・ウェッブ,ビアトリス・ウェッブ荒畑勝三共訳叢文閣1920。 |
| マルクス学説体系ルイス・ブディンアルス1921(アルス社会科学叢書。 |
| 文明人の野蛮性ハワアド・ムウア三徳社書店1921(民衆科学叢書。 |
| 動物と植物の生活クロポトキン白揚社1927(科学叢書。 |
| マルキシズム修正の駁論カウツキー世界大思想全集第47巻春秋社1928。 |
| 唯物論と経験批判論反動哲学の批判的考察ニコライ・レーニン大森義太郎共訳 平凡社1928。 |
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1900年
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守田有秋らの友人と語らって発行していた雑誌... |
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1906年
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堺利彦らの日本社会党に入党、日刊『平民新聞... |
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