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73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
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プロフィール
- 山本一義とは
- 来歴・人物
- 年度別打撃成績
- 年度別監督成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
山本一義(やまもとかずよし、1938年7月22日-)は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球監督、野球評論家。
来歴・人物
| 父親は中国新聞社元人事部長 |
| 広島商業時代から超高校級スラッガーとして鳴らした |
| 3年夏の県予選では13打席で10回敬遠されたという逸話も残る |
| 1956年高校野球春夏連続出場。 |
| 進学した法政大学でも1年からレギュラー、4年時には四番主将として法政12年ぶり7度目のリーグ優勝をもたらした。 |
| 法政大学野球部が優勝争いの常連となるのはこの年から。 |
| プロへは大先輩で、高校時代から目をかけてもらった鶴岡一人監督の南海ホークスに入るつもりだったが、それを父に話すと酷く落胆、また当時の通産大臣でカープ後援会の名誉会長だった池田勇人から説得され1961年、地元広島カープに入団した。 |
| レギュラーを獲得すると巧打の4番打者として活躍。 |
| タイトル獲得は無かったが、打率ベストテンには5回、3割2回マーク。 |
| 低迷期のチームにあって地元出身の生え抜きのスター選手として大きな役割を果たし、チームの主将を務め、1975年の初優勝を見届けて現役引退。 |
| 引退後、1976年~1979年広島一軍打撃コーチ。 |
| 古葉竹識監督とともに高橋慶彦を球界屈指のスイッチヒッターに育成、球界の先駆となった。 |
| 1980年~1981年、監督の西本幸雄に誘われ近鉄バファローズ打撃コーチを務め、1982年~1983年ロッテオリオンズ重光武雄オーナーが旧知の鶴岡一人に次期監督を相談、大学の先輩である鶴岡の推薦により監督に就任。 |
| 1982年落合博満の三冠王獲得に尽力した。 |
| 1983年は球団史上初の最下位となったが、シーズン後半は、高沢秀昭やスイッチヒッターに転向させた西村徳文ら、若手を我慢して起用して育てた |
| 1984年~1985年は推薦した鶴岡の計らいで南海ホークス一軍打撃コーチに就任し山本和範、吉田博之らを育てた。 |
| 生一本の性格で現役時代から村山実とウマが合い、村山が阪神監督に復帰した1988年、山本に入閣を打診したが、山本が病気の父親の付き添いで病院に寝泊まりして連絡が取れず、時間切れで実現しなかったという日刊スポーツ2007年10月9日7面。 |
| その後は関西テレビ(プロ野球ニュース)、中国放送の野球解説者を経て、1994年から1998年まで広島のチーフ兼打撃コーチ(ヘッド格)を務めた。 |
| 金本知憲、木村拓也の育成も有名だが、キャンプで打球が前に飛ばなかったルイス・ロペスをセ・リーグ史上ただ一人、来日1年目から2年連続3割100打点(打点王)を獲らせるなど多くの強打者を育成した。 |
| 広岡達朗による、東北楽天ゴールデンイーグルスの再建案でも打撃コーチに推されていた。 |
| 野村克也監督の就任でご破算になったが、高い打撃理論と熱血指導で知られる。 |
| 現在は、プロ野球マスターズリーグに所属しながら、四国・九州アイランドリーグ巡回コーチ、母校法政大学の臨時コーチ、全日本少年硬式野球連盟大会会長などで後進の指導にあたる他、日刊スポーツ評論家を務めている。 |
年度別監督成績
| ※1 1973年から1982年までは前後期制のため、ゲーム差欄の順位は前期、後期の順に表示。 |
| ※2 1982年から1996年までは130試合制。 |
記録
| オールスターゲーム出場:4回(1965年-1966年、1968年-1969年)。 |
| 通算1000試合出場:1969年10月2日(143人目)。 |
背番号
| 7(1961年-1975年)。 |
| 73(1976年-1979年)。 |
| 76(1982年-1983年)。 |
| 77(1980年-1981年、1984年-1985年、1994年-1998年)。 |
参考文献
| 『プロ野球人国記中国編』ベースボール・マガジン社、2004年4月 。 |
| 『広商野球部百年史』広商野球部百年史編集委員会、2000年11月。 |
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1938年
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山本 一義(やまもと かずよし)は、広島県広... |
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1961年
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地元広島カープに入団した |
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投票数
0
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