3321
3437
1943271
%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 山本五十六の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
阿川弘之
日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。文化勲章受章。代表作に、『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作『山本五... |
|
|
米内光政
友達
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを歴任した。渾名は「金魚大臣... |
|
|
半藤一利
日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。 |
|
|
山本元
山本元 [ヤマモトハジメ] 1959年生まれ。神奈川県立横須賀高等学校卒業、東京経済大学大学院経営学研究科修士課程修了(マーケティング論専攻、経営学修士... |
|
|
高野貞吉
父
日本の武士・越後長岡藩士。職名計司。仮名は喜傳次。家禄・100石。妻に病死で二度先立たれたため、三度結婚した。貞吉の妻となった3人の女子は、いずれも父... |
|
|
井上成美
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。宮城県仙台市出身。親英米派(条約派)の米内光政、山本五十六の人脈に属し、日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反... |
|
|
山本帯刀
山本帯刀 【やまもと-たてわき】 1件の用語解説(山本帯刀で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 山本帯刀 やまもと-たてわ... |
|
|
山口多聞
大日本帝国海軍の軍人。ミッドウェー海戦において、第二航空戦隊司令官として戦死した海軍中将。太平洋戦争期の日本海軍を代表する提督として高く評価されて... |
|
|
河井継之助
河井継之助(かわいつぐのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日(1827年1月27日)-慶応4年8月16日(1868年10月1日))は幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣であ... |
|
|
東郷平八郎
日本の武士(薩摩藩士)、軍人である。階級位階勲等功級爵位は元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・侯爵。 |
|
|
三船敏郎
日本の俳優、映画監督。ヴェネツィア国際映画祭男優賞を2度受賞し、「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれた。米映画『グラン・プリ』、... |
|
|
吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
|
|
丸山誠治
丸山誠治(まるやませいじ、1912年6月15日-1989年11月22日)は日本の映画監督。男性映画を得意とする一方、司葉子のデビュー作を撮った監督としても知られる... |
|
|
田中宏
日本の漫画家。広島県広島市出身。広島山陽高等学校卒業。 |
|
|
近衛文麿
日本の政治家。勲等は勲一等。爵位は公爵。新字体で近衛文麿とも表記される。貴族院議員、貴族院副議長(第10代)、貴族院議長(第9代)、内閣総理大臣(第34... |
|
|
古賀峯一
日本の海軍軍人。太平洋戦争において殉職した第28代連合艦隊司令長官である。最終階級は海軍大将。殉職後は特旨により元帥号を授与される。佐賀県西松浦郡出身。 |
|
|
堀悌吉
堀悌吉(ほりていきち、1883年(明治16年)8月16日-1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。同期生の山本五十六、後輩の井上成美か... |
|
|
鬼畜王ランス
ようはやってた方がいいてことだから、結果的にはフォローになってないか・・・)今までのRPGと違い、今回はシミュレーション!しかもこれがけっこーバラ... |
|
|
田中角栄
日本の政治家。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。 |
|
|
石原莞爾
昭和の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等・功三級。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織... |
|
|
プロフィール
- 山本五十六とは
- 明治
- 航空と軍政
- 山本と三国同盟
- 連合艦隊司令長官
- 緒戦の快進撃
- ガダルカナル島の苦戦
- 戦死(海軍甲事件)
- 総括
- 山本家の相続
- 人物像に関するもの
- 関連サイト
山本五十六(やまもといそろく、4月4日-4月18日)は、新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。 ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死するまで 太平洋戦争(大東亜戦争)前半の日本海軍の攻勢作戦、中でも真珠湾攻撃とミッドウェー海戦での総指揮に当たったことから海外でも 太平洋戦争の日本を代表する提督として広く知られる。
明治
| 日露戦争中の11月、海軍兵学校を席次11番で卒業『海軍兵学校沿革』第2巻、223頁。 |
| 、少尉候補生として練習艦「韓崎丸」に乗船する#人間・山本140頁。 |
| 1月に少尉候補生のまま装甲巡洋艦「日進」配属となり、5月27日の日本海海戦に参加する。 |
| この海戦において、公式記録や山本本人の文章によれば「敵砲弾の炸裂」により左手の人差指と中指を欠損、左大腿部に重傷を負う傷痍軍人徽章第一号である(水交会編『回想の日本海軍』原書房P330)、#海燃ゆ51頁、#人間・山本145-149頁。 |
| なお旧海軍関係者の間で負傷の原因は、「日進」の前部砲塔における砲身内早発である可能性が指摘されている#世界史・山本五十六211頁、野村實『山本五十六再考』中公文庫159-167頁。 |
| 負傷時に着用していた軍服は、太平洋戦争勃発直前に山本から故郷の博物館に寄贈された#人間・山本152-153頁。 |
| 左腕切断の危機から回復した山本は#人間・山本153-157頁、#海燃ゆ55-56頁、軍人として順調に出世。 |
| 練習艦「宗谷」の鈴木貫太郎艦長(後、総理大臣)は、同艦分隊長時代の山本について後年回想している#人間・山本186-188頁。 |
| 「宗谷」では37期少尉候補生訓練を行い、井上成美、草鹿任一、小沢治三郎、鮫島具重を指導した#人間・山本188-189頁。 |
| に海軍大学校乙種学生を卒業すると海軍砲術学校と海軍経理学校の教官になり、同僚の米内光政と盟友になる#人間・山本192頁、#海燃ゆ59頁。 |
航空と軍政
| right|100|thumb|手前米内光政後山本五十六。 |
| 同年12月、海軍航空本部長に任命される#人間・山本381頁。 |
| 横山大観から絵の呈上の申し出があった際には、全力で勤務にあたるため芸術にひたる余裕なしと述べて断っている#人間・山本385-386頁、#海燃ゆ203-204頁。 |
| この頃、列強は新世代戦艦(ポスト条約型戦艦)の開発・建艦を一斉に開始しており、日本も大和型戦艦の建造計画をたてる。 |
| 山本は大西瀧治郎航空本部教育部長と共に反対論を唱え、艦政本部と対立した。 |
| 山本の航空主兵論と中村良三(大将/艦政本部長)の大艦巨砲主義論の対立は結論が出ず、伏見宮博恭王軍令部総長の仲裁で7月に高等技術会議で大和型2隻の建造が決定された#人間・山本383頁。 |
| なお大和型と同時にマル3計画において3万トン級正規空母翔鶴型航空母艦2隻の建造も決定している。 |
| 同年2月の二・二六事件では、反乱に賛同する海軍青年士官を一喝して追い返し、重傷を負った鈴木貫太郎侍従長のために医者を手配している#人間・山本524頁、#海燃ゆ209頁。 |
| 岡田啓介総理大臣の救出にも米内光政横須賀鎮守府長官と共に関わったとされる#人間・山本391-392頁。 |
| 二・ニ六事件における米内の対応を山本は高く評価し、後日永野修身海軍大臣が辞任する際、山本(海軍次官)は米内を後任海軍大臣として推薦している#海軍人事失敗研究203-204頁。 |
山本と三国同盟
| 山本は、日独伊三国軍事同盟の締結に対し、米内海軍大臣、海軍省軍務局の井上成美らとともに最後まで反対した人物である#海燃ゆ262頁。 |
| この事から海軍条約派三羽鴉(海軍左派)とも言われている#海軍人事失敗研究216頁。 |
| 三国同盟賛成派は山本のイメージを悪化させるプロパガンダを展開し、また暗殺の風評を流した#人間・山本414頁、#海軍人事失敗研究244頁。 |
| 山本は表面的には鷹揚に行動したが#人間・山本415-417頁、ひそかに遺書も書いている#人間・山本419頁、、#世界史・山本五十六190頁。 |
| 私服の憲兵が護衛についた他、自宅に機関銃が備えられたこともあった#人間・山本420頁、#海燃ゆ265-266頁。 |
| 米内海軍大臣は、閣議の中で彼と山本に辞職を強要する書類を突きつける者もいたと発言したほどである#海軍人事失敗研究246頁、#海燃ゆ280頁。 |
| 山本は、三国同盟賛成と反英国・米国世論の盛り上がりは日本陸軍と内務省の合議による組織的なものと報告した#海軍人事失敗研究246頁。 |
| 政治も世論も同盟締結に傾き、山本達は孤立していた。 |
| ところがノモンハン事件が起きて日本とソ連が軍事衝突を起こす中、8月23日、ドイツはソ連と独ソ不可侵条約を締結#海軍人事失敗研究250頁。 |
| 平沼内閣は総辞職して日独伊三国同盟第一次交渉は頓挫した#海燃ゆ281頁、#海軍とコミンテルン23頁。 |
連合艦隊司令長官
| 連合艦隊司令長官は山本の本望ではなかったが、自宅で新聞記者を前に普段飲まない酒を飲み、最善の御奉公をするつもりだと決意と覚悟を語った#人間・山本428頁、#海燃ゆ284頁。 |
| 幾度かの駐在経験からアメリカとの国力の違いも認識しており、4月11日の故郷・長岡中学校の講演で「伸びきったゴムは役に立たない。 |
| 今の日本は上から下まで、全国の老人から子供までが、余りにも緊張し伸びきって、それで良いのか」と語りかけ、日本がアジアの真のリーダーとなるには20-30年かかると述べている#人間・山本407-408頁、#海燃ゆ275-277頁。 |
| だがアメリカとの戦争は無謀と知りつつ海軍軍人・連合艦隊司令官としてアメリカを仮想敵とした戦略を練り、福留繁聨合艦隊参謀長にハワイ奇襲作戦について語ったこともある#海燃ゆ288-289頁。 |
| 三国同盟の締結、日本海軍の海南島占領や北部仏印進駐などにより、日本と米国・英国の関係は急速に悪化していった#海軍とコミンテルン314頁。 |
| 当時の総理大臣であった近衛文麿の『近衛日記』によると「余は日米戦争の場合、(山本)大将の見込みの如何を問ふた処、それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。 |
| 然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。 |
| 三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」(原文のまま)と発言している世界文化社『ビッグマンスペシャル・連合艦隊上巻・勃興編』より抜粋。 |
| #人間・山本445頁。 |
| 井上成美は戦後この時の山本の発言について「優柔不断な近衛さんに、海軍は取りあえず1年だけでも戦えると間違った判断をさせてしまった。 |
| はっきりと、『海軍は(戦争を)やれません。 |
| 戦えば必ず負けます』と言った方が、戦争を回避出来たかも知れない」と批判的な意見を述べている#ニミッツと山本14頁、#米内と山本は愚将だった120頁、#吉田指揮官68頁。 |
| 後に嶋田繁太郎海軍大将に宛てた山本の手紙には近衛との面会について「随分と人を馬鹿にしたる如き口吻にて現海軍の大臣と次官とに対し不平を言はれたり是等の言分は近衛公の常習にて驚くに足らず。 |
| 要するに近衛公や松岡外相等に信頼して海軍が足を地からはなす事は危険千万にして誠に 陛下に対し奉り申訳なき事なりとの感を深く致候御参考迄」と酷評している#人間・山本447頁、#海燃ゆ307-308頁(原文のまま)。 |
| 同時期、山本を訪問した反町英一に、秋には引退して故郷に戻りたいと語っている#人間・山本449-450頁。 |
| 11月10日の宮城で行われた紀元二千六百年記念行事には、蒋介石率いる中国軍から宮城を空爆されるのを防ぐとの理由で参加しなかった#人間・山本448-449頁、#海燃ゆ305-306頁。 |
| 山本は米国と戦う準備を進めた。 |
| 勝利のためには航空機増産しかないとの信念に従って、当時最新鋭の零式艦上戦闘機と一式陸上攻撃機各1000機増産を求めるが、軍令部第一部長宇垣纏少将に拒否された#世界史・山本五十六31頁。 |
| 当時連合艦隊参謀長だった福留繁少将によれば、大和型戦艦3・4番艦(信濃と111号艦)の建造を中止させて航空機優先の生産体制をつくるため、連合艦隊参謀長に伊藤整一少将を、福留を軍令部第一部長にする人事を行った#勝つ戦略負ける戦略36頁。 |
| 宇垣は8月になって連合艦隊参謀長に補せられ、山本直属の部下として勤務することになる(山本、宇垣、黒島を巡る対立は後述)。 |
| 10月12日、近衛首相私邸で荻外荘会談が行われ、及川と海軍首脳は優柔不断な応答に終始、山本は「乃公が当局者であったら、海軍は正直に米国に対し最後の勝利はないというネ」と批判した#海軍とコミンテルン316頁。 |
| 10月19日、軍令部に黒島亀人連合艦隊先任参謀を派遣し「真珠湾攻撃が認可されなければ、連合艦隊長官を辞任する」と主張し、作戦を認可させた#勝つ戦略負ける戦略33頁。 |
| 嶋田繁太郎海軍大臣に対する10月24日の書簡でも「開戦劈頭有力な航空兵力によって敵本営に斬り込み、米海軍をして物心ともに当分起ち難いまでの痛撃を加えるほかなしと考えることに立ち入った次第です」と述べ、山本の決意を知った嶋田はハワイ奇襲攻撃作戦に許可を出している#ニミッツと山本11-13頁、#世界史・山本五十六22-23頁。 |
| 山本の心中は、故郷長岡で余生を過ごしたいという思いと、戦争になれば活躍して『さすがは五十サダテガンニ』と言われる事はしたいという思いに揺れていた#海燃ゆ313頁、#勝つ戦略負ける戦略30頁。 |
| 11月下旬から12月上旬にかけて、家族や親しい人々にそれとなく別れを告げた#人間・山本457-458頁、#海燃ゆ327-329頁。 |
緒戦の快進撃
| 太平洋戦争開戦後、真珠湾攻撃やマレー沖海戦など、戦争初期における快進撃により、山本は英雄として扱われる。 |
| だが米太平洋艦隊の排除や南方資源確保を行う第一段作戦が完了した後、その後の展望(第二段階作戦)について、山本を含め日本海軍は各個たる方針を持ってなかった#世界史・山本五十六126頁。 |
| 軍令部は米豪分断作戦を、山本の連合艦隊司令部は当初インド洋作戦を主張し、軍令部に却下されるとハワイ攻略作戦へと重点を移す#海燃ゆ357-358頁。 |
| 山本は桑原虎雄少将に対し日本大幅譲歩による講和への希望を語ったが「結局、斬り死にするほかなかろう」と政治への失望を語っている#吉田大和と武蔵160頁。 |
| 一方で藤井茂参謀によれば、山本に中央に戻って軍政で活躍して欲しいとの熱望が諸方面から寄せられており、藤井も山本の資質を軍政向きと見ていたが、実現することはなかった#人間・山本475-477頁、#海燃ゆ350頁。 |
| 4月18日、米軍はドーリットル空襲により日本本土初空襲に成功、昭和天皇のいる東京を爆撃されたことで山本は動揺する#海燃ゆ355,359頁、#勝つ戦略負ける戦略113頁。 |
| 5月8日、史上初の機動部隊決戦となった珊瑚海海戦で日本軍は辛勝、山本は「珊瑚海でもはじめは相当苦戦しましたが結局は実力に物を云はせて押切つたわけでした」と知人に語る#海燃ゆ371頁。 |
| 珊瑚海海戦で日本艦隊を総指揮した井上成美(第四艦隊長官)については、掘への手紙で「戦はあまりうまくない」と評した#勝つ戦略負ける戦略93頁。 |
| 山本は、米国が圧倒的国力で軍備を整える前に戦争の決着をつける必要に迫られていた#吉田大和と武蔵161頁。 |
| 5月下旬、日本海軍は総力をあげてミッドウェー作戦を発動。 |
| 6月、ミッドウェー海戦において、日本軍は南雲機動部隊の主力空母4隻と重巡1隻、航空機285機を喪失する大敗北を喫する。 |
| かつて山本が艦長を勤めた空母「赤城」も沈没、周囲の期待も厚かった山口多聞少将も戦死した。 |
| 山本は完成したばかりの戦艦「大和」に座乗して機動部隊後方を航海し、米軍とは全く交戦しなかった。 |
| 戦艦群(特に低速の伊勢型戦艦・扶桑型戦艦)が作戦に加わったことについて、山本は事前の作戦会議で「情だよ」と答えている#吉田大和と武蔵166頁。 |
| この海戦における山本と連合艦隊司令部の作戦準備と指導には、後述のように批判が多い#世界史・山本五十六197頁。 |
| 日本へ帰還後の作戦研究会では「屍に鞭打つ必要なし」として、大敗北の責任の追及や敗因研究が行われることはなかった#勝つ戦略負ける戦略139-140頁、#吉田大和と武蔵102,176頁。 |
| 7月12日、山本以下連合艦隊司令部参謀達(宇垣は参加せず)は料亭で宴会を行い、着任したばかりの土肥一夫少佐によれば一同何事もなかったかのように陽気だったという#勝つ戦略負ける戦略49-50頁。 |
ガダルカナル島の苦戦
| 8月、米軍はガダルカナル島に来襲して日本軍の飛行場を占領、ガダルカナル島の戦いがはじまる#海軍人事失敗研究32頁。 |
| 8月17日、「大和」に座乗する山本は『あと百日の間に小生の余命は全部すりへらす覚悟に御座候』の覚悟で日本を出撃した#吉田大和と武蔵177頁、#海燃ゆ396頁。 |
| 故郷への手紙より。 |
| 8月28日、前線拠点トラック島に進出し、連合艦隊司令部にて作戦立案と指導を行う。 |
| 山本は「大和」の甲板から最前線へ向う駆逐艦や潜水艦を見送り、乗組員達は山本の姿に感激したという#吉田大和と武蔵179-180頁。 |
| だが、厳しい戦いの中でトラック泊地から動かない「大和」や「武蔵」は「大和ホテル」「武蔵屋御殿」と揶揄されるようになる#勝つ戦略負ける戦略119頁。 |
| 山本と共に航空主兵を主張した大西瀧治郎少将も、この頃になると「大和」から動かない山本を痛烈に批判するようになっていた#勝つ戦略負ける戦略120-121、228頁。 |
| ガダルカナル島の戦い苦戦の一因となったガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を破壊すべく、山本は「大和」を率いて最前線に赴くことを検討し#吉田大和と武蔵184頁、辻政信陸軍大本営参謀にも同様の返答をしたが#勝つ戦略負ける戦略187-188頁、諸事情により取りやめとなった#海燃ゆ404頁、#怒りの海47頁。 |
| 敵には困らぬが味方には困る』と訴えるなど、日本海軍と日本陸軍の対立、中央政府の楽観的な姿勢に悩んでいた#海燃ゆ405頁。 |
| また新潟県出身兵で構成された第二師団新発田歩兵第十六連隊がガダルカナル島で全滅した時には『十六連隊の事は残念至極、連隊長大隊長の補充に行く者郷里より来信あり。 |
| 宣敷頼む』と宇垣纏に笑いながら語ったが、宇垣は山本の本心であろうと述べている#海燃ゆ410頁。 |
| だが11月中旬の第三次ソロモン海戦で連合艦隊は戦艦「比叡」「霧島」を喪失、山本は精神的に追い詰められていった#海燃ゆ413-416頁。 |
| この海戦直前に今田以武生(連合艦隊軍医長)が「大和」を退艦、いつ日本で会えるかと聞くと、山本は「来年五月」と明言したという#吉田大和と武蔵192頁。 |
戦死(海軍甲事件)
| 一方、米軍は日本軍の暗号を分析・解読し、山本個人に目標を絞っていた#世界史・山本五十六292-295頁。 |
| 特に4月13日の巡視計画電報について、城島高次第十一航空戦隊司令官は「前線に、長官の行動を、長文でこんなに詳しく打つ奴があるもんか」と憤慨している#海燃ゆ446頁。 |
| 米軍が解読した暗号は、4月17日に「武蔵」から発信された電文とされる#海燃ゆ454頁。 |
| 小沢治三郎第三艦隊長官は、山本機と宇垣機の護衛戦闘機が少ないことを危惧し、黒島亀人先任参謀に護衛機を50機増やす事を宇垣に伝えるよう託した#海燃ゆ447頁、#勝つ戦略負ける戦略232頁。 |
| 黒島はデング熱で体調が悪かった宇垣参謀長に伝えなかった#山本と黒島312頁、#死に往く長官上128頁。 |
| 4月18日午前6時、山本を含めた連合艦隊司令部は第七〇五航空隊の一式陸上攻撃機2機に分乗してラバウル基地を発進した#海燃ゆ459頁。 |
| 零式艦上戦闘機6機に護衛されブイン基地へ移動中、ブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊P-38ライトニング16機に襲撃・撃墜され戦死した(海軍甲事件)。 |
| 遺骨はトラック諸島に一旦運ばれて、その後内地に帰還する戦艦「武蔵」によって日本本土に運ばれた。 |
総括
| だがその航空戦では搭乗員の消耗が祟り、存命中のい号作戦、戦死後のろ号作戦、ギルバート諸島沖航空戦、トラック島空襲、マリアナ沖海戦、台湾沖航空戦と日本海軍航空隊は大敗北もしくは惨敗続きであり、山本と日本海軍が航空機の運用を真に理解していたかについて、疑問を呈する者もいる#プランゲ上48頁、#海軍驕り296頁、#山本の大罪175頁、#吉田大和と武蔵141-142頁。 |
山本家の相続
| 、桶狭間の戦い後に徳川家康が岡崎に自立して三河を平定していくなかで、永禄8年(1565年)牧野家と山本家は共に家康に臣従、直参旗本となった。 |
人物像に関するもの
| ミッドウェー海戦で空母「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の被弾炎上という急報を「大和」作戦室で渡辺と将棋を指している時に受け取った時には#従兵長108頁、「うむ」「ほう、またやられたか」の一言だけをつぶやき、将棋をやめなかった#海燃ゆ381頁、#従兵長109頁、#ニミッツと山本194頁。 |
|
1616年
|
牧野家が越後長岡藩主に加増移封されると、山... |
|
1896年
|
海軍少将となっている |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
山本五十六さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|