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プロフィール
- 山本和範とは
- 来歴・人物
- エピソード
- 年度別打撃成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 登録名
- 出演作品
- 関連項目
- 関連サイト
山本和範(やまもとかずのり、1957年10月18日-)は、福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身の元プロ野球選手(外野手)。後半戦からまでの登録名は カズ山本。愛称は「ドラさん」、「ドラ」、「カズ」。現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシースポーツ部に所属し、 カズ山本の芸名でタレント活動する傍ら、社会人野球クラブチームの福岡オーシャンズ9の監督を務めるなど多方面で活躍している。
来歴・人物
| 北九州市立戸畑商業高等学校(現:北九州市立高等学校)を経て、のドラフト5位で近鉄バファローズに投手として入団。 |
| 入団年度が通常の高卒選手に比べ1年遅れているのは高校1年の際に単位が足らず留年した事が原因である。 |
| 入団直後、外野手に転向。 |
| 二軍では3年連続で打率3割を記録するが、一軍では結果を残せず、に解雇された。 |
| 引退して福岡への帰郷を決意していたが、同僚だった久保康生に引き留められ大阪に残る。 |
| バッティングセンターでアルバイトをしながら練習していた時期に南海ホークス監督の穴吹義雄から誘われて、に南海へ入団。 |
| その後、南海ホークス・福岡ダイエーホークスで門田博光、佐々木誠らと共に主力選手として活躍。 |
| 類稀な勝負強さに加え、特にフランチャイズが大阪市(大阪球場)から福岡市(平和台野球場)へ移転した以降は、数少ない地元福岡県出身の選手ということもありチーム随一の人気選手であった。 |
| シーズン途中から登録名をカズ山本に変更。 |
| 『バントをしない2番打者』として打率でイチローに次ぐ成績を残す。 |
| 引退後は吉本興業(2007年10月1日より持株会社化に伴い、新設子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシーへ移行)に所属。 |
| 大阪本社に所属しているが、福岡事務所のタレントらと活動する事が多い。 |
| なお、引退後は福岡県飯塚市・北九州市小倉北区のバッティングセンターで地元の子供たちを対象に毎月2回程度野球教室を行っている。 |
| プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズにも『カズ山本』の登録名で参加しており、社会人野球クラブチームの福岡オーシャンズ9の監督も務めている。 |
| また、北九州市にあった「子どもの館HOW!?」の館長も務めている。 |
エピソード
| 右耳が難聴である。 |
| 彼の長年の愛称は『ドラ』であるが、この『ドラ』の由来は梨田昌孝が「ドラキュラに顔が似ているから」と言って名付けた。 |
| 日本テレビ「いつみても波瀾万丈」2000年1月9日放送分より。 |
| 子供が「お前の親父は何でドラって呼ばれてるんだ?」と聞かれ、『ドラキュラ』のドラだとは言えないことから、当時Jリーグで人気を得ていた三浦知良にならって『カズ山本』と登録名を変更した。 |
| 近鉄入団当初、二軍を取り上げたドキュメント番組『若い広場』(NHK教育)に出演。 |
| この番組を見た女性から人生初のファンレターが届く。 |
| 嬉しくなった彼は心をこめてこの女性に返事を書いた。 |
| この女性とは後に交際し、結婚。 |
| 南海ホークス身売りに際し、読売テレビの取材で「私自身大阪球場が最高の球場だと思っておりましたもので、非常に残念です」とコメントした。 |
| また、後に近鉄に復帰したにもかかわらず「最高の野球ファンはホークスファン」と公言していた。 |
| 近鉄二軍時代、南海の二軍監督の穴吹はウエスタン・リーグで対戦する山本の実力を高く評価していて、他球団の選手にもかかわらずアドバイスを与えていた。 |
| そして自身の南海二軍監督から一軍監督への異動と、山本の近鉄戦力外通告が重なり、山本の南海入団につながった。 |
| 1990年代半ば、山本とイチロー(当時オリックス)が「バッティングセンターで育ったプロ野球選手」として業界団体から表彰されることとなったが山本は「ボクの方がバッティングセンターで育てられた」とこれを辞退。 |
| 逆に業界団体側のプレゼンターとなった山本が、イチローへの表彰を行っている。 |
| 1996年頃、近鉄のコーチ陣が山本の打撃フォームの動作解析を行ったところ、山本のフォームは理想とされるフォームと寸分の狂いもなかったことが判明し、コーチ陣を驚かせた。 |
| 道具を後輩に持たせた事は一度もなかったという。 |
| これは新人時代先輩選手の用具をすべて持たされ自分の時間がほとんどなくなった経験をしたからだとインタビューで述べている。 |
| 現役時代、対戦したい投手として津田恒実の名を挙げ、津田本人も山本に憧れていた。 |
| オールスターゲームの時に津田の方から会いに来て、その時が初対面にもかかわらず気さくに声をかけてくれたという。 |
| その2年後に津田の病気を知り、当時チームメイトで津田の親友だった森脇浩司と共に見舞いに行った。 |
| その後も山本は津田の病室に見舞いに行き、和ませて勇気付けたという。 |
年度別打撃成績
| 各年度の太字はリーグ最高。 |
| 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更。 |
表彰
| ゴールデングラブ賞:1回(1986年)。 |
| オールスターゲームMVP:2回(1986年第1戦、1996年第1戦)。 |
| 月間MVP:2回(1984年7月、1994年4月)。 |
記録
| 初出場:1980年4月5日、対近鉄バファローズ戦(日本生命球場)。 |
| 通算1000試合出場:1992年5月8日(300人目)。 |
| オールスターゲーム出場:5回(1986年、1989年、1990年、1993年、1996年)。 |
背番号
| 47(1977年-1982年)。 |
| 59(1983年)。 |
| 29(1984年-1995年)。 |
| 92(1996年-1999年)。 |
登録名
| 山本和範(やまもとかずのり)(1977年-1994年途中、1996年-1999年)。 |
| カズ山本(かずやまもと)(1994年途中-1995年)。 |
出演作品
| 難波金融伝・ミナミの帝王。 |
| 新・京都迷宮案内スペシャル-画家役。 |
| 日本テレコム-プーさんメール(池脇千鶴と共演)。 |
関連項目
| 福岡県出身の人物一覧。 |
| 大阪近鉄バファローズの選手一覧。 |
| 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧。 |
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1957年
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山本 和範(やまもと かずのり)は、福岡県小... |
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1980年
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初出場:、対近鉄バファローズ戦(日本生命球... |
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