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つながりの強いひと
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金子直吉
金子直吉(かねこなおきち、慶応2年6月13日(1866年7月24日)-昭和19年(1944年)2月27日)は日本の実業家。丁稚奉公から身を起こし、鈴木商店の「大番頭」と... |
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乾新兵衛
明治期に活躍した日本の実業家。乾財閥の乾家当主が代々・新兵衛を襲名している。山下亀三郎、内田信也、勝田銀次郎、岡崎藤吉とともに「神戸海運五人男」の1... |
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山下亀三郎
山下亀三郎(やましたかめさぶろう 慶応3年4月9日(1867年5月12日)-昭和19年(1944年)12月13日)は日本の実業家。勲一等。山下汽船(現・商船三井)・山下... |
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内田信也
内田信也(うちだのぶや、本名:のぶなり、1880年12月6日-1971年1月7日)は日本の実業家、政治家。山下亀三郎、勝田銀次郎と並ぶ三大船成金の一人。船舶事業で... |
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勝田銀次郎
政治家、実業家。勝田商会の創業者。山下亀三郎、内田信也と並ぶ三大船成金の一人。第八代神戸市長。東京英和学校(青山学院)卒業。 |
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金将
将棋の駒の種類の一つ。本将棋・平安将棋・平安大将棋・小将棋・中将棋・大将棋・天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋・大局将棋に存在する。英語で... |
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大川周明
日本の思想家。1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1... |
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徳川義親
植物学者、侯爵、貴族院議員、尾張徳川家第19代当主である。生物学者としては、昭和天皇の兄弟弟子にあたる。名の読みは「よしちか」が正しいが、明治維新以... |
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渋沢栄一
幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主... |
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宮崎哲弥
日本の評論家およびコメンテーター。福岡県久留米市出身。研究開発コンサルティング会社「アルターブレイン」副代表。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。内閣... |
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後藤新平
後藤新平(ごとうしんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日)-昭和4年(1929年)4月13日)は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家である。伯爵(明治39年... |
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大倉喜八郎
日本の実業家。中堅財閥である大倉財閥(おおくらざいばつ)の設立者。明治・大正期の実業界の雄である。男爵。号は鶴彦であり、「大倉鶴彦」名義で狂歌集を... |
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北一輝
戦前日本の思想家・社会運動家。中国の革命運動に参加し中国人革命家との交わりを深めるなかで、中国風の名前「北一輝」を名乗るようになった。右目は義眼。... |
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藤原公任
平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家小野宮流、関白太政大臣藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。四条大納言と号す。 |
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藤原信実
鎌倉時代前期から中期にかけての公家・画家・歌人。藤原北家、右京大夫・藤原隆信の子。官位は正四位下・左京権大夫。法号は寂西。 |
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安田善次郎
富山県富山市出身の実業家。幼名は岩次郎。安田財閥の祖。 |
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紀貫之
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。 |
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松井房吉
日本の大正期から昭和初期の実業家、相場師。松井商店(松井証券)の創業者。 |
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源公忠
平安時代中期の官人・歌人。光孝天皇の孫。大蔵卿・源国紀の子。官位は従四位下・右大弁。三十六歌仙の一人。滋野井と号す。 |
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プロフィール
- 山本唯三郎とは
- 略歴
- 虎大尽
- その他の奇行
- 佐竹本三十六歌仙絵巻
- 参考文献
山本唯三郎(やまもとたださぶろう、明治6年(1873年11月8日)-昭和2年(1927年4月17日)は、明治から大正にかけて活躍した実業家。
略歴
| 山本唯三郎は1873年、岡山県久米郡鶴田(現岡山市)で、鶴田藩士である坂斉正雪の2男として生まれた。 |
| まだ幼児の時に養子に出され、豆腐屋の小僧として働いていたが、10歳の頃に歩いて大阪に出て、新聞社の活字拾いをしながら夜は英語の学校に通う苦学をした。 |
| 16歳の時、いったん帰郷し兄の援助で閑谷学校に通い、続いてかつて兄が通った同志社に学ぶも、兄からの援助が滞るようになって同志社は中退に追い込まれた。 |
| しかし山本は札幌農学校で学問を続けることが出来た。 |
| 札幌農学校を卒業後、まず石狩平野で開拓事業を手がけ、大地主となって成功を収めた。 |
| 約10年間北海道で開拓事業に従事していたが、続いて中国の天津に渡り、石炭販売業を始めた。 |
| 山本は松昌洋行という貿易商社を設立して石炭や材木の貿易に従事していたが、第一次世界大戦の開戦を見て船舶輸送業を強化、これが見事に当たり巨万の富を築いた。 |
| 山本唯三郎は大戦景気で成功した典型的な船成金であった。 |
| 1916年(大正5年)衆議院の補欠選挙が岡山県で行われ、山本も出馬するも落選。 |
| また同志社に図書館を寄付するなど、社会事業にも手を染める。 |
| 1920年(大正9年)再び衆議院選挙に出馬するも落選、本業の実業家としても第一次世界大戦終了後の不況の波をもろに被り、あっという間に財産を食いつぶしていくことになる。 |
| 築き上げた財産を全て使い果たした山本は、1927年(昭和2年)に死去した。 |
虎大尽
| 山本唯三郎はその並外れた金の使いっぷりで知られた。 |
| その中でも特に1917年(大正6年)に朝鮮半島で大規模な虎狩り、名づけて山本征虎軍を行ったことが有名である。 |
| 山本は自らを「勤勉力行」の人物たることを証明するために虎狩りを行うと称したが、世間では前年の総選挙で山谷虎三に敗れ落選したため、虎三に敗れた腹いせで本物の虎を狩る決断したと噂された。 |
| この虎狩り、規模が尋常ではなく、マスコミ関係者を含め総勢31名、現地で雇用した猟師やポーターを含めるとなんと150名にもなった。 |
| 山本征虎軍は全体を8班に分け、1~5班は咸鏡道方面、7・8班は全羅南道で虎狩りを、そして6班は別働隊として金剛山で熊狩りを約1ヶ月間にわたって繰り広げた。 |
| 彼らは自作の「征虎軍歌」、「虎来い節」などという歌を歌い、征衣を身に纏い虎狩りに赴いた。 |
| 1ヶ月間の成果は虎2頭、その他豹、猪、鹿など貨車1両分になったという。 |
| 虎狩り終了後、まず京城の朝鮮ホテルで、山縣伊三郎朝鮮総督府政務総監らを招き、虎などの獲物の試食会を行い、更に東京に到着後、帝国ホテルに清浦奎吾枢密院議長、田健治郎逓信大臣、仲小路廉農商務大臣、渋沢栄一、大倉喜八郎ら200余名を招き、大々的な虎肉試食会を行った。 |
| 当日は食堂の内外に虎狩りにちなんだ竹林を配し、獲物の虎、豹、熊、鹿などの剥製を展示、山本唯三郎自身が虎狩りの実演談を語り、更には舞台では虎狩踊りなどを披露した。 |
| しかし肝心の虎肉はトマトケチャップでマリネにして提供されたが、臭い上にボロボロと固く、試食に耐えられるものではなかったという。 |
| 山本唯三郎はこの破天荒な虎狩りで世間から虎大尽と呼ばれるようになった。 |
その他の奇行
| 山本唯三郎はその他にも巨万の富にあかせて様々な奇行を行った。 |
| 越中ふんどし1万本を携え欧米を漫遊して「気を引き締めてもらうため」と称し、各地に在住の日本人に贈呈した。 |
| 函館の料亭で大散財のあげくに玄関に出て履物を履こうとしたところ暗くて良く見えないため、懐から百円札の束を取り出し火をつけるという,あまりにも有名な逸話の元を作った。 |
| またある料亭では座敷一面に豆腐を敷き詰め、大勢の芸妓に揃いの衣装を着せて、青く塗った箸を苗に見立てて豆腐に植えさせる田植え遊びをした。 |
| そして特別列車に芸妓を大勢乗せて東京から京都に繰り出したり、箱根では芸妓を総揚げして裸の分列行進をさせるなど、まさに放蕩の限りを尽くした。 |
佐竹本三十六歌仙絵巻
| 山本唯三郎は旧秋田藩主佐竹家から、佐竹本三十六歌仙絵巻を35万5000円で購入した。 |
| しかし第一次世界大戦後の不況のため、早くも1919年(大正8年)には売りに出されることになった。 |
| しかしあまりの高額のため一括しての買い手がつかず、三十六歌仙一人一人が切り売りされることになってしまった。 |
参考文献
| 征虎記 1918年 吉浦龍太郎著。 |
| 岡山の奇人変人 1977年 蓬郷巌著 日本文教出版株式会社。 |
| カネが邪魔でしょうがないー明治大正・成金列伝 2005年 紀田順一郎著 新潮社。 |
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1873年
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岡山県久米郡鶴田(現岡山市)で、鶴田藩士で... |
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