| 高校2年時に、全国高校相撲新人選手権(高知県)優勝。 |
| また高校3年時には全国高校相撲選手権では準優勝となるが、世界ジュニア相撲選手権では優勝。 |
| 2003年、やはり清瀬海と共に日大に進学。 |
| 大学時代の2年の東日本学生相撲新人選手権大会、ならびに全国学生相撲個人体重別選手権大会・無差別級で優勝。 |
| 3年では全日本大学選抜相撲十和田大会で優勝、全国学生相撲個人体重別選手権大会・無差別級を連覇。 |
| 4年で副主将を務め(主将は清瀬海)、全日本大学選抜相撲七尾大会で優勝。 |
| 5つの個人タイトルを手に、尾上部屋に入門した。 |
| ただし、幕下付出の対象となるタイトルが含まれていなかったために前相撲からのデビューとなった。 |
| 大学時代の同期には大翔湖と同じく尾上部屋に入門した天鎧鵬がいる。 |
| 新弟子検査では体重233kgを記録し1994年1月場所の北勝森の205kgを塗り替え、史上最重量の新弟子となった。 |
| 2007年1月場所の前相撲では一番出世を果たした。 |
| 続く3月場所では序ノ口優勝は逃したものの、6勝1敗と好成績を残した。 |
| 翌5月場所では序二段で同時期に入門した春日野部屋の李(現・栃乃若)との7戦全勝同士の優勝決定戦で勝利し、大相撲では自身初の優勝となった。 |
| 同年7月場所、9月場所は三段目で両場所とも6勝1敗で2場所で三段目を通過。 |
| 新幕下の11月場所では2番相撲の栃の山戦で髷を掴み反則負けとなるなど1勝6敗と大きく負け越したが、翌2008年1月場所では7戦全勝で幕下優勝を飾った。 |
| 2008年7月場所では自己最高位の西幕下筆頭で6勝1敗の好成績を収め、決定戦で部屋の先輩里山に敗れたもの同年9月場所での十両昇進が決まった。 |
| 2008年8月22日に行われた健康診断の体重計測で251.6kg(公式では切り上げて252kg)を記録し、須佐の湖が持っていた240kgの国内出身関取の最重量記録を更新した山本山、250キロ超え減量宣言大相撲時事通信2008年8月22日。 |
| 関取になって初の取り組みでは十両では稀に見るほどの歓声があがり山本山が寄り切りで勝った。 |
| 2008年9月場所・翌11月場所と十両で2場所連続で9勝6敗の成績を挙げ、2009年1月場所において新入幕を果たした。 |
| 所要12場所での新入幕は幕下付出からのスタートを除くと史上3位のスピード記録で、日本人では栃東(現・玉ノ井親方)らに並ぶ最速タイ記録となった。 |
| 2009年5月場所では場所前から扁桃腺が腫れて40度近い熱が続き、千秋楽の一番に勝ち越しをかけたが、豊響に押し出しで敗れ、幕内に入って初の負け越しとなった。 |
| 同年7月場所では11日目の佐田の海戦で自力で歩行できないほどの重傷を負い、左ひざ靱帯損傷のため途中休場した。 |
| その怪我の影響で休場が続き、2011年2月28日に相撲協会が発表した順席では三段目まで番付を落としてしまった。 |
| 2011年2月9日の身体測定では体重277kgを計測し、現役力士最重量記録を更新した。 |
| 2011年の大相撲八百長問題では、特別調査委員会から八百長に関与した力士として名前が挙げられ八百長問題:山本山ら4人も関与…調査委が認定 2011年3月31日 毎日jp、山本山は一貫して八百長関与を否定して携帯電話も特別調査委員会に提出したものの |
| この処分について「調査委員会にクロと決め付けられた。 |
| 裁判を起こしても(協会が)勝つから無駄なことはしない方がいいというようなことを言われた。 |
| 頭に来ます、話も聞かずに引退勧告はおかしい」 |
| 4月5日に尾上親方に連れられ、同部屋の境澤・白乃波と共に処分対象者として代理人を通さず自ら引退届を提出した。 |
| 「今後の生活のために、提出しました」22人が引退届提出、谷川親方は拒否 TBS-Newsi 2011年4月5日「気持ちの整理はついていない。 |
| 悔しいけど協会には感謝している。 |
| 相撲協会がなかったらただのデブ。 |
| 今日からお相撲さんじゃないと言われても状況が分からない」と |
| 同年9月3日に東京プリンスホテルにて境澤・白乃波と合同で断髪式が行われた。 |
| この席で尾上親方は「アメリカで、相撲のイベントにという話をもらっていると聞いています」と明かし、アメリカで「相撲タレント」として活動する可能性が出てきた。 |
| 本人は「デブを生かして頑張ります」と語ったが、決定事項ではないとのこと |
| ちなみに「プロレスは技を受けないといけない。 |
| 痛いの嫌いだから、いいですわ」と答えており尾上親方も「痛いのはもう嫌だと言っていましたから」とコメントしており格闘技転向はしない模様 |