| 幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活躍。 |
| 全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数多くの実績を残した。 |
| シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で惜しくも準優勝。 |
| オリンピック出場への道が絶望的になったのと同時期に姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向。 |
| 2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級で優勝。 |
| 翌2001年にプロデビューし修斗で活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。 |
| 2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦で勝田哲夫と対戦。 |
| 試合前に勝田がKIDに対して「彼はレスリングの実績があるけど、総合におけるレスリングってものを俺が教えてあげますよ」と挑発したことに対してKIDは不快感を露にしていた。 |
| 試合ではKIDがパウンドの連打で勝田をKOしたが、レフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視して舌を出して笑顔で勝田を殴り続けたため120日間のライセンス停止処分を受けた |
| この悪癖はK-1転向初期にもしばしば見られた。 |
| 2003年12月14日、修斗で王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。 |
| 2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1WORLDMAX2004〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で村浜武洋と対戦。 |
| 大会前に畑山隆則と魔裟斗から優勝候補本命と評価されていた村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、ノーガードで村浜のパンチを避けまくり、殺気を放ちながらダウンを奪った後も笑顔で舌なめずりして追撃するなど戦慄の2RKO勝利。 |
| 潜在能力の高さを見せつけ、一気に人気選手となった。 |
| だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。 |
| その後トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。 |
| そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。 |
| 魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日のK-1PREMIUM2004Dynamite!!で対戦。 |
| 1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。 |
| リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。 |
| また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。 |
| インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。 |
| 2005年3月3日のHERO'S旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。 |
| 2005年5月4日、K-1WORLDMAX2005のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。 |
| しかしマイク・ザンビディスの右フック一撃で生涯初のKO負けを喫した。 |
| 2005年7月6日、HERO'S2005にスーパーファイトで出場。 |
| イアン・シャファーと対戦し、TKO勝利。 |
| 2005年9月7日、HERO'S2005〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント〜準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一撃で失神KO勝ち、準決勝で宇野薫をパンチで出血させ、TKO(レフェリーストップ)勝ち。 |
| 2005年12月31日、K-1PREMIUM2005Dynamite!!にてトーナメント決勝を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ち。 |
| HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。 |
| この試合の決着場面において「レフェリー・ストップが早かったのでは?」という指摘が須藤とファンから挙がったが、後日にTBSで放送された格闘王で、レフェリー・ストップ直後に立ち上がった須藤の脳が揺れて足元がふらついてコーナーまでよろめいている映像が放送され、事なきを得た。 |
| 須藤も後に「ストップされた時は、(ダメージがあったため)あまり覚えていない」と語っている。 |
| 2006年2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の菊地昭の試合後にドクターチェック中であった中山健児リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。 |
| 事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLERBEE(現・KRAZYBEE)所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した |
| 翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLERBEEへの厳重注意処分を受けた。 |
| 10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された |
| ]BoutReview2006年10月13日。 |
| 2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒の跳び左膝蹴り一発で失神骨折KO勝ち。 |
| この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。 |
| 2006年7月23日、レスリングに復帰し、2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。 |
| 2006年12月、スポーツ用品ブランド「リーボック」とのパートナー契約を締結 |
| 2006年12月31日、K-1PREMIUM2006Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。 |
| アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、1RKO勝ち。 |
| 2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦でアテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。 |
| なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本を見下した発言が相次いだ。 |
| これは日本レスリング界の伝統の一つである「試合前はマスコミには大口を叩いて、自分を追い込め!」というモットーに則ったものといわれている。 |
| (記事アマチュアレスリングに関連記載有り)。 |
| 2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。 |
| 2007年9月17日、HERO'Sでビビアーノ・フェルナンデスと総合格闘技復帰戦を戦った。 |
| 腕ひしぎ十字固めをかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、判定勝ち。 |
| 2007年12月31日、K-1PREMIUM2007Dynamite!!でハニ・ヤヒーラと対戦。 |
| ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカードが提示された。 |
| 2008年7月21日、DREAM.5でジョセフ・ベナビデスと対戦予定であったが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂し、欠場となった。 |
| 2009年4月5日、DREAM.8のテレビ放送の解説を務め、メインイベントの桜井"マッハ"速人vs.青木真也でマッハが勝利後、桜井を「強くてカッコいい」と賞賛した。 |
| DREAM.7から開幕したDREAMフェザー級グランプリでは実績を考慮されて1回戦をシードされた。 |
| 2009年5月26日、約1年5か月ぶりの復帰戦となるDREAM.9のフェザー級グランプリ2回戦でジョー・ウォーレンと対戦。 |
| ムエタイ・スタイルへと変貌を遂げた打撃をヒットさせるが、グレコローマン・レスリング世界選手権優勝というKIDを上回るレスリング実績を誇るウォーレンに何度もテイクダウンを奪われてパンチを浴び判定負け。 |
| 2009年7月13日、約4年2か月ぶりのK-1参戦となったK-1WORLDMAX2009FINAL8でチョン・ジェヒと対戦し、1Rに先に有効打をヒットさせて追撃したところを右アッパー、左フックの連打を受け失神KO負け。 |
| 2009年12月31日、Dynamite!!〜勇気のチカラ2009〜のDREAMvsSRC対抗戦でSRCフェザー級王者金原正徳と対戦。 |
| 63kg契約の試合であったがリーチ差に手を焼き、2Rには金原のパンチを受けてジェヒ戦を思い起こすようなダウンを喫したが、最終3Rに打撃で猛反撃。 |
| 2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14でキコ・ロペスと対戦し、KO勝ち。 |
| 2011年DREAMを離脱しUFCと契約する。 |
| 2011年2月5日、UFC初参戦となったUFC126でデメトリアス・ジョンソンと対戦し、パンチにタックルをカウンターで合わされるなど再三テイクダウンを奪われ、0-3の判定負けを喫した |