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プロフィール
- 山本昌とは
- プロ入り前
- 入団 - 留学前
- アメリカ留学
- 帰国 - 再留学
- 2000年代
- 2010年代
- ピッチング
- バッティング
- 人物
- 登録名の事情
- 背番号34
- 趣味
- 家族
- タイトル
- 表彰
- 記録
- CM出演
- 関連サイト
山本昌(やまもとまさ、本名:山本昌広(やまもとまさひろ)、1965年8月11日-)は、 中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。
プロ入り前
| 野球チームに初めて入ったのは小学3年生のとき山本昌、48頁。 |
| 中学校3年の夏、所属する野球部で神奈川県大会に出場し山本昌、51頁。 |
| 、日大藤沢高にスポーツ推薦で入学する山本昌、52頁。 |
| 当時の日大藤沢高の野球部監督、香椎瑞穂は山本を同期の別の部員一人とペアで日本大学に推薦する。 |
| 山本本人も高校卒業後は日本大学に進学し教師を目指すつもりでいた山本昌、57-58頁。 |
| しかし、山本は1983年のドラフトで中日ドラゴンズに5位指名を受ける。 |
| 香椎に「おまえならプロでやっていける」と激励を受け、また山本のプロ入団がペアで推薦されていた別の部員の進学に支障を来さないこととなったこともあり、山本は最終的に入団した山本昌、66頁。 |
入団 - 留学前
| 入団当時、野球解説者だった星野仙一(1987年より監督)は「背番号が34で左投げというから『金田2世』と期待してブルペンを見に行ったが、ただの大柄な男で、あまりに不恰好なモーションでコントロールもない。 |
| 球も130km/h前後しか出ないからがっかりした」と語っており、山本本人も「小松辰雄さんのピッチングを見て、とんでもない所に来てしまったと思った」と回顧している。 |
アメリカ留学
| ドジャース傘下の1Aベロビーチ・ドジャースには山本と西村英嗣が所属することになり、そしてそこで前年に山本を指導していたドジャースの世話役・アイク生原との再会が人生の転機となる。 |
| 生原からは投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたが、特に大きかったことは消えかけていた野球への熱意や楽しさを再び思い出させてくれたことであったという。 |
| 3月ころ、生原がドジャースの往年の名投手サンディー・コーファックスに山本のピッチングを見せたところ、「アイク、あのピッチャーはだめだよ。 |
| 彼はサイドスローにするか、トラックの運転手になるか、どっちかにしたほうがいいんじゃないの」という評価だったという山本昌、127-128頁、生原喜美子。 |
| また、これも3月、生原に連れられてロサンゼルス・ドジャースのフェルナンド・バレンズエラのピッチング練習を見に行くが、そのスクリューがあまりに衝撃的であったために「投げられるわけない」と思う。 |
| その2か月ほどあと、チームメイトのメキシコ人内野手 |
| 後に自分も遊びで投げてみたところ、驚くほど球が曲がったそうである。 |
| よく曲がるので、その日の試合でも使ってみたところ、決め球として通用。 |
| それ以後の登板に使っていると、1Aのオールスターゲームまで呼ばれるようになり、それを見た対戦相手の数球団のスカウトが評価、メジャーリーグのロースター入りを正式に打診された(ドジャースからは打診がなかった)。 |
| しかし、山本のビデオを見た監督の星野が山本の成長ぶりを見、リーグ優勝を実現するためのチームの戦力とするべく、当初1年間のはずであった留学予定を打ち切り日本に呼び戻すことを決定した(星野自身は、「そのままメジャーでやらせてあげてもよかったが、球団社長の意向で」と発言している)。 |
| このため、ロースター入り・メジャーリーグデビューはならなかった。 |
| ベロビーチ・ドジャースでの成績は、13勝7敗、防御率2.00 |
帰国 - 再留学
| 帰国直後、当時の中日の投手が足りない状況だったこともあり先発の一角に加わると、シンカーや精度の高いコントロールを駆使して一軍で5連勝(なおかついずれも自責点0)を記録し、リーグ優勝に貢献した。 |
| その1988年の日本シリーズでは第3戦の先発に抜擢され、工藤公康と投げ合い1歳上の同僚彦野利勝の先頭打者本塁打の1得点を守りきれず敗戦投手となった。 |
2000年代
| 2000年代に入ってもローテーションの一角を守り続ける息の長い活躍を続けており、2010年現在での通算勝利数は中日歴代2位となっている |
| 9月30日の対阪神戦で40歳代としては若林忠志、村田兆治、工藤公康に次いで4人目となる2桁勝利を挙げた。 |
| 10月15日の対横浜戦ではリリーフで登板し、自身1997年以来9年ぶりでセ・リーグ最年長記録となるセーブを記録(41歳2か月)するなど、11勝7敗1Sの成績を残した。 |
| 山山杯(#趣味参照の事)をこの年は開催せず、今のところ2005年が最後の開催となっている。 |
| また無類のラジコン好きで、その操縦技術やチューンアップの知識は趣味の域を超えて全国レベルのセミプロクラスであり、山崎武司とともに山山杯という冠イベントを開催していたほどから、2009年1月には200勝記念として「山本昌投手200勝おめでとう達成記念レース」が開催され(主催はラジコン天国名古屋店)、自らもホストとして参加した。 |
| 10月2日、故郷の神奈川県茅ヶ崎市から茅ヶ崎市民栄誉賞が贈られることが決まり |
2010年代
| 10月23日のクライマックス・シリーズのファイナルステージ第4戦に先発。 |
| 4回1/3を5安打無失点ながら、ポストシーズン初勝利はできなかった。 |
| 45歳2か月でのポストシーズン登板は自身の最年長登板記録(43歳2か月)を更新すると共に、1972年のダリル・スペンサーが持つ最年長出場記録(43歳3か月)も更新した日刊スポーツ・大阪版2010年10月24日6版3面。 |
ピッチング
| 持ち球はストレート、落差の大きいカーブ、スライダー、スクリュー。 |
| グラブを突き上げ、背を一杯に伸ばしてから舌を出しながら投げる。 |
| ストレートの最速は138-139km/h前後(30歳代前半までは132-133km/h前後)で、同い年の星野伸之・小宮山悟と共に「球の遅い一流投手」という稀有な存在である。 |
| 40歳を越えてなお、年齢を重ねるにつれて球速が上がってきており、2006年には140km/h、43歳になった直後の2008年8月12日の対広島戦では143km/hという球速も記録している。 |
| ただ、「球速が出過ぎる時はストレートを投げたがって狙われ、打たれやすい」と周囲から指摘されている。 |
| 現に、中日OBで野球解説者の立浪和義がCBCラジオ野球中継2010年9月4日の対巨人戦解説で「昌がストレートのスピードに酔っている時は危ない」と解説している。 |
| 直球の球速は遅いが軟投派ではなく、テレビ番組『超・人』(BS-i)において「僕は速球派です」と語っている |
| 同番組によると2006年度の全投球のうちストレートが45%を占めており、松坂大輔の46%とほぼ同じであった(同番組で技巧派の代表として比較されていた下柳剛はストレートが8%)。 |
| 同番組で山本昌の直球の回転数を計測した結果、1秒間に52回転していた。 |
| 通常の投手の1秒間の平均回転数が37回転、松坂が41回転、藤川球児が45回転であることから山本昌のそれは極めて高く、初速と終速の差と落差が小さい。 |
| 実際に2004年の日本シリーズで対戦した西武の選手が「山本昌のストレートはもっと速く見えた」と発言した。 |
| よく、ピッチング中に親指の辺りをかむ癖を見せていることがあるが、これはカーブの曲がりが悪い時、その辺りにできた堅くなったマメを立てて、曲がりを調整するためだという『サンデードラゴンズ』、2008年11月9日放送分での落合英二のコメントより。 |
| 対巨人戦では現役投手中最多、歴代でも3位の勝ち星を挙げており、新聞等では「巨人キラー」と呼ばれている。 |
| また、対阪神戦にも強く「虎キラー」とも称される。 |
| メディアからは対巨人戦や対阪神戦での強さばかりが取り上げられているが、実際は巨人・阪神以上にヤクルトや広島に強く、この2チームに対しては通算防御率、通算勝利数ともに巨人・阪神相手より良い数字を残している(実際広島キラーやヤクルトキラーと呼ばれたこともある)。 |
| しかし、本人は長年の結果だとして気にしていない様子。 |
| 対して一番相性の悪いのは横浜であり、このカードは通算防御率、通算勝利数(こちらに関して言えば勝ち越してはいる)のいずれも対セ・リーグ5球団の中ではワースト。 |
バッティング
| 2008年現在、。 |
| 通算安打数は2010年シーズン終了時点で133安打。 |
| 犠打141犠打(2008年7月時点)は日本プロ野球の投手史上最多と報じられた東京スポーツ2008年7月29日付け記事。 |
| さらに2010年シーズン終了時点でその通算犠打数を149まで伸ばしている。 |
| また、2010年シーズン終了時点で二塁打、打点、得点というセントラル・リーグの打者の最年長記録も更新・保持している。 |
人物
| 2009年1月24日に行われたトークショーの席にて、公称では186cm・87kgとしている身長・体重が、実際は188cm・98kgであることを明かしたが、験担ぎとして今後も変更しないことを語った。 |
登録名の事情
| なお、後述のラジコンレースに出場する際の選手登録名は、本名の山本昌広名義で行っている。 |
| レース公式サイト上では、「山本昌広」「山本昌」(いずれも「山本」の後にスペースが入る)の表記が見られる。 |
| 東海ラジオ放送アナウンサーの北山靖は、実況などで山本昌を紹介する際、本名で紹介する事が多い。 |
背番号34
| 1984年の入団時より背番号34である。 |
| 同一背番号を着用した選手としては、プロ野球史上最長である。 |
| 同年20番に変更した小松辰雄が着けていた背番号を与えられたが、単に空番号をドラフト指名順に当てはめただけである(1位藤王康晴:背番号1、2位仁村徹:背番号24、3位三浦将明:背番号26)。 |
| その後活躍が認められ、球団からかつて松本幸行が着けていた中日左のエースナンバーとされている21への変更を打診されるが、「この番号が自分のプロ生活のすべてを知っているから変えたくない」と拒否した参考:ベースボールマガジン1998年夏季号「背番号&ユニフォーム大特集」P66(上記の登録名を「山本昌」にした経緯も書かれている)。 |
趣味
| プライベートの山本昌は多趣味なことで知られ、中でも特に有名なのがラジコンである。 |
| ラジコンを始めたきっかけは、1995年に膝を痛めてリハビリを行っていた際、昼前にリハビリが終わり、暇つぶしに街に出た時、ラジコンショップでラジコンを見つけて「面白そうだ」と思い、始めたことによる。 |
| ラジコンショップにはシーズン中でも1週間に1度はかならず顔を出し、地元名古屋で開催されるレースにはシーズン中(ただし、リーグ優勝が確定し、クライマックスシリーズ開催を待つ期間)でも積極的に参加を重ね、これまでに数々の優勝を経験している。 |
| その腕前は玄人にも一目置かれる確かなもので、2002年には全日本選手権のEPツーリングカースポーツクラスで4位に入賞した |
| フジテレビ系の『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「ムダ・ベストテン」ではC・W・ニコルやムツゴロウらと共に登場しない有名人の一人として長らくランクインされていたが、2009年1月22日放送分で遂に登場し、その腕前を披露した。 |
| ラジコン好きが高じて、親交のあるラジコンメーカー「ミワホビー」とシャーシモデル「YM34」を共同開発し、一般向けに販売した |
| 毎年盛況を博した山山杯であったが、2006年のオフシーズンに「いや、申し訳ないんだけど、もう10年も続けたでしょう。 |
| 末期の山山杯は、開催4日前から主に日本の参加メーカーと専属レーサーのセッティング等準備が入る、世界チャンピオンがタイから参戦する等、最早ラジコン界におけるトッププロによる世界大会に近い大会になっていた |
| 2009年の「200勝記念レース」にもラジコン世界チャンピオン経験者の広坂正美らが参加している。 |
| なお、ラジコンを操作する時の構えは投球前の構えとほとんど同じであり、一部ではラジコンのプロポを持つ姿、ピッチングフォーム、バッティングフォームは全て同じとも言われている。 |
| 甲虫集めも趣味で、世界の甲虫を集めて息子と一緒に飼育していた。 |
| 近所の山へ早朝に出かけ、秘密のスポットでカブトムシやクワガタを獲ったりしているらしい。 |
| 武田一浩曰く「こんなにデカイ体してカブトムシの話したら止まらないんだから」とのこと。 |
| しかし2007年シーズンが不本意な成績に終わったことなどから、飼っていた甲虫類を全て友人等に譲り、飼育をきっぱりやめたという2008年5月9日付東京スポーツ記事による。 |
| その他の趣味として漫画、ゲーム、競馬が挙げられる。 |
| ブックオフなどで絶版の漫画を探す、新作で面白いゲームが出れば、それをクリアする予定を基にシーズンオフのスケジュールを組むなど、多くの情熱を注ぐ。 |
| また学生時代は「教科書に漫画がついていたから」という理由で日本史・中国史を好み、秋田遠征時には記者と久保田城についての話で盛り上がったという。 |
| 歌手の小田和正の大ファンであり、彼の名古屋公演ではシーズン中でもコンサート会場に姿を見せることがある。 |
| 当人同士の交流もあり、2009年1月2日に東海テレビで放送された山本昌の200勝記念番組では、小田がナレーションを務めた。 |
家族
| 家族では実父・山本巧が1966年度NHKのど自慢全国チャンピオンという経歴の持ち主で、若い頃は歌手を目指し作曲家の船村徹に弟子入りしていた時期もあったという。 |
| 2009年10月にインターナショナルミュージックからシングルCDを発売した他、自費出版にて数枚のシングル曲を発表している。 |
| また5歳下の実弟は日大藤沢高校野球部監督の山本秀明で、2007年春のセンバツ甲子園大会に導いている。 |
| 秀明は日本大学ではプロ入りした真中満・渡邉博幸と同期。 |
タイトル
| 最多勝:3回(1993年、1994年、1997年)。 |
表彰
| 月間MVP:8回(1993年4月・7月・8月、1994年4月・9月、1997年7月、1999年4月、2008年8月)※2008年8月度は史上最年長記録、2010年シーズン終了時セ・リーグ史上最多タイ。 |
| ベストナイン:2回(1994年、1997年)。 |
| 最優秀バッテリー賞:1回(1993年、捕手:中村武志)。 |
記録
| ノーヒットノーラン:1回(2006年9月16日、対阪神タイガース18回戦、ナゴヤドーム)※プロ野球史上最年長記録(41歳1か月5日)。 |
| オールスターゲーム出場:6回(1989年、1992年、1993年、1994年、1997年、2004年)。 |
| セ・リーグ最年長セーブ-41歳2か月(2006年10月15日、対横浜ベイスターズ22回戦、ナゴヤドーム)。 |
| 初登板:1986年10月16日、対ヤクルトスワローズ26回戦(明治神宮野球場)3-8 6回1死より登板し、2/3回2失点。 |
| 初勝利:1988年8月30日、対広島東洋カープ18回戦(ナゴヤ球場)8-5 5回より登板し、2回1失点。 |
| 初先発:1988年9月9日、対広島東洋カープ20回戦(広島市民球場)2-1 6回無失点。 |
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