| またこの頃、「巴山人」の印章も父から与えられる。 |
| 安永4年(1775年)北尾重政に浮世絵を学ぶ。 |
| 画号を北尾政演(きたおまさのぶ)と称する。 |
| 以後、多くの戯作・狂言本などに挿絵を描く。 |
| この頃から芝全交との親交を深める。 |
| 安永9年(1780年)。 |
| 黄表紙『娘敵討古郷錦(むすめかたきうちこきょうのにしき)』・『米饅頭始(よねまんじゅうのはじまり)』刊行。 |
| 天明2年(1782年)蔦屋重三郎方で大田南畝・恋川春町・唐来参和らと会し吉原で遊ぶ。 |
| 黄表紙『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』刊行。 |
| この年以降、山東京伝と称する。 |
| 天明3年(1783年)大田南畝の母60歳の祝宴に参加する。 |
| 『落栗庵狂歌月並摺』に自作狂歌入集する。 |
| この頃から万象亭(森島中良)と親交を深める。 |
| 美人画集『青楼名君自筆集』刊行。 |
| 黄表紙『客人女郎』刊行。 |
| 天明4年(1784年)この頃から5代目市川団十郎と親交を深める。 |
| 図案集『小紋裁』、手拭の図案集『たなぐひあはせ』、艶本『床喜草』刊行。 |
| 黄表紙『不案配即席料理(ふあんばいそくせきりょり)』刊行。 |
| 天明5年(1785年)。 |
| 艶本『艶本枕言葉』刊行。 |
| 黄表紙『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』刊行。 |
| 洒落本『息子部屋』刊行。 |
| 天明6年(1786年)新内めりやす「すがほ」を作詞する。 |
| 図案集『小紋新法』刊行。 |
| 黄表紙『江戸春一夜千両(えどのはるいちやせんりょう)』『明牟七変目景清(あくしちへんめかげよ)』刊行。 |
| 洒落本『客衆肝照子(きゃくしゅきもかがみ)』刊行。 |
| 天明7年(1787年)。 |
| 洒落本『古契三娼(こけいのさんしょう)』『総籬(そうまがき)』刊行。 |
| 見立て本『初衣抄』刊行。 |
| 天明8年(1788年)蔦屋重三郎らと日光・中禅寺に旅行に行く。 |
| 妹の黒鳶式部(実名よね)が死去。 |
| 黄表紙『時代世話二挺鼓(じだいせわにちょうつづみ)』『会通己恍惚照子(かいつううぬぼれかがみ)』『小倉山時雨珍説(おぐらやましぐれのちんせつ)』刊行。 |
| 洒落本『吉原楊枝(よしわらようじ)』『傾城觽(けいせいけい)』刊行。 |
| 天明9・寛政元年(1789年)黄表紙本石部琴好作の『黒白水鏡』。 |
| 田沼意次の子意知が江戸城中で佐野政言に斬りつけられた事件を扱っていた。 |
| に描いた挿絵が咎めを受け過料処分となる。 |
| 黄表紙『真実情文桜(しんじつせいもんざくら)』『碑文谷利生四竹節(ひもんやりしょうのよつだけぶし)』『孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)』『奇事中洲話(きじもなかずわ)』『花東頼朝公御入(はなのおえどよりともこうおんいり)』刊行。 |
| 洒落本『廓大帳(くるわのだいちょう)』『新造図彙(しんぞうずい)』『志羅川夜船(しらかわよふね)』『通気粋語伝(つうぎすいごでん)』刊行。 |
| 寛政2年(1790年)遊女(番頭新造)菊園を妻に迎える。 |
| 曲亭馬琴が訪れ入門を乞う。 |
| 過料に処せられたことを理由に戯作執筆をやめようと考えるが、蔦屋重三郎の懇請で思いとどまる。 |
| 図案集『小紋雅話』刊行。 |
| 黄表紙『玉磨青砥銭(たまみがくあおとがぜに)』『照子浄頗梨(かがみのじょうはり)』『山鶗鴂蹴転破瓜(やまほとぎすけころのみずあげ)』『心学早染艸(しんがくはやそめくさ)』『京伝憂世之酔醒(きょうでんうきよのえいさめ)』刊行。 |
| 洒落本『京伝予誌(きょうでんよし)』『繁千話(しげしげちわ)』『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』刊行。 |
| 児童向けの『通俗大聖伝』刊行。 |
| 寛政3年(1791年)洒落本3作が禁令を犯したという理由で筆禍を受け、手鎖50日の処分を受ける。 |
| 自宅を洪水に見舞われた曲亭馬琴が逗留し執筆を助ける。 |
| 筆禍後は思い屈したため、曲亭馬琴・感和亭鬼武らがしばしば代作を行なう。 |
| この頃から万象亭(森島中良)と疎遠になる。 |
| 黄表紙『人間一生胸算用(にんげんいっしょうむなさんよう)』『箱入娘面屋人形(はこいりむすめめんやにんぎょう)』刊行。 |
| 洒落本『仕懸文庫(しかけぶんこ)』『娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい)』『錦の裏』刊行。 |
| 寛政4年(1792年)曲亭馬琴を蔦屋重三郎の手代として推薦する。 |
| 両国柳橋で書画会を開催する。 |
| 黄表紙『梁山一歩談(りょうざんいっぽだん)』『天剛垂楊柳(てんごうすいようりゅう)』『女将門七人化粧(おんなまさかどひちにんげしょう)』刊行。 |
| 寛政5年(1793年)書画会の収益を元手に銀座に京屋伝蔵店(京伝店)煙草入れなどの袋物や煙管・丸薬類(読書丸など)を販売。 |
| 京伝は商品のデザインを考案し引札(広告ビラ)を制作し、自身の作品のなかでも店の宣伝をした。 |
| 店の経営には父・伝左衛門があたり京都・大坂に取次所もできた。 |
| 父の死後は京伝の後妻玉の井(百合)が経営を受け継ぐ。 |
| を開店する。 |
| 妻の菊園が病死する。 |
| 黄表紙『貧富両道中之記(ひんぷくりょうどうちゅうのき)』『堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま)』刊行。 |
| 滑稽図案集『松魚智恵袋(かつおのちえぶくろ)』刊行。 |
| 寛政6年(1794年)この頃より書肆より潤筆料(原稿料)を得るようになる従来は書肆が作者に潤筆料を払う習慣はなく、当たり作があれば作者を遊里で接待するなどしたようである。 |
| 黄表紙『忠臣蔵前世幕無(ちゅうしんぐらぜんぜのまくなし)』『忠臣蔵即席料理』『金々先生造化夢(きんきんせんせいぞうかのゆめ)』刊行。 |
| 寛政7年(1795年)父・伝左衛門が隠居する。 |
| 越後の鈴木牧之から随筆出版に関して相談され、以後書簡が取り交わされるようになるこの随筆が、天保8年(1837年)に出版される『北越雪譜』となる。 |
| 黄表紙『人心鏡写絵(ひとごころかがみのうつしえ)』刊行。 |
| 寛政9年(1797年)蔦屋重三郎が死去。 |
| 黄表紙『三歳図会稚講釈(さんさいずえおさなこうしゃく)』『虚生実草紙(うそからでたまことぞうし)』刊行。 |
| 黄表紙『凸凹話(たかびくはなし)』『百化帖準擬本草笔津虫音禽(ひゃくかちょうみたてほんぞうふでつむしこえのとりどり)』刊行。 |
| 黄表紙『仮名手本胸之鏡(かなでほんむねのかがみ)』『京伝主十六利鑑(きょうでんすじゅうろくりかん)』刊行。 |
| 寛政12年(1800年)遊女玉の井(百合)京伝は新作の構想ができるとまず百合に聞かせ、その意見を参考にしたという。 |
| 黄表紙『通気智之銭光記(つきぢのぜんこうき)』『早業七人前(はやわざしちにんまえ)』『呑込多霊宝縁記(のみこんだれいほうえんぎ)』『枯樹花大悲利益(かれきのはなだいひのりやく)』刊行。 |
| 黄表紙『悟衟迷所独案内(ごどうめいしょひとりあんない)』『裡家算見通坐敷(うらやさんみとおしざしき)』刊行。 |
| 享和4年・文化元年(1804年)この頃から曲亭馬琴の読本と大きな影響を与え合うようになる。 |
| 黄表紙『作者胎内十月図(さくしゃたいないとつきのず)』『江戸砂子娘敵討(えどすなごむすめかたきうち)』刊行。 |
| 文化4年(1807年)絵入読本改掛肝煎名主に対して曲亭馬琴と連名で口上書勧善懲悪など道徳的な内容を心がけること、剛悪・不祥・殺伐な内容はできるだけ避けるようにすること、など迎合的な内容になっている。 |
| 合巻『於六櫛木曽仇討(おろくぐしきそのあだうち)』『敵討岡崎女郎衆(かたきうちおかざきじょろしゅ)』『於杉於玉ニ身之仇討(おすぎおたまふたみのあだうち)』刊行。 |
| 文化5年(1808年)この頃から、鶴屋南北の歌舞伎脚本を下敷きにした合巻が多くなる。 |
| 合巻『女達三日月於僊(おんなだてみかづきおせん)』『糸車九尾狐(いとぐるまきゅうびのきつね)』『岩井櫛粂野仇討(いわいぐしくめののあだうち)』『敵討天竺徳兵衛(かたきうちてんじくとくべい)』『絞染五郎強勢談(しぼりそめごろうごうせいばなし)』『伉侠双蛺蜨(おとこだてふたつちょうちょう』刊行。 |
| 合巻『岩戸神楽剣威徳(いわとかぐらつるぎのいとく)』『累井筒紅葉打敷(かさねいづつもみじのうちしき)』『万福長者栄華談(まんぷくちょうじゃえいがものがたり)』『桜姫筆の再咲(さくらひめふでのにどざき)』『志道軒往古講釈(しどうけんむかしこうしゃく)』刊行。 |
| 合巻『糸桜本朝文粋(いとざくらほんちょうぶんずい)』『戯場花牡丹燈籠(かぶきのはなぼたんどうろう)』『うとふの俤』刊行。 |
| 合巻『薄雲猫旧話(うすぐもがねこのふるさと)』『釣狐昔塗笠(つりきつねむかしぬりかさ)』『春相撲花之錦絵(はるすもうはなのにしきえ)』刊行。 |
| 合巻『婚礼累箪笥(こんれいかさねだんす)』『ヘマムシ入道昔話』『重井筒娘千代能(かさねいづつむすめちよのう)』『磯馴松金糸腰蓑(そなれまつきんしのこしみの)』刊行。 |